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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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袁紹~悪夢の鍋底にて(5)

 諸悪の根源を無力化しても、それで終わりという訳にはいきません。

 現実には、力を失っても悪い奴らはとことんまで逃げようと保身を図るものです。

 劉氏だって自分が悪いと分かっていないわけですから、全力で地獄から逃れようと試みます。

 たとえそれが、何の解決も生まない無駄な抵抗であっても。

 振り上げられた刃に、劉氏は震えあがった。

 袁紹は、今度こそ本当に自分を切り捨てようとしている。


「ヒ、ヒイッ!?」


 すがっている寝台からは、もうさっきまでのような強固なつながりは感じられない。

 なぜだか分からないが、あの弱くて優柔不断だった夫が、自分の呪縛を断ち切ったのだ。


  あんなに自分にすがっていたのに。

  あんなに自分に執着して、何でも言う事を聞いてくれたのに。


 劉氏は、夫の変貌ぶりが信じられなかった。


  こんなの、間違っている!

  自分は、夫のことも息子のことも「ふさわしい」道に導こうとしただけなのに。


 今、袁紹は自分に剣の刃を向けている。

 地獄に落とされた時でさえ、直接この身に刃を向けることはなかったのに。


 このままでは、自分は本当に地獄に戻されてしまう。

 己が罪を理解できず、ただ危機におののく劉氏の前で、袁紹が剣に力をこめた。



「覚悟!!」


 びゅっと風を切って、白銀の刃が振り下ろされる。


「ヒイイイィ!!?」


 劉氏が上げたのは、断末魔の悲鳴ではなかった。

 劉氏は、間一髪刃を避けて飛びのいたのだ。


 その拍子に、寝台のカーテンから劉氏の手につながる一本の糸が露わになる。

 細く、今にもちぎれそうな薄絹の糸が、ふわりと空中に漂う。


「せいっ!」


 次の瞬間、その糸が切れた。

 曹操が、すかさず愛用の名剣を振るったのだ。


「やったぞ、袁紹!」


「ああ、これでもうやつとこの世界をつなぐものはない。

 一気に突き落とすぞ!!」


 袁紹と曹操は視線を交わして、二人で劉氏を追い詰める。

 これで劉氏を地獄への穴に落とせば、戦いは終わりだ。


 しかし、劉氏はなおも逃げ回った。

 両手で体を引きずり、意外にすばしっこく這いずり回る。

 どうしても地獄に落ちるのは嫌だと、刃をかわして逃げ続ける。


「おのれ、しつこい女だ……!」


 袁紹は、いまいましげにつぶやく。


 劉氏と自分のつながりは切れたので、この世界を閉じることはできる。

 しかし、それでは劉氏は再び現世に放り出されてしまう。

 誰よりも身勝手で、多くの人間を悪夢に放り込んだこの悪魔のような女を、地獄から解き放ってしまうことになる。


  そう、劉氏には地獄がふさわしい。

  自分の恨みだけではなく、それ以外にも多くの恨みを背負っているのだ。


「必ずや、地獄に落とさねば!」


 袁紹は、殺されてしまった妾と子供たちを思って奥歯を噛みしめた。


 しかし、劉氏はなかなか捕まらない。

 袁紹から力の供給を断たれ、もう反撃する武器もなくなって丸腰になっても、しつこく這い回って逃げ続ける。

 だが、それを見ていた曹操があることに気づいた。


「ん?あの筋は……」


 劉氏が這い回るのに合わせて、金網の上で何かが動いた気がした。

 立ち止まって目をこらすと、それは確かにあった。


  血錆にまみれた金網の上で、のたうつ血の色のひも。

  いや、ひもというより、血染めの腸が引き伸ばされているようだ。


 赤黒く腐った肉のひもが、金網の上で動いていた。

 よく見れば、劉氏の腹につながっている。

 さらにもう一方の端は……地獄につながる穴から出ていた。


「そういうことか!」


 曹操は、得心がいった。


  劉氏は、地獄に落とされた身ではないか。

  だから、まだ体の一部が地獄とつながっているのだ。


 つまりあれを辿れば、劉氏は逃げられない。


「袁紹、その女の腹とこの穴の間を踏め!

 これを捕えれば、そいつは逃げられぬぞ」


 曹操は、劉氏を追いかけまわしている袁紹に声をかけた。

 とたんに、劉氏が焦りと憤怒の入り混じった顔で曹操をにらむ。


「こ、この成り上がりがアァ!!」


 焦っているのは、弱点を見抜かれた証だ。

 これまでは床の保護色で気づかなかったが、一度見つけてしまえばその動きを追う事は難しくない。


 袁紹が、感謝の笑みを浮かべてうなずいた。


「終わりだ劉よ……」


 それを踏みつけに振り返った袁紹の目の前で、異変が起こった。

 劉氏の腹から出ている腐ったひもが、強い力で引きずられたのだ。


「!?」


 自分も曹操も、まだ触れていない。

 だが、それは勝手に地獄への穴に向かって吸い込まれた。


「ヒ?ヒギイイイィ!!」


 劉氏が、穴に向かってひきずられていく。

 金網に爪を立ててもその力には抗えず、劉氏はどんどん引きずられていく。


 もう、穴はすぐそこだ。


「あ、嫌ああア!?」


 劉氏は、爪もはがれてぼろぼろになった手で、それでもどうにか金網の縁にしがみついた。

 袁紹に地獄に落とされ、寝台のカーテンにすがったあの時と同じように。


 曹操と袁紹はしばし驚いたが、すぐに笑顔を交わして劉氏に迫った。

 この状態ならば、あと一息で劉氏は落ちる。

 二人で片手ずつ踏みつけて、手が緩んだところを蹴りつけるだけだ。


  劉氏は完全に、無防備だ。

  いくら執念があっても、もう逃れることはできない。


 二人は手を取り合って、劉氏に歩み寄る。

 しかし、劉氏の目は二人と……穴の下を交互に見ていた。


  穴の下に、何かがいるのか?


 それでも、劉氏を地獄に引き込むのなら歓迎すべきだ。

 劉氏は地獄にいるべき人間で、相手もそれを分かっているのなら。


 曹操と袁紹は、一度改めて劉氏を見下ろし……そして、金網を掴んでいる手めがけて足を振り上げた。

 その瞬間……まだ何もしていないのに、劉氏の体ががくんとのけ反った。

 まるで下から何者かが引っ張ったように、白髪がぴんと張って頭を後ろに反らせている。


  逃がさないよ。


 誰かの、声が聞こえた。

 劉氏とつながっている地獄の穴から、もう一つの気配が這い上がった。


 劉氏は、前章の終わりで袁紹に地獄に落とされています。

 しかし、袁紹の母への思いをつながりとして、悪夢の中に半身を引き上げることができたのです。


 上半身だけの姿……では、下半身はどうして地獄に留まっているのでしょうか。

 袁紹の母への思いに匹敵する強いつながりで劉氏を放さない、地獄から引っ張る者の正体は……。

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