第三十七話:レイン・タウン
冷たいシャワーのような雨が、その小さな町に降っていた。空から落ちてくる滴は、肌に突き刺さりそうなほど冷えきっている。
洋風の家と石畳の道がどこまでも続くこの町は、雨のせいで薄暗く、遠くがぼやけて見える。地平線の輪郭があやふやで、どこが天と地の境目なのか、はっきりしない。薄く霧がかかっていて、山のある方角から道路を這いながら広がっていく。
人や動物の声はまったくしない。皆、自分の家に身を潜めて、雨が止むのをじっと待っていた。他の街へとつながる大きな道路は町はずれにあるから、ここまでは車の音も聞こえてこない。雨の降る音によって、すべてが存在を消されたかのようだった。
平らな道を、男が一人走っていた。紺色のカッパを羽織っていて、その下はスーツだ。顔は四十代後半に見える。
男は、住宅街を抜けて畑の広がる所にいた。畑は水を吸いすぎて土が削れてしまっている。用水路には次々と茶色く濁った水が流れ込んでいた。
彼はあまり走るのは得意でないようだ。二百メートルほど進むと走るのをやめて歩き、少ししたらまた走る、という行程を繰り返している。
すると、背後から車の走る音がしてきた。男は振り返る。
雨を弾き飛ばすようにして、一台の荷台付きクレーン車が疾走していた。車体の色は白だ。ライトをつけている。
男は、そのクレーン車に向けて大きく両手をふった。その顔は、とうに疲れ切っていた。
彼の想いが通じたのか、車は目の前で停車した。
男が運転席側にまわると、ウインドーが開いていた。そこから、一人の女性が顔を出している。歳は十四歳くらい。紺色の作業着を着ていて、ショートヘアーに切りそろえられている。
「すまない、ちょっと乗せていってくれないか」
男はゼーゼーと息を切らしながら頼みこむ。
「……ええ、構いませんよ。どうぞ」
運転席の女性は、いったん外へ出ると、男に真ん中の席へ乗るように促した。
彼は言われたように従う。カッパは、中に入るとすぐに脱いで足元に置いた。
助手席には五~六歳くらいの女の子がいて、ピンク色のカッパを着ていた。突然の中年男性の出現に、戸惑っている。視界から逃がさないという風に、じっと彼を観察していた。
「助かった。ぼくは気象観測員をしている。この町の異常気象について調べているんだ」
懐からハンカチを出すと、男はメガネを拭き始めた。
「異常気象、ですか」
ハンドルを握る女性の前髪から滴が落ちている。彼女はそれがあまり気にならないらしく、拭う様子はない。
「ああ、本来この地方は今乾季なんだ。一年前の予報で、地面がカラカラに乾いて農作物に影響があると言われていた」
でも、と女性がフロントガラスから空を見上げる。
「見てのとおり雨が降っている。でも、これは自然現象ではないんだ。我が気象観測協会が設置した装置によって降らせている」
水不足対策ですね、と女性は訊く。
「そうだ。予定では、一日だけ雨を降らせるつもりだった。だが、この町では三日以上も同じ天気が続いている。とっくにダムは満杯だ。自治体から苦情が出ていた。すぐに駆けつけたかったが、雨で地盤が緩んで道路が寸断されたものだから、遠回りをして徒歩でここまで来た次第だ」
はあ、と男はため息をつく。
すると横から、
「おじさんが雨を降らしたの?」
女の子が尋ねる。
「そうだよ。ぼくがやったんだ」
彼は、ニコッと笑顔を作って答える。
「雨のせいで、お姉ちゃんずっと仕事できないんだよ」
女の子は、ぷうと頬を膨らませた。
「……そうだったのか。それはすまなかった」
彼は女性に頭を下げる。
「いえ、気にしないでください」
女性は感情のこもっていない声で言った。
男の言われた道を進んでいくと、山のふもとに四方一メートルほどの装置が置いてあった。その装置のてっぺんから、もくもくと雲のようなものが湧きだして空に昇っている。
「ちょっと見てくる」
男はカッパを着て外へ出た。そして、しばらくの間装置をなで回す。
やがて、運転席の下まで戻ってきた。
「どうやら、故障しているようだ。ここでは直せないので運びたいのだが、お仕事を頼んでもいいかな」
男の言葉を聞いた女性は、少し表情が明るくなった。
「分かりました」
気象観測協会は公的機関だから、報酬は期待してもいいだろう。
女性は外に出ると、荷台に積んであるロープを持ってきて装置にくくりつけると、クレーンで吊り上げた。そして荷台に載せる。
「装置の電源を切ってもらっていいですか」
女性は男を見る。
「ああ、もちろんだ」
再び装置をいじり始めた男だが、少しして絶望に満ちた顔をした。
「大変だ。スイッチが切れない。内部バッテリーがなくなるまで止まらない」
え、と女性は一歩下がる。
「つまり、この車を中心に雨が降り続くということになる」
目的の場所に着く数日の間、クレーン車の上には常に雨雲が広がり、土砂降りが続いた。
そのお詫びとして女性は多額の報酬をもらった。
「また仕事を頼んでもいいかい?」
男が尋ねると、
「降水装置を運ぶ仕事でなければ、お受けします」
女性はキッパリと言い放った。
三十八話をお楽しみに。




