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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~深淵の冀州城にて(2)

 久しぶりに記憶の追体験パートが入ります。


 悪夢の冀州城はサイレントヒルの不明世界と同じく、元になった場所にこだわらず様々な悪夢が詰まっているのです。

 その中には、前の館とリンクする記憶も含まれています。

 城の中は、見た目からは想像もできないほど入り組んでいた。

 まるで空間を切り取って無理やり縫い付けたように、いろいろな場所がつぎはぎのように繋がっていた。


 ある建物から出て中庭に入ると、そこはかつて袁紹が住んでいた、汝南の館に変わっていた。

 袁紹が三人目の母に育てられ、実家となった場所だ。


  その場所は、夜だった。

  空は黒く、ひゅうひゅうと冷たい風が吹き抜ける。


 その中庭の隅に、何かがうずくまっていた。

 曹操が近づくと、それは二つの子供の影であると分かった。


「……なぜ、あの子は……」


 唐突に、声が聞こえた。

 子供の声ではない。子供を見守る大人の男の声だ。


「なぜ、あの子は私を卑しいと言うのだろうか?

 私は、必死で名家の嫡子を演じてきたのに、それでは足りなかったのだろうか?

 なぜなのだ、譚よ……」


 声が終わると同時に、子供の影は薄くなって消えていった。

 曹操は一人中庭に残され、どうにもやりきれない気分になった。


  これはきっと、袁紹の記憶なのだ。

  息子の袁譚が自分を蔑んだ、その現場を見てしまった時の。


 思い返せば、袁紹が息子を地獄に落としたと告白したのは、この中庭があったはずの汝南の実家だった。

 その家で見損ねた悪夢の一端を、今見せたとでもいうのか。


 だが、曹操には何となく分かった。


(袁紹、おまえのいた家は、いつもこんな悪夢の底だったのだな)


 一つ目の悪夢は、父に導かれた生家で、二人目の母にいびられた。

 二つ目の悪夢は、養子となって入った新たな実家で、三人目の母に縛られた。

 そして三つめの悪夢は、てっきり実母のいた楼閣だと思ってたが……そこを汚す原点になっていたのは、最後に居城とした冀州城だった。


  まさに、全ての家は悪夢に通ず。

  全ての母は悪夢に通ずだ。


 どこよりも安心できるはずの家は、どこよりも恐ろしい牢獄だった。

 だが、袁紹はそれでも胸の中の母にすがり、希望を見つけようとしたのだ。



 不意に、目の前に宴席の景色が広がる。

 酒を飲んで騒ぐ袁家の重鎮たち、青ざめた顔で席に戻った袁紹。

 袁譚の自分への蔑みを目の当たりにして、放心状態の袁紹。


  隣に、若く美しい女がいた。

  胸に赤子を抱いて、袁紹に微笑みかける女。


 曹操は、すぐに分かった。

 あれは、若い頃の劉氏だ。

 袁紹と結婚し、息子の袁尚を産んだばかりの。


「どうなさったの、あなた?」


 劉氏は、袁紹に声をかける。

 袁紹は一瞬びくりと身をすくませたが、必死で動揺をこらえて言った。


「いや、子を育てるのは難しいものだと思ってな……」


 一人で受け止めるのはあまりに重いが、この場で真実を語ることもできない。

 板挟みの中で、どうにか絞り出した言葉。


 それを聞いた劉氏は少しの間黙っていたが、やがてほがらかな……しかしどこか勝ち誇ったような顔をして言った。


「まあ、あの子たちは仕方ないんじゃなくて?

 あの子たちは、早くに母上を亡くしてしまったんだから。

 それに、いくら私があなたの妻でも、あの子たちの産みの親にはなれないわ」


 劉氏は、袁紹の心配事が、前妻の子のことだと勘付いたのだろう。

 それで、こんな事を言ったのだ。


  袁紹が彼らを嫌い、自分の子を一番愛するように。


「やっぱり、子供はきちんと大人になるまで母親が見てあげるべきなんでしょうけど、あの子たちはもうそれができないものねえ。

 本当、可哀想に……」


 言葉ではこう言っているが、袖で隠した口元は笑っている。

 心の中でほくそ笑みながら、劉氏は袁紹に母としての自分を刷り込む。


  しょうがないわよ、うまく育たなくても。

  あの子たちにはもう、優しく包んで守ってあげるお母さんがいないんだから。


 巧妙に理由を作り上げて、袁紹に上の二人の子を諦めさせる。


  しょうがないわよ、もうあの子たちはダメ。

  でも大丈夫、あなたの希望はここにあるわ。


「私たちの子供なら、ここにいるじゃない」


 わざとらしいほどおしとやかに、劉氏は袁紹に我が子を見せつける。

 自分という母親がいて、大人になるまで育ててあげた息子、袁尚を。


「……そうだな、劉よ」


 袁紹は、劉氏の抱くもう一人の我が子を見て微笑んだ。


  憧れた、幸せな親子の像はここにある。


 袁紹は、心が潰れそうだった。

 自分の子にまで下賤と言われて、悔しさで気が狂いそうだった。

 そんな自分にもう一人の子を見せて、ちゃんと育てるからと言ってくれた劉氏は、どれほど光り輝いて見えただろう。


 だから袁紹は、劉氏を亡き実母と重ねた。

 こんなに美しく愛に満ちた存在、これがお母さんなんだ、と。


  劉氏の胸に渦巻くどす黒いものには、目を向けないようにして。



 にぎやかな宴席は、闇に溶けるように消えた。

 曹操は、袁紹の胸の傷を気遣うように、一つため息をついた。


「……辛かったな、袁紹」


 悪夢は、一つ一つの重石ではない。

 悪夢が悪夢を呼び、連綿と連なった抜けられぬ荊のようなものだ。


 袁紹が前半生に晒され、逃れたいと思った悪夢。

 そこから逃げたいと望み、側にいた腹の黒い母に聖母を重ねて崇めた。

 それが今、荊の根源となって袁紹を地獄に引きずり込もうとしている。


  心の底から、劉氏が憎かった。


 劉氏が本当に清らかな母ならば、袁紹の悪夢はそこで終わっていたかもしれないのに。

 そう思うと、曹操はぎゅっと唇を噛みしめた。


 袁紹はきっと、この無念を伝えたかったのだろう。

 悲しい父親の嘆きが、暗い中庭に満ちていた。

 今回の悪夢は、悔恨の館とリンクしています。

 袁紹が、長男の袁譚が自分を蔑む現場を見てしまったあの中庭……詳細は袁譚編で語られています。


 その直後、傷ついた袁紹に劉氏は「新たな希望」を装って自分の子、袁尚を見せつけます。

 袁譚のことで深く傷ついていた袁紹は、そんな劉氏を聖母と重ねてしまうのでした。

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