曹操~深淵の冀州城にて(4)
パソコンがようやく修理できたので、遅ればせながら投下します。
悪夢行もだいぶ終わりに近づいてきたので、そろそろ次回作について考えを巡らせる今日このごろ。
サイレントヒルは書いていて楽しいです。
次回作の構想について、詳しくは活動報告にて。
部屋を出ると、城の異変はさらにおぞましさを増していた。
城の壁や柱に血管めいた筋が走り、ざわざわと蠢く。
床に散らばった血の穢れが煤のようにはがれて舞い上がり、火の粉となる。
そしてはがれたところには、また壁や天井から落ちてきた血の滴で染みができていく。
袁紹の苦しみが、増しているのだろうか。
曹操は、足早に城の中心部へと急いだ。
地獄の火の明りを追って曹操がたどり着いたのは、袁家の生活空間だった場所だ。
曹操が踏み込んだ時には、劉氏がいた場所。
袁紹の死後、権力と名声に固執する劉氏が、袁紹の遺命を利用せんと巣食っていた場所だ。
その入り口に、三枚の絵がかけられていた。
両側に若者が単体で描かれた絵、そして中央は親子三人だ。
『親不孝者、袁譚』
右側の若者の絵には、こう名付けられていた。
世の中をなめて侮ったような、胸を張るというよりふんぞり返った若い男。
『卑しい生まれの父親を侮り、自分より卑しいと蔑んだ。
父の悪夢にて愛を知り、地獄にて再会の時を待つ』
曹操は、三人目の母の館でのことを思いだした。
袁紹の生まれを蔑み、父である袁紹自身の手で地獄に落とされた袁譚。
周囲に惑わされて親子の絆を見失い、悪夢に呑まれた酷い息子。
袁紹が袁譚を放り出したのではない。
それ以前に、袁譚の方が袁紹を見限っていた。
袁譚が父を侮辱して虚栄の名声に溺れた時点で、この結末は必然だったのかもしれない。
だから、袁譚の絵は袁紹の家族から弾かれている。
自分を愛してくれた父と引き離され、地獄の暗闇に放り込まれて、罪を償うために罰を受けているのだ。
「確かに、この男は己の名声に驕り、世の全てを自分のものだと勘違いしていた。
俺との約束を反故にしただけでなく、父親をも裏切る不孝者であったか」
曹操は、袁譚との戦いを思い出してつぶやいた。
袁紹の死後、袁譚は弟の袁尚に家督を取られてしまい、それを取り返そうと曹操に降伏を申し出てきた。
しかし、曹操が袁尚を追い詰めて自分が有利になるや否や、曹操に反旗を翻して己の勢力拡大に躍起になった。
そして、曹操が攻撃を加えると、最期まで命乞いしながら戦いの中で討たれた。
どこまでも、自分中心の男であったと思う。
しかし、そんな袁譚が愛を知ることができたのなら、この悪夢は無駄ではなかった。
曹操は、左側の絵に目を移した。
『見捨てられた影、袁煕』
伏し目がちで、口を固くつぐんだ若い男。
何事も諦めたように悲観的な目をして、わずかに下を向いている。
『悪夢に囚われた父より嫌疑を受け、北の果てに散る。
潔白を悟られ、冥界にて父の抱擁を待つ』
この二番目の息子と袁紹の間に何があったかは、曹操は聞いていない。
だが、生前はあまりいい関係ではなかった。
袁譚と同じように、袁紹に疎まれて本拠地から出された。
才能はなかった、しかし袁譚よりは人の心を知っていた。
「なるほど、こやつは純粋に被害者という訳か。
確かに、兄や弟に比べれば、良くも悪くも何もしていなかったな」
曹操自身、袁煕について思い出せることは少ない。
袁紹は初めから、袁煕に後を継がせる気はなかった。
袁煕は袁譚と同じように本拠地から追い出され、後継者争いにも加われなかった。
いや、最期だけは、袁尚の味方でいた。曹操に追い詰められた袁尚を受け入れ、北の果てまで共に逃げ延びて、一緒に首を打たれた。
袁煕は、袁譚と同じ立場にいたはずなのに、袁譚に味方しなかった。
もしかしたら、袁煕は自分が見捨てられた理由を知っていたのかもしれない。
かつて袁紹が自分をいじめる者たちの悪夢に気づいたように、袁煕も袁紹を捕らえた悪夢に気づいていたのかもしれない。
その原因が、兄の袁譚にあることも。
だとしたら、最期に兄ではなく腹違いの弟を守ろうとしたことも説明がつく。
袁煕は、自分が袁譚のせいで同じように見限られたと知った。
それで自分を差し置いて寵愛を受けた弟を恨まず、家族の絆を優先して死ぬまで面倒を見てやったのだ。
あるいは、袁煕自身が家族の愛に飢えていたからなのか。
「哀れな男よ。
だが、冥界ではきっと、この世の分まで可愛がってもらえる」
潔白を悟られ、ということは、袁煕はきっと許されたのだ。
袁紹は、長きに渡る悪夢の旅路で様々なことを振り返って真実を見出している。
曹操は聞かされていないが、ここにこのような文章があるということは、袁紹は袁煕の無実に気づいたのだろう。
曹操は、一息ついて、中央の絵に目を移した。
『袁家の肖像、栄光ある家族』
袁紹と劉氏、そして劉氏に抱かれる幼い袁尚。
先ほどの部屋で見た、幸せな家族の虚像だった。
しかし、曹操は目をそらすことができなかった。
劉氏に抱かれる袁尚の顔が、曹操の目を捕らえて放さなかった。
(袁尚……?いや、これは袁紹か……!)
劉氏に抱かれる子供の顔は、幼い頃の袁紹そっくりだった。
まるで、父親と子供が両方袁紹ではないかと思えるほどだ。
確かに、袁尚は袁紹によく似た美貌の持ち主だった。
しかし、この絵では……もうこの子供が袁紹なのか袁尚なのか分からない。
「……そうか、袁紹……おまえは……」
目を放せないまま、曹操は茫然とつぶやいた。
ここは袁紹の悪夢の中だ。
ここにあるものは、全てが袁紹の悪夢の顕現である。
これは、袁紹が見ていた家族の姿なのだ。
自分によく似た袁尚が可愛がられる姿に、袁紹は自分のあるべき姿を見た。
自分によく似た息子を可愛がる劉氏の姿に、自分を撫でてくれる実母の姿を見た。
だから抱かれているのは、袁紹でも袁尚でもあるのだ。
曹操は、深く頭を垂れた。
いつもは冷徹と言われる目が熱くなり、涙が伝う。
「そうか、おまえはこの家族の中で、幸せだったのだな。
それで、己の中の母を侵食されてしまったのか」
考えれば考えるほど、悲しかった。
だが、曹操には正直その気持ちは分かってやれそうにない。
曹操が大人になるまでは、いつも本当の母親が側にいて愛情を注いでくれたから。
曹家は袁家と違って、兄弟や一族の仲は良かった。
いや、世間一般の家族はだいたいそのほうが多いだろう。
本当の母に愛されて育ち、兄弟たちと仲良く育つ……袁家には、そんな当たり前の家族の光景がなかったのだ。
「冥界に行こう、袁紹。
そして今度こそ、家族の幸せを見つけるんだ」
震える声で、呼びかける。
恵まれぬ親友が、永遠の闇に落ちてしまわぬように。
曹操の涙が、ぽたりと絵の前の机に落ちた。
深い意味がこめられた絵がかかっているのは、サイレントヒル3の演出です。
サイレントヒルでは「神の母、神の娘」として赤ん坊のアレッサを抱く成長したアレッサが描かれていました。それと同じように、劉氏に抱かれて愛情を注がれる子供は、袁尚でも袁紹の投影でもあるのです。
可愛がられる息子の袁尚を自分と重ねて心を満たそうとしたあまり、袁紹は劉氏を実母と重ねてしまうのでした。
それから、劉琦編で語られた袁煕のことも少し。
袁家を滅ぼした曹操は、袁紹の息子たち全員の末路を知っているからです。