第二話:石ころのように⑤
おじいさんから話を聞いた後、ユキはすぐに教えてもらったおじさんの家へ向かおうとしたが、無理やり手を引っ張ってマオを連れ回していたことが発端となり、ケンカになってとうとう泣かせてしまった。
マオはレッカーの中に閉じこもって塞ぎこんでしまい、ユキはその面倒くささに疲れ、そのうちだんだんおじさんを探すことがそれほど重大でないと思い始めていた。
ユキだって、ロボットのことが嫌いだという人を何回も見てきた。そんな人に自分たちのことを好きになってもらおうとはしたことがない。その人たちの持論の根っこは深く、ユキが出ていって説得した所で、その考えを簡単に変えることはできないだろう。
でも、まだ何か引っかかることがあった。それは、かつて自分が大事な人を亡くしたことがあるからかもしれない。彼女はそう考えていた。
一時間ほどすると、雲の途切れ目からオレンジ色の光が市場にさしこんできた。ちぎれてバラバラになった雲が、夕日に縁取られて光り輝いている。
店を出しているお年寄りは空を見上げ、きれいじゃのうとつぶやいているが、ユキはそんなものに目もくれず、レッカーの止めてある街はずれに向かっていた。そろそろマオの頭も冷えてきた所だろう。そして空腹を訴えてくるはずだ。あの子の怒りは、熱しやすく冷めやすいのが常だ。
「おかえり」
助手席のドアは開かれ、外に足を投げ出してマオは座っていた。少し気まずそうに鼻の頭を掻く。
「ただいま」
ユキは買ってきた携帯食料を席の間に置くと、マオの右ほっぺをつついた。驚いてふり向く。ユキはニコッと笑っていた。
「夕ご飯、食べに行くわよ」
片手で軽くマオの背中を押した。手をワタワタさせるが、きれいに着地した。
ドアを閉めて回りこみ、ユキは心臓の鼓動が速いマオに手をさしのべる。マオはためらうそぶりを見せたが、そっとユキの手を握った。
ユキはマオに足並みをそろえ、夕日の光が濃くなった街に入っていった。
食事を終えたころには、空はすっかり暗くなっていた。真っ暗でないのは、月や星が光っているからだ。
屋台通りは、夜でも活気を見せていた。別の街や遠くの山から帰ってきた労働者が、ここで腹ごしらえするために集まってくる。
男共でごった返している通りに、ちらほら女性たちの姿が見える。サーカスの一団も食事なのかと思ったが、妙にうろたえている。満足そうにパンパンの腹をさすっているマオを連れ、そっと後をつけてみた。
ジャージ姿の女性は人々の間を縫って、ネズミ一匹でも見逃さないような目つきで何かを探している。屋台の明かりに照らされた顔は、青ざめているように見えた。たまに男と肩がぶつかり、平謝りする。
少しすると、女性は人通りの少ない路地裏に歩いていった。そこまで追いかければ、さすがに見つかるので足を止めた。
「どうして追いかけたの?」
マオには、あの女性をつけていたことはばれている。別に、と突き放すように言った。「嫌な予感がしただけよ」
サーカスが終わってからずっと、あの子たちのことが頭の片隅にこびりついていた。他人同士なのになぜまた気にかけているのか。それはきっと……
「あ、すみません!」
聞き覚えのある女の子の声に、二人は背後を見た。服のあちこちに泥をつけたミカが泣きそうな顔で立っていた。「何かあったの?」
「はい、ジョンが突然いなくなったんです」
「どうして? みんなで彼を責めたの?」
「そんなことあるわけないじゃないですか! 急に姿を消したんです」
手掛かりはあるの、と尋ねながら、ユキはミカと走り始めていた。なぜだろう、相手が子どもだから? 同じロボットだから? 人工知能がどうかしているのだろうか。
やみくもに探し回った。手当たり次第に「サーカスの子を見ませんでしたか」と尋ねた。普段街で見かけない者がうろついていたら、誰かが気づいているはずだ。
サーカスの子が行方不明になったという知らせは、瞬く間に街に広まった。それほど大きくない街だから、人々の一体感は強く、うわさが立ちやすい。
「ジョンは生き物が好きなので、もしかしたらそれに関係する所にいるかも……」
ミカがそうつぶやいた時、マオが「あっ」と声を出した。ユキとミカはわらをもつかむようにふり向いた。
「あたし、生き物がいっぱいいる所知ってるよ」
街にそんな所があるの、と返すユキだが、自信ありげなマオに付き従うことにした。「さっき通った所だと思うから」
そう言って、マオは二人を連れて走っていった。
マオがやって来たのは、街外れの川辺だった。川に沿って倉庫が並んで建っている。街灯があるおかげで、視界は良好だ。いつの間にか、地面が石畳になっていた。
「あ……」
ミカが息をのんだ。彼女は石造りの橋の下を指さす。黒い影がしゃがみこんでいる。こちらに背を向けているが、姿はジョンにそっくりだ。
「ジョン!」
ミカは小走りで階段を下りていく。ビクッと体を震わせた影は、立ち上がってこちらに顔を向けた。橋に遮られていた月の光が照らした。疲れ切ったジョンの顔がそこにはあった。
「どうして? どうしてわたしに黙って行っちゃうの? 心配したんだから」
もう二度と離さないと言わんばかりに抱きついている。顔をくしゃくしゃにするミカの頭を、ジョンは優しくなでた。
「ゴメンよ。君も一緒に連れていくべきだったね」
違うでしょ! と涙声で抱きついていた体を離した。「またサーカスやろう?」
「ぼくはもうサーカスはやらない。今日のおじさんみたいに、ぼくらを差別するような人の前に立ち続けるなんて、辛いんだよ」
イヤだ、イヤだ、イヤだ……とミカは喘ぎながら訴える。しかし、今のジョンにその言葉はただただ心が痛むだけのものであった。
「それにぼくは、辛い顔をして稽古する君を引っ張っていくのは疲れた。ぼくには、その力はすでに無いんだ」
ミカは崩れ落ちた。そんな……そんな……とくり返す。人間であったなら涙があふれているだろう。
「あなたは何を見てたの?」
逃げようとするジョンの前に立ちはだかったのは、ユキだった。
「何のことだい? ぼくは見てたよ。ぼくやミカをステージから引きずり降ろそうとする男の姿をね」
「やっぱり。何も見てないじゃない」
ユキは鼻を鳴らす。険悪な表情のジョンは、ミカの脇を通ってユキの前に仁王立ちした。
「訳の分からないことを言わないでくれるかい? 会場に君はいたはずだ。それなら、ぼくらどころか、全員の視線が集中していたのは知っていると思うよ」
「あなた、他のお客さんはどんな顔をしてショーを見てたと思う? スリルに満ちて、ハラハラドキドキで、楽しそうにしてたわ。男のことなんかどうでもいいじゃない。九九パーセントの人を楽しませるのが、プロの仕事でしょ? あなたは少数の批判にふり回されすぎ。あなたがそんな風にヘタレだから、ミカも腕の悪いガキみたく思われるのよ」
「ミ……、ミカをバカにするな!」
気がついたら、ジョンはユキの頬をこぶしで殴っていた。ユキはその場に倒れこむ。
「ミカはな、団長に見えない所で一生懸命練習していたんだ。その努力も知らないくせに、分かった風な口を聞くな!」
でもね、と頬をさすりながら立ちあがった。「世の中は結果がすべてなの。いくら練習していても、お客さんにはその姿は見えないわ。悔しかったら、本番であなたたちが楽しそうに披露する姿を見せなさい」
すると、ジョンは、何かを思いついた表情をし、興奮して強張っていた表情が消えていった。
「行こう、ミカ」
ジョンは彼女の泥をほろってやると、手を取って立たせた。そしてユキやマオの横を通り過ぎ、街灯の光を避けるように闇の中へ消えていった。
駆けてきたマオがユキを見上げ、ほおを母親のように優しくなでた。
6へ続きます。




