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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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袁紹~悪夢の鍋底にて(2)

 曹操が楼閣の頂上に袁紹を迎えに行った時、袁紹は家族の仇として再び曹操に刃を向けていました。

 一度は打ち解けた袁紹の心を再び閉ざしてしまったのは、劉氏だったのです。


 彼女は、多くの人の助けを得て自分を信じようとした袁紹を、再び操り人形に戻してしまいます。

 袁紹の強くなったはずの心を折る言葉、それはどのようなものだったのでしょうか。

「ぐっ……うっ……」


 こみ上げる吐き気に口を押えながら、袁紹はどうにか目をそらす。


  何の解決にもならないことは分かっている。

  しかし、このまま見続けていたらおかしくなってしまいそうだ。


 気が付けば、自分が入ってきた扉が閉まっていた。

 劉氏は、自分を逃がす気はないらしい。


「どこ見てるのよ!!」


 怒声が轟き、袁紹の首に何かが引っかかる。

 次の瞬間、袁紹は寝台のすぐ側まで引きずられていた。


「……わしを、地獄に連れていく気か?」


 苦しい息の下で袁紹が聞くと、背後の化け物は低く笑った。


「フッフッフ、当たり前じゃない!

 でも安心して、すぐにじゃないわ。

 だって、あなたを生かしておけば、あの成り上がりも一緒に落としてやれるでしょう?」


 その言葉に、袁紹は青くなった。

 劉氏のいう、あの成り上がりとは、間違いなく曹操のことだ。


  劉氏は袁紹だけでなく、曹操までも地獄に落とす気なのだ。


 袁紹は、思わず叫んだ。


「やめろ、あやつは我ら家族には関係ない!

 落とすのはわしだけで十分であろうが!」


 叫んでおいて、後悔した。

 今のは、曹操が自分の大切なものだと公言してしまったようなものだ。

 むしろ劉氏は、それを確かめたくて袁紹を挑発したのかもしれない。


  寝台の中で、化け物が不気味に口角を上げる。


 袁紹の背中を撫で上げるように、猫なで声が響いた。


「あらあ、息子たちの仇を関係ないだなんて、大した旦那ですわねえ。

 あなたの大切な家族を滅ぼしたのが誰か、知らない訳じゃないんでしょう?

 あなたが、大事なお母さんから受け継いだ血筋、全部無駄にしちゃった奴は……!」


 ずきん、と胸が痛んだ。


  言い返せない。

  自分は確かに、袁家の仇にすがろうとしている。


 自分をこの世に生み出した時、母は子供とその子孫の幸せを願ったはずだ。

 それを考えると、袁紹は今自分が歩もうとしている道をひどく罪深く感じてしまった。


 そんな袁紹を嘲笑うように、劉氏はささやく。


「私はね、子供の仇を討ちたいの。

 だって曹操はあなたと私の子を、追い詰めて殺したのよ?

 仇を前にして子供の恨みも思い出せないなんて、父親失格ねえ!!」


 はっきりと言い切ったその言葉に、袁紹は言葉を失った。


  内心、これは違う、と思う。

  そもそも、その仇の情けにすがって何年も生き延びていたのは劉氏ではないか。

  その自分を差し置いて、そんなことを言う資格などあるものか。


 心の中で、うるさいほど反論しろと叫んでいる。

 しかし、頭はみじめに停止したまま動かなかった。

 父親失格……その言葉が、袁紹の心を串刺しにしていた。


 自分は確かに、子供たちを誰一人として幸せにしてやれなかった。

 そんな自分に、本当に助かる資格があるのか……。


「だって、ねえ……あなたは、あなたが地獄に落とした人たちより本当にいい人なのかしら?

 袁術だって、息子と娘は江南で無事に生きているわよ。

 あなたは、家族の誰も幸せにできなかったのに?」


 劉氏の残酷な言葉が、袁紹の心をぎりぎりと締め付ける。


  おまえに、幸せになる資格などない。

  おまえはとんでもない父親失格の男だよ。

  現実を見ろ、おまえは家族のために何も為せていない!


 袁紹の胸に、子を失った時の痛みが次々と蘇る。


  袁譚が、死んで幽霊となっているのを見た時。

  袁煕と袁尚が死んだと、劉琦に聞いた時。


 いろいろ他にも思うことはあったが、それでも親として心が痛んだ。

 自分はこの子たちのために、もっと何かしてやれたことがなかったのか……後悔して、涙を流した。


 苦しむ袁紹の首根っこにさわりと手を触れて、劉氏は言う。


「ねえあなた、最後くらい、子供たちに報いてあげましょうよ。

 私とあなたで、曹操を地獄に落とすの。

 そうしたらきっとお母さんと子どもたちも、あなたの想いだけでも認めてくれるわ」


  今のおまえに価値などない。

  曹操を殺せ、それだけが家族に報いる道だ!


 在りし日のように、袁紹の心は完膚なきまでに折られていた。

 家臣や友人が何を言おうと、家族についての現実は変わらない。


(助けてくれ、曹操……!)


 袁紹の体は、少しでも楽になりたいがために剣をとった。

 心が切り離され、劉氏の糸で操られる人形のように。


 動けなくなった心は、自分のものでなくなった体を眺めながら曹操の助けを求めるしかなかった。



 楼閣の最上階で正体を暴かれると、劉氏は袁紹を連れてこの地獄の入り口に陣取った。

 曹操がここまで来れば、地獄に落とすのは容易だ。

 それに、曹操のことだから、きっと袁紹を救うという優しい目的を果たしにここに来てしまうのだろう。


  袁家から逃れて隠れ住んでいた日と同じ。

  自分には、待つことしかできない。


 だが、袁紹はそれでも力を振り絞って、曹操のために逃げ道を用意した。

 手紙と一緒に置いておいた、あの荊だ。


(あまり強情になるなよ。

 おまえだけでも逃げろ、曹操……!)


 自分はもう、戦えない。

 二人で戦うことができない以上、もう助けてくれとは言えなかった。


 おぞましくて自分でもこれまで入れなかった、悪夢の渦巻く冀州城。

 その中庭に場違いに生えていた荊を、袁紹はとっさに手折った。


  有刺鉄線ではなく、みずみずしい植物の香りがする荊だ。


 確か、昔自分が荊にはまった時、曹操が助けてくれたはずだ。

 これは、あの時の荊だろうか。


  だとしたら、この場所にある意味がよく分からないが。


 少し疑問を覚えたが、袁紹にそれ以上考える余裕はなかった。

 それに、悪夢などというものは元々あいまいなものだ。

 自分が作り上げたこの悪夢の世界は、元々不条理に満ちているではないか。


 今はただ、曹操が助かってくれればいい。

 血の糸に絡まれて祈るばかりの袁紹の耳に、よく知っている旧友の声が響いた。


 人はどうしても、家族に対して特別な思いを抱きがちです。血がつながっているのですから、当然かもしれません。

 しかし、時としてそれは外の世界からの助けを阻む障壁となります。

 子供の虐待や夫婦間の暴力などで外部が介入しようとした時に、「家族の問題に口を挟むな!」「部外者に家族の何が分かる!」と言って救いの手を跳ね除けてしまうのは、現代でもよくあることです。

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