表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
191/196

袁尚~金網の穴にて

 袁紹との縁を辿って地獄から這い上がってきた劉氏をつてに、同じく地獄から上がってきた袁尚……彼には、大切な人に伝え残したことがありました。

 しかし、その大切な人は地獄にいないため、今しか伝えることができないのです。


 袁尚の大切な人、そして最後に抱いた家族への想いとは……これまでの袁譚編、孫策編、劉氏編を思い出しつつご覧ください。

「尚……おまえという奴は……!」


 袁紹は、がくんと膝を折った。

 目の前に、自分によく似た息子の顔が見える。


  この子と同じ場所に行くことは、もうできない。


  自分には、行くべき場所がある。

  生前果たせなかった思い、届かなかった愛情を届ける場所へ。


 嗚咽する袁紹を少しでも慰めるように、袁尚は言った。


「大丈夫だよ、父上。

 きっとまた会える……地獄は閉じ込めるところじゃなくて、罰を受けて罪を償うところなんだよ。

 だからきっと、煕兄さんとも……」


 袁尚の言葉は、自分にも向けられていた。


  最後まで一緒にいてくれた、大切な兄、袁煕。

  彼と会えなくなるのは、袁尚にとっても辛いことなのだ。


 袁尚は、そっと父の頬に手を伸ばした。

 そして、焼けただれた手で冷たい涙を拭う。


「ねえ、父上……冥界で煕兄さんに会ったら、一つ伝言してもらっていい?」


 息子の願いをこめた言葉に、袁紹はどうにか顔を上げた。


「何だ?」


 袁紹が聞くと、袁尚は恥ずかしそうにはにかんで告げた。


「僕はね、自分が世界の王様みたいに思って、煕兄さんにもいろいろ恥ずかしい思いをさせちゃったから……そのこと、謝りたくて。

 最後に僕たちが首をはねられる時も、煕兄さんにたしなめられてさ。

 あの時は死ぬのが怖くて、ごめんも言えなくて」


 袁尚の言葉には、袁煕への後悔がにじみ出ていた。

 袁尚は、少しうつ向き加減になって続ける。


「首をはねられる時にね、僕と煕兄さんは湿った土の上にそのまま座らされたんだ。

 そんな風に扱われたのは初めてだったし、せめて死ぬ時くらいもう少し優しくしてくれよって、的外れなことばかり思ってさ。

 それで、僕、煕兄さんの見てる前で公孫康に言ったんだ」


 そこで、袁尚は一旦言葉を止めた。

 顔が、火傷とは別に赤くなっている。


  自分でも、相当恥ずかしいのだろう。

  でも、父と兄に気持ちを伝えられるのは、次がいつになるか分からないから。


 袁尚は、ちょっと震えて調子の外れた声でささやいた。


「足が寒いからむしろを敷いてくれって……。

 バカだよね?これから首をはねられるのに……兄さんがどんな思いをしたか……」


 それを聞いて、袁紹は拍子抜けしたような顔をした。

 息子のあまりの愚かしさに、開いた口が塞がらない。


 曹操も、その話は聞いていた。

 公孫康の使者が、袁煕と袁尚の首を持ってきた時だ。


  袁家の兄弟は、最後まで無様でありました。


 使者は含み笑いを漏らしながら、曹操に告げた。



 弟の袁尚は最期に足が寒いとむしろを求め、兄の袁煕が見かねてそれをたしなめた。


「これから首が万里を旅立つのに、なぜ今むしろが要るのか!」


 きっと、袁煕も相当恥ずかしい思いをしたに違いない。

 これを聞いた時は、曹操も呆れ果てて失笑した。

 袁尚は、そこまで愚かに育てられていたのだ。


 その元凶は、今目の前にいる醜い女、劉氏だ。

 劉氏は自分が息子を操りやすいように、息子に欲しがるものを何でも与えて反抗心を奪い、虚構の王様に仕立て上げた。


  その結果、袁尚は死して父にも兄にも会えなくなってしまった。

  せっかく兄に非礼を詫びる気になっても、もうそれを伝えることができない。


 袁尚は、それを何より心残りに思っていたのだ。



「冥界で煕兄さんに会ったら、伝えて……。

 あの時は寒かったけど、こんなに熱くて毎日焼かれる地獄に行くなら、むしろなんて全然いらなかったよって!」


 袁紹は、無言でうなずいた。

 それを見て、袁尚も安心したように微笑む。


  これでもう、心残りはない。


 袁尚はすっきりしたように一つ吐息を漏らすと、母の髪をぐいっと引っ張った。


「さあ、そろそろ母上を連れて帰らなきゃ。

 地獄に落ちた人間が、あまり長くこんな所にいたら罪が重くなっちゃうもの」


 袁尚は、いきなりそっぽを向いて問いかけた。


「ねえ、鬼さん?」


 その言葉に、袁紹と曹操ははっと袁尚の視線を追った。

 その先には、ずっと袁紹についていた小鬼が佇んでいた。


「なっ!?」


 驚いている二人の前で、小鬼は淡々と言った。


「せやなあ、地獄からの脱獄は感心せえへんで。

 何や変な気配がするから来てみたら、やっぱり上がって来とったか。

 こらあ、この奥方はんは厳罰加算やなあ!」


 小鬼の困ったような視線は、劉氏に向いていた。


 そうとも、この小鬼の役目は魂をあるべき所に振り分けることだ。

 地獄にしてみたら、劉氏のように脱獄を企てる罪人は論外だ。


  罪は、罰を。

  劉氏は、さらに深く暗い奈落に落ちねばならない。


 それを聞くと、袁紹は震える声で言った。


「ま、待て……劉はいい、だが尚は……。

 尚をこれ以上重い罰に処するのだけは、勘弁してやってくれ!!」


 袁紹にとって、劉氏は元々他人だし、最も憎むべき仇なので厳罰で構わない。

 しかし袁尚は、ただ育て方を間違えただけの最愛の息子なのだ。


 それを聞くと、小鬼は少し困った顔をした。


「うーん、せやなあ……息子さんの方は、脱獄したい訳やないから加算はありませんわ。

 けど、こんなにしっかりしがみついとると、離れてくれへんとどうしても一緒に落とすことになりまっせ」


「!?」


 袁紹は、雷に打たれたようにばっと袁尚の方を振り向いた。

 袁尚は、母の髪を乱暴に掴んで引き寄せ、母の首に手をかけてしっかりとつかまっている。


  劉氏が袁尚を引きずっているのではない。

  袁尚が、劉氏を放さないのだ。


 父の視線に気づくと、袁尚は嫉妬の形相で唇をとがらせた。


「だって、しょうがないじゃない……。

 生きてた時は、母上は父上にばっかり構って僕をしっかり見てくれなかったもの!

 母上は僕の母上なんだよ、父上の母上じゃない!!」


 そう言われて、袁紹はようやく気付いた。

 袁尚は、自分に母上を取られたと思っていたんだ。


  劉氏が袁紹の母への思いに応じれば、当然本当の息子は嫉妬する。

  袁紹が劉氏と母を重ねたがために、袁尚は寂しい、歯がゆい思いをし続けていたのだ。


 だから袁尚は、地獄で会えた母にしがみついた。

 そして、もう二度と誰かに取られたりしないように必死で抱きしめている。


  母への想いゆえに、袁尚は劉氏から離れられなくなってしまったのだ。

 伝えたいと思った時に、相手は近くにいない……現代でも時々あることです。

 これほど通信手段が発達している現代でも、死は全てを分かちます。そして死の先に行く場所が、相手とは違う場所だとしたら……。

 袁尚は、最後に自分を叱ってくれた兄にことづけを頼みたくて、袁紹の前に現れたのです。


 そして、劉氏もまた袁尚にとっては大切な人です。

 父が母を自分の母として見ていたら息子はどんな気持ちになるか……これは袁紹と劉氏の歪んだ関係を裏から見た図でもあります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ