第三話:奇妙な荷物①
どこまでも、青い空が続いていた。ほとんど雲の姿は無い。高い所から日の光が照りつけ、アスファルトが熱せられた鉄板と化している。摩擦で、俺のタイヤから煙が出てくるかと思うくらいだ。
果てしない荒野を通り抜け、俺たちはようやく人の手が加わった道を見ることが出来た。その瞬間、車内ではユキがマオを強く抱きしめて歓喜した。マオは目をパチクリして動揺している。いつも冷静なユキの珍しい姿だ。まあ、半分遭難者のようなものだったんだから、仕方ない。自分以外の文明の利器を見つけて喜ぶのは、人間もロボットも変わらない。
数日ぶりに二人に笑顔が戻った。街へ着いたらご飯をいっぱい食べたい、早く商売をしたい、と興奮している。満腹になれない状態が続いて、怒りを越えてふさぎこんでいたマオが、ユキの手を握ってそれをじいっとのぞきこんでいる。よだれを垂らしているのに驚いて、ユキはあわてて手を引っこめた。
なんて可愛くてきれいだろう。小さな天使と女神のような彼女たちを乗せていれば、どんなに悪路で危険な道でも走りぬく自信がある。笑顔を守るために、俺は走る。
地平線の向こうに、人家が見え始めていた。
街の入口へ進もうとした時、ユキに止まるように言われた。どうしたと尋ねると、
「わたしたちは街の中で用事を済ませてくるわ。レッカーはその間に――」
彼女は遠くの山を指さした。頂上は雲がかかっていてよく見えない。
「あの鉱山で、使い古された機械を拾ってきてほしいの。数年前に閉山されるまでにぎわっていた所らしいから、きっといい物が転がっているはずよ」
さっきの笑顔のままそう言った。クレーン車として活躍できるいい機会だ。いつもはユキの手伝いをしているだけだが、今回は自分だけで行動できる。ユキを儲けさせ、マオにおいしいものを食べさせられるのも、俺の手腕にかかっている。
〈分かった。二人はゆっくり休んでいてくれ。俺がいい思いさせてやるからな〉
俺が生き物だったら息が荒くなっているかもしれない。その代わりエンジンが熱くなる。
「ありがと。期待してるわ」
ユキがボディをなでてくれた。不思議とエンジンの回転が速くなる。マオは俺の言葉は分からないのだが、真似して犬の頭をなでるように触ってきた。あっ、あっ、まずい、エンストする!
〈い、行ってくる!〉
恥ずかしくなって、バックして方向転換し、急発進で山へ向かった。後ろから、二人が嬉しそうに手を振ってくれている。
異常に発熱したエンジンは、なかなか冷めてくれない。
ゴツゴツした地面がどこまでも広がる荒野を走っていた。幾多の車に踏み固められただろう砂利道が、真っすぐ目的地まで伸びている。山は確実に近づいているが、このペースだとあと三十分くらいかかりそうだ。
空は変わらず明るく、暑くてじめじめしている。停滞した空気の中は気分が悪くなる。車も、涼しい所を走る方が好きだ。エンジンが焼けて走れなくなるのはゴメンだ。
今頃ユキとマオは何をしているだろう。日陰の涼しいオープンカフェでジュースでも飲んでいるかもしれない。楽しそうにおしゃべりする姿が浮かぶ。一刻も早く終わらせて、二人に混ざりたい。
〈ん?〉
少しスピードを緩めた。砂利道を一台のオフロード車がふさいでいる。近づいていくと、ボンネットが開けられ、運転席側に女性が倒れているのが見えた。
〈どうした、大丈夫か?〉
彼女の隣へ横に止まって様子をうかがう。どうやら人間で、三十歳くらいのようだ。長い髪が砂まみれで、薄い格好をしていて、そばには工具が転がっている。周りに何も無いこの場所でエンストを起こし、修理をしていた時に熱中症で倒れた、と思われる。
車には人工知能が搭載されていないらしく、話しかけても無反応だった。これほどきれいで可愛い主人の意識が無いのに、炎天下の荒野に放っているお前は卑劣な野郎だ、と汚い言葉を色々並べ立てた自分が恥ずかしくなった。
〈どうしようか、この人……〉
もちろん、置いていくという選択肢は無いが、一旦街へ戻るべきか考えていた。だいぶ離れてしまったし、事前にユキが調べた情報で、山のふもとに泉があると分かっている。人間の治療法は知らないが、涼しくて水が豊富な場所へ連れていけば問題無いだろう。助ければ、お礼のキスくらいもらえるかもしれない。よしっ!
アームを伸ばし、人間が針に糸を通すような細かい調整をしながら、襟の辺りに引っかける。そのことを確認すると、慎重に引き上げる。頭が上で足が下の垂直な姿勢で持ち上がっていく。
スルッという擬音が正しいかもしれない。両腕が突然バンザイしたように上がり、服はそのままで体だけ地面に落ちた。
〈あれ?〉
仰向けに転がる女性は、上半身下着姿になっていた。ピンク色だ。…………小さい。
今度は落っことさないよう、ベルトに引っかけて引き上げた。そして無事に荷台へ乗っける。
念のため服を拾っておき、本来の目的地から少しずれて、オアシスへと急いだ。
脇道へそれ、周囲に草木が生い茂る獣道を進んでいくと、半径二百メートルくらいの湖が見えてきた。草原がくぼんで水が溜まったような場所で、透明度は高い。ちらほらと魚がのんびりと泳いでいる。
荷台に乗っけている女性をクレーンで持ち上げると、岸に近い浅い所へ下ろした。水不足のように見えたから、まずは水分補給をしなくてはならないだろう。飲んでも問題ないと思う。
水に浸かると、女性はうっすらと目を開けた。手で水を少し掻き、自分の状況を確認しているようだ。
「え、ここ、どこ……? どうして……。あっ! わたし濡れてる! キャッ」
捕食者から逃げる獣のようにあわてて立ち上がって飛びのいた。座りこんで息を荒くしている。少し体を震わせている。長い髪が顔に張り付いていて、一瞬人外の生き物のように思えた。
「あれ、どうしてシャツを着てないんだろ? ……何、このクレーン車は?」
うさんくさそうに俺を凝視する。とりあえず彼女に何かしらの意思を伝えなくてはならない。だが、俺の言葉がはたして通じるかどうか。
〈具合は良くなったか? 俺がここまで運んだんだ。お礼は後でかまわない〉
「エンジンをふかせているのは誰? そこにいるの?」
四つん這いで運転席の下まで来ると、ボディに捕まって立ちあがりドアを開けた。
「……いない」
当然ながら空っぽだ。女性はドアを閉め、その場に腰を下ろした。
「もしかして、人工知能かな? ねえ、あなたってそうなの?」
〈ああ、超高性能だぞ〉
クスッと笑った。「返事はエンジン音なんだ。面白いね。道端に倒れている所を助けてくれたの? 修理していて気が遠くなる所までは覚えているんだけど……。とにかく、ありがと」頭を下げた。
〈いやいや、気にするな。それよりお礼の方を――〉
「そう言えば、わたしのシャツを知らない? このままじゃ恥ずかしいから」
くっ、言葉が通じないのが悔しい! とりあえず、荷台のシャツをクレーンで渡してあげた。
「ありがと。ああ、汚れて少し破けてるよ。まあ、あるだけマシか」
シャツを着ると、俺のタイヤに寄りかかって座った。そして空を見上げる。
「都会と違って、ここはいい空気だなー。わたしね、この先にある先住民族の村を見たくてここまで来たの。はるか昔からずっと同じ生活を続けているんだって。わたし、これでも人類学者なの」
この女性は大学の先生なのか。未知の所でもあわてふためいていないのはそういうことだったのかと納得した。
「ロボットが発達した今の世界で、不便な生活を未だに続けているのはどうしてか知りたいの。好奇心が抑えきれないの!」
漏れ出るように明るい表情になった。初めて笑っている所を見た。ふと空を見上げると、あれほど晴れていたはずなのに灰色の雲がかかり始めている。
「助けてくれてありがと。あ、わたしジャスティンっていうの。よろしくね」
俺を見て白い歯を見せた。そしてボディに手をかけて立ち上がる。
「悪いんだけど、このままその村に連れて行ってもらえる? お礼はいつかちゃんとするから」
そう言って運転席に乗りこんだ。体を預けるように座る。苦しい表情をする。
幸いその村までの道は、ユキから渡された地図に載っていた。その通りに進んでいけば問題無く着くだろう。
土砂降りの雨が降り出した頃、ジャスティンは熱で倒れた。
2へ続きます。




