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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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袁紹~霧の中にて

 袁紹の悪夢の最も深い部分に救っていた最悪の妻、劉氏はついに地獄に落ちました。

 袁紹は劉氏とのつながりを断ち、自らの道を進もうとします。

 しかし、袁紹の目の前にまだ劉氏との子供が残されています。


 憎むべき女との間にできた、最愛の息子……袁紹は彼にどんな言葉をかけるのでしょうか。

 劉氏の姿が見えなくなると、袁尚は少し寂しそうに言った。


「父上、僕ももう行くね。

 せっかく父上が救われて本当の母上や煕兄さんに会えるのに、あまり引き止めちゃ悪いし」


 袁尚は、それでもそっと手を伸ばして父の頬に触れた。

 そして、すまなさそうに顔を伏せてつぶやく。


「ごめんね……父上の気持ち、無駄にして……。

 思えば、父上はあんなに僕を大事にしてくれたのに、僕は何を迷っていたんだろう」


 袁尚は、焼けて腫れた指で、袁紹の額をゆっくりと撫でた。


「昔僕が病気で苦しんでいた時も、父上はこうして僕を撫でてくれたのに。

 ……そのために、父上は天下を取る機会すら見送ってくれたのに!

 僕は、何でそんな父上よりもあんな母上を選ぼうとしたんだろう!!」


 その言葉に、袁紹は胸を詰まらせた。


  袁紹は昔、袁尚の病気を理由に出兵を見送った事があった。

  袁紹にとって、最愛の息子への愛は天下より重かった。


 その時の事を思い出すと、曹操も思わず目頭を押さえた。


 その時曹操は、別の敵を攻めていて都を空にしていた。

 あの時袁紹が出兵して攻め込んでいれば、曹操は滅ぼされていたかもしれない。


  袁紹は、この息子への愛のために全軍の運命を投げたのだ。


 それを思うと、袁尚は自分が恥ずかしくて涙が止まらなかった。


 袁紹は、そんな可愛い息子の手を取り、ぎゅっと握った。

 そして、涙でにじむ視界でまっすぐに息子の顔を見つめながら、優しくささやく。


「大丈夫だ、また会える。

 どれほど時が経とうと、わしはおまえを待っておるぞ。

 だが、その前に……」


 袁紹は、にわかに厳しい顔になって告げた。


「再びわしに会う前に、一つ宿題を出しておこう。

 譚が、地獄にいる……おまえは譚に非礼を詫び、仲直りするのだ」


「え、クソ兄……譚兄さんが地獄に?」


 袁尚は思わず生前のままに呼びかけ……はっと口をつぐんだ。

 しかし袁紹はあえてそこには触れずに、静かに話を続ける。


「本来なら、冥界に行こうとしておったのだが……わし自身が、許せなかった。

 父として、精いっぱいあやつを愛したわしを下賤と罵り、いつも心で蔑んでいた。

 そして、わしはこの力であやつを地獄に落とした。だから、今は地獄のどこかにいるはずだ」


 それを聞くと、袁尚はちょっと気まずそうな顔をした。


「いつも父上をバカにしてたの……?

 うわ最低、それなら仲良くなれる気がする」


 それでもあまり驚かないのは、袁尚自身が薄々気づいていたからだろうか。

 そうとも、兄に問題がなければ、いかに母が自分を推していてもそう簡単に後継者候補になれる訳がない。

 少なくとも、袁紹と袁譚の間に確執があることは袁煕から聞いていた。


  さすがに、父が兄を地獄に落としてしまうとは思わなかったが……。


 だが、兄がそんな性格なら、逆に自分とは分かり合える気がした。


  自分が世界で一番偉いんだと思い込んだ、虚飾の王。

  甘やかされて、名誉に奢った最低の息子。


「分かった、会えたら必ず謝る。

 それで、できれば二人でお父上の所に帰れるといいな!」


 にっこりと微笑んで、袁尚はうなずく。

 袁紹も、最後に素直になってくれた息子に泣きながら微笑んだ。


「いつまでも、待っておるぞ……。

 さらばだ、尚よ……譚に、よろしくな」


「はい、父上……世界で一番、愛してます」


 ゆっくりと、袁紹の手から袁尚の手が離れる。

 同時に、袁尚は掴んでいた金網を放した。


 支えを失った袁尚の体が、沈むように下がっていく。


  地獄から吹く風が、帰還を喜ぶように舞い上がる。


 最後までお互いの姿を目に焼き付けるように見つめ合って、袁紹と袁尚は離れていった。

 だが、もうその目に後悔はなかった。


 生前、二人はうわべでは愛し合っていても、心はお互いを見ていなかった。

 それが、こんな数奇な再会でようやく通じ合うことができた。


  もう、心が離れることはない。


 赤子をくるむような優しく温かい愛情を胸に受け取って、袁尚は幸せを噛みしめながら地獄へと落ちていった。



 気が付けば、床は金網ではなくなっていた。

 辺りはもう、赤と黒の穢れた空間ではない。


 袁紹と曹操は、白い霧に包まれていた。

 呼吸をするたび、肺の中が洗われるような清浄ですがすがしい霧……。


  白くひんやりとした風が、二人の頬を撫でる。

  立ち込めた霧の上から、ぼんやりと太陽の光が降り注ぐ。


 二人は、いつの間にか地上にいた。

 これまであんなに幾重にも二人を取り巻いていた悪夢は、もう影も形もない。


「戻って、来られたのか……?」


 半信半疑でつぶやく曹操に、袁紹が安堵に満ちた声でささやく。


「ああ、ようやく、ここに戻って来られた」


 袁紹が見つめる先には、大きな城の門があった。


 それを目にした瞬間、曹操の顔に歓喜が弾けた。

 自分は、この門をよく知っている。


  これは、洛陽の城門だ!


 袁紹が自分を呼び出した洛陽の、入り口の門。

 まだ人の姿は見えないものの、たなびく霧の向こうからかすかに人のざわめきが流れ込んでくる。


 ここはもう、現世に近いのだ。

 人の気配が感じられ、怪物の気配は全くない。


  長い旅路を終えて、曹操はついに悪夢から帰還することができたのだ。


 そして今、曹操の手の中には、親友の手が握られている。

 冷たい死者の体温……しかし、確かに一人の人間がそこにいる。


 曹操は、ゆっくりと袁紹の方を振り返った。

 袁紹が息子の病気を理由に出陣を取りやめたのは、実話です。

 そのため袁紹は曹操を滅ぼす最高の機会を逃してしまい、結果として滅びの道を辿ってしまいました。

 袁紹は天下を総べる英雄ではありませんでしたが、誰よりも家族を愛する心にあふれた父親だったのです……私が袁紹を好きな理由です。


 さて、長かった悪夢行もあとほんの少しで終わりです。

 きっちり終わりまで書き切っていきますので、あと少しお付き合いください。

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