第二話:石ころのように⑥
翌々日、この街での最終公演が始まった。サーカスの子が一時姿をくらましたという知らせは新聞に取り上げられ、その結果一昨日よりも観客が多く集まり、空席が虫食い穴のように数か所点在しているだけだ。
昨日、街で会ったミカに、サーカスの招待状を手渡された。ぜひ来てくださいと清々した表情をしていた。二人のその後が当然気になるユキは、大群衆と化した観客に混じっている。
「君の話は本当か? あの子どもたちがサーカスを辞めたって」
土産物の店主は首をかしげた。ユキとマオが入場しようとした時、入口でそわそわしているおじさんを見つけ、半分無理やりに連れて来たのだ。
「はい。一昨日、本人に会って確認しました。裏方に回るのだそうです」
「そうかそうか。ロボットはただ働いていればいいんだ。それなら、大好きなサーカスを楽しめる」
おじさんは近くを通った販売員のお姉さんに機嫌よく声をかけ、サーカスグッズを二人にプレゼントした。ピエロのストラップだった。
それを手渡されたマオは、ユキの裾を引っ張った。「ねえ、本当にサーカスを辞めちゃったの?」
マオはジョンとミカのことを心配しているようだ。ユキはそんな彼女の手を軽く握ってやった。「見ていれば分かるわ」
十分後、サーカスは盛大に始まった。序盤にピエロの宝石パフォーマンスで盛り上がり、ジャージを何枚も着こんだ女性がダンスを踊って跳ねまわる様は、インパクトがあって美しくもあった。
天井の高い所に設置されたブランコを飛び回る男女に、観客は皆固唾を飲んで見守った。成功すると大きな拍手が沸き起こった。
次のパフォーマンスが始まると、観客にどよめきが起きた。ステージの奥から、二人の兄妹が一輪車に乗って出てきたからだ。一人はジョンで、もう一人はミカだ。
『二人は仲良し兄妹。いつも一緒に外で遊んでいます』
女性のナレーションが流れ、二人は互いに追いかけっこをしている。
「おい、どういうこと――」
おじさんが声を張り上げるのを、ユキはすばやく手で口を押さえて止めた。前の席を蹴ろうとする足を、片手で動かないようにする。
『二人は家を飛び出し、大きな花畑にたどりつきました。いろんな色の花が、虹のように咲いています』
ジョンとミカは、花の間で戯れる蝶ごとく走り回り、ミカが捕まえようとするのを彼はダンサーのように華麗によける。
『おや、お兄さんが腕を羽ばたかせています。虫さんごっこをしようと誘っているようです』
それを見たミカは、見よう見まねで羽ばたいて見せる。ジョンはついて来いと手を伸ばす。ミカがそれを握ろうとすると再び走り出し、追いかけっこが再開する。
ユキは満足そうに二人のショーを楽しんでいた。やはり彼らにはこの場所が一番合っている。それは彼ら自身がよく分かっているはずだ。観客をこんなにも惹きつけ笑顔にする気持ちはどんなだろうか。
少しすると、ミカは追いかけるのをやめ、ステージ裏へと戻っていった。彼女を見失ったジョンは、かごに閉じこめられた虫のように不安げな表情を浮かべ、辺りをキョロキョロと見回す。
突然軽快な音楽が鳴り始めた。同時にミカが黄色のボールをジャグリングしながらやって来る。ジョンは、それはなんだい、と言いたげに首をかしげた。
『妹は、ボールを持ってきましたよ。どうやら、花粉を固めた物のつもりのようです』
ミカはジョンへボールを下から投げ、彼はそれを受け取ると同じように返す。二人でジャグリングを始めた。観客から拍手が湧く。
ゆっくり移動しながらジャグリングし続ける技に、皆魅了されている。難しい技をしているにもかかわらず、ジョンとミカは楽しそうに笑っている。皆の目には、仲良く遊ぶ兄妹として写っている。
そして手を止めてボールを半分ずつ持つと、一輪車から降りて両手を横に広げた。とたんに拍手と歓声が波のように押し寄せる。
「すごいね、お姉ちゃん!」
マオは鼻息を荒くして、手が赤くなるほど拍手をしている。ユキも小さく祝福した。
ふと、隣に座るおじさんを横目で見た。拍手も歓声も送ることなく、黙ってステージで手をふる兄妹を寂しそうな目で見つめている。
おじさんは、大きく会場の空気を吸いこみ、ため息をついた。そして乱暴に立ちあがる。
「どこへ行くんですか?」
目の前を通ったおじさんの背中にユキは尋ねる。
「……俺は、いつまでもここで油を売っているヒマは無いんだよ」
一瞬顔を向けると、すぐに出口へと駆けていった。
パフォーマンスがすべて終了し、出口から続々と観客が吐きだされていく。皆、満足そうに語り合っている。
マオは二度もサーカスを見れて、ユキと手をつなぎながら兄妹の踊ったダンスをまねしている。傍目には同じ動きには見えず、創作ダンスのように思える。
二人は屋台通りを通って、レッカーのいる街外れへ向かった。屋台には、サーカスを見終わって腹ごしらえをするお客でごった返している。気をつけて歩かないと、すぐ知らない人と肩をぶつけてしまう。
ふと、ユキは土産店に目が止まった。あのおじさんの店だ。歩幅を緩めて様子をうかがうが、中に誰もいないようだ。
ユキの歩き方が遅くなったため、マオは「どうしたの?」とお姉ちゃんを見上げ、周囲を見回す。すると、「あっ」と手をふりほどいて、その土産店へ急に走って行ってしまった。
しまった、とユキは顔を強張らせた。せっかくサーカスでマオの気を反らしたのに、これでは元も子もないではないか。
この街を出れば、しばらく長い旅をすることになる。だから、なるべくお金は食糧やレッカーの燃料代に回したい。今日は何が何でも引っ張っていかなければ。
甘やかしているだけでは、ただのワガママになってしまって迷惑だ。
マオは、並べられた商品をなめ回すように見ている。好奇心いっぱいの表情だ。これはマズイ。
ユキも、ちらっと品物を見てみた。物はそれほど変わっていないが、手前の陳列棚の一角が片づけられている。売れたのか、あるいは撤去したのか……。
「行くわよ」
マオの手を握ると、思っていた通りねだって来た。シュミレーション通り、無理やり連れていく。しばらく口を聞いてくれないことは確実だ、とユキは頭の片隅で思った。
ユキとマオはレッカーに乗って、サーカスのいる街を後にした。
翌日、土産店に若い女性が訪ねてきた。その日にこの街へ観光にやって来たのだ。
どうやらこの店は、古くから伝わる民俗衣装や装飾具を売っているようだ。屋台を見て回っている夫にねだれば、何か買ってくれるだろうか。
「あら?」
陳列棚の一角に、サーカスのコーナーがつくられていた。そういえばさっき街の人から、昨日までサーカス団がいたことを聞いた。車が故障しなければ、見れたはずなのに。ふうとため息をついた。女性は商品の一つを手に取った。
「このぬいぐるみは何の人形なんですか?」
それはね、と女性が持つ一輪車に乗る男の子の人形と一緒に、一輪車に乗っている小さい女の子の人形を抱かせた。
「サーカス団の、仲のいい兄妹ですよ」
おじさんは、ふふっと笑った。
第二話完結です。読んでいただき、ありがとうございました!




