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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~愛惜の館にて(7)

 愛惜の館の裏世界は、劉備が一度攻略しています。

 深淵の闇と化した楼閣に、曹操はその身一つで足を踏み入れます。

 ここにはどのような怪物がいたか、覚えているでしょうか?そして、曹操はそれに対してどのような感情を抱くのでしょうか。

 階段を降りると、そこは金網の廊下だった。

 構造自体は登ってきた時と同じだが、それを構成する床や壁は荒廃して禍々しい廃墟のようになっている。


 闇の中から、ずるずると何かを引きずるような音が響いた。


(怪物……か)


 じっと闇の中に目をこらしながら、曹操は身構える。


  さっきは楼閣全体が聖域のようで、怪物は全くいなかった。

  今はまるで逆、この楼閣は今までのどの館よりもおぞましく変貌をとげたのだ。

  その場所にふさわしく、どんな化物が潜んでいてもおかしくない。


 そいつのシルエットが、のそりと動いた。

 低い姿勢の、しかし犬よりはるかに質量のある影。


「せあっ!」


 怪物が間合いに入ると同時に、曹操は先手を打って一撃を浴びせた。

 がつんと重い手応えがあり、怪物から生えた何かが切り落とされる。


 間髪を入れずに、腰を掴んできたもう一本の腕も切り落とす。

 しかし、振り下ろした剣を構え直す前に、両足が引きずられる。


「何!?」


 体が支えを失って視界が回転し、曹操は背中から床に叩きつけられた。

 膝よりも低いくらいの視点から見ると、わずかな光に照らされた怪物の姿が見えてくる。


  それは、どこか人の背中のような曲線を持つ、肉塊だった。

  二つの肉塊が折り重なるように融合し、柔らかい肌につつまれている。

  その胴体からは、さっき切り落とした二本を含めると四本ずつの手足が生えていた。


 曹操は、その怪物の姿にぎくりとした。

 この怪物の姿は、かつて曹操が袁紹を迎えに来たとき、曹操が廓という場所に対して抱いた欲望によく似ていた。


  二人の人間がからみ合うような、肉の流れ。

  四方に突き出した足は、まるで寝台の足。

  娼婦が集うこの場所で、夜な夜な繰り広げられていた光景。


「くそっ!

 袁紹め……そういうことか!」


 曹操は、心中を見透かされたような気持ちの悪さとともに悟った。


 袁紹は、曹操がこの場所に対してそういう感情をあらわにすることで、自分の母親が汚されたと思ったのかもしれない。

 生前の袁紹をここに迎えに来た時も、自分は多分そんな期待を隠せていなかったのだろう。

 あるいは、袁紹自身がこの場所に対して抱いている嫌悪感の表れか。


  怪物の肉が蠢くたびに、ぐちぐちと粘っこい音がする。

  耳を傾けると変な気分になってしまいそうな、生々しい水音。


 その淫らな拘束を振り払うように、曹操は剣を使って怪物の手を振りほどいた。

 怪物の体は人間のそれとさほど変わらず、愛用の名剣をもってすれば切り払うのは難しくない。


「手の焼ける……」


 素早く転がって体勢を立て直し、曹操はぼやいた。


 四本の手があるというのは、思った以上に厄介だ。

 人間には二本の手しかないので、四つの攻撃を同時に防ぐのは至難の技だ。


  いや、厄介なのは手だけではない。

  怪物にはまだ四本の足が残っているのだ。


 曹操が距離をとって息を整えていると、怪物が突然走り出した。


「グエエエェエ!!」


 嘔吐するような声をあげて、四本の足で四足の獣のように走り寄る。

 その動きは思ったよりはるかに早く、気がついたらもう肉塊が眼前に迫っていた。


「くっ!!」


 今からかわそうとしても、とうてい間に合わない。

 曹操は一瞬の判断で、正面に剣を構えた。

 そして、そのまま目の前の肉塊に体重をかけるように切り下ろす。


 ざばり、と名剣の刃が肉に沈む。

 そこから二つに割れた肉塊は、なおも勢い余って曹操の下半身にぶつかる。


  ぐにゃり、と柔らかい感触が押し付けられる。

  怪物の、生ぬるい体温がじわりと染み込んでくる。


 怪物は、体の中ほどまで半分に切り裂かれて動かなくなった。

 曹操の手も、肘から先が怪物の肉に埋まっていた。


 怪物の体から力が抜けると、曹操は飛び退くように怪物の亡骸を蹴り飛ばした。


(こ、こんな気色の悪い官能は初めてだ!)


 だが、思えば袁紹が生前から性に淡白であったのは、こういう感情があったからかもしれない。

 自分のように女に溺れることはなく、少し調子が悪いとすぐご無沙汰にしてしまったと聞いている。


  袁紹には、女を抱くこと自体に抵抗があったのだろう。

  おそらくは、母が男に抱かれる職業であったせいで。


 それでもきちんと妻を抱いて子を作ったのは、名家の長としての責任感からだろうか。

 そう考えれば、母親が醜悪な姿になっていたのも分かる気がした。


  袁紹は、自分の子を産んで母になった女を、自分が汚したと思ったのだろう。


 どのような女でも、男に抱かれることなく母にはなれない。

 袁紹の実母だって、それは同じだ。

 だが袁紹は、幼少期から抱き続けた聖なる母の幻想のせいで、そんな当たり前のことに嫌悪を抱くようになってしまった。


(そういえば、袁紹の子を産んだ……)


 母と子について思いを馳せるうち、曹操は何かに気づきそうな気がした。


  自分は最近、袁紹とそういう関係の何かを見た気がする。


 だが、それが何であるか、すぐには思い出せなかった。

 今はこの悪夢の世界で見たものを読み取るのに頭が一杯で、うまく記憶が出てこない。


 目の前で無残に転がる汚らしい肉塊を前に、曹操は言いようのない不安を覚えた。

 自分はこんな結末を知っている……そんな気がしてならなかった。


 英雄色を好むと言いますが、曹操はまさにその言葉通りの人物です。

 多くの女を囲い、女に見惚れて敵の策略にかかったり、人妻を欲しがったりと、枚挙に暇がありません。


 しかし、対照的に袁紹は割と草食系の君主だったらしく、妾の数も一桁です(劉氏編参照)。

 曹操は袁紹がそうだった理由を、この怪物に見出しますが……。

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