曹操~愛惜の館にて(6)
久しぶりの純粋な悪夢パートです。
サイレントヒルの描写は書いていて楽しいですね。
暴かれた実母の偶像とともに、大きな異変が二人を襲います。
曹操が叫んだのとほぼ同時に、おびただしい血と膿が袁紹に襲いかかった。
その凶暴な赤い流れが、袁紹の口をこじ開けて入り込む。
「むぐううう!?」
袁紹が、嗚咽混じりのうめき声を上げる。
本人が嫌がって暴れているのに、赤と黒の奔流は止まらない。
部屋中から染み出した汚物が、これでもかこれでもかと口に吸い込まれていく。
それでも、袁紹は倒れなかった。
いや、倒れられなかった。
何か見えない力が彼を強引に支えているように、立ち尽くしたまま穢を受け止めた。
じわり、と袁紹の体にアザができる。
いや、それはアザではなく、内出血が表面まで染み出したような赤いシミだった。
まず血管のような線が浮かび上がり、にじむように広がっていく。
顔にも、手にも、おそらく鎧の下のあらゆる皮膚に。
悪夢の穢が、袁紹を体の中から侵蝕していく。
「うっ……あ、ああ……!」
血の奔流が体に収まりきってしまうと、袁紹はようやく許されたように膝をついた。
目が血走り、手足はがくがくと震えている。
見た目にもおぞましいあの侵蝕は、本人にも気持ちが悪いのだろう。
袁紹の目から涙がこぼれ、半開きになった口から嗚咽が漏れた。
しかし、あの呪われた血を自力で吐き出すことはできない。
自力でこの悪夢から逃れられないのだから、当然だ。
「大丈夫か、袁紹!?」
曹操は、すぐに袁紹を助けに走った。
どうすればあの侵蝕を解けるかなど、分からない。
しかし、何もしないではいられなかった。
だが、部屋全体を襲った振動が曹操の足を阻んだ。
ゴオオオォ
不気味な地鳴りとともに、床が歪んで板が突き出す。
思わず腰を落とした曹操の前で、床に亀裂が走った。
「ゥオオオオアアア!!!」
地鳴りと共鳴するように、地の底から響くような咆哮が空気を震わせる。
寝台の天蓋がみるみるうちに朽ちて剥がれ、怪物の姿があらわになる。
顔中の全ての穴に、いや体中のあちこちに巨大なミミズを湧かせた醜悪な姿。
実母の怪物の体は、背中や腰を食い破るように突き出した太いミミズのようなもので寝台に拘束されていた。
いや、よく見ればあのミミズは寝台を突き抜けて床を破っている。
突然、そのミミズにようなものがうねうねと動き出した。
それに操られるように、怪物がぐわっと体を動かした。
「キイィイイ!!」
癇癪を起こした女のような叫び声をあげ、寝台に手足を叩きつける。
その衝撃で、寝台が壊れた。
床板も、破れた。
「!?」
不意に、顔に吹き付ける熱風を感じた。
床板の割れた部分から、焼けるように熱い風が吹き出してくる。
既視感を、覚えた。
この生臭くて、熱いはずなのにどこか悪寒を覚えさせる邪悪な熱風に、曹操は覚えがあった。
三人目の母の館で、燃える子供部屋で味わったものと同じだ。
『私は今、地獄の暗い穴で責め苦を受けております』
曹操の脳裏に、あの部屋で聞いた袁譚の声が蘇った。
あの時、あの部屋は確かに地獄とつながっていたように思えた。
(これは、地獄の風……?)
曹操の懸念を裏付けるように、部屋の床が次々とえぐれて穴が広がっていく。
その下にあるのは、それこそ地の底まで続いているかと思われる深い穴だった。
怪物の体を食い破るミミズは、その深い穴からつながっていた。
太くぬらぬらと光る体をぴんと伸ばして、床ごしに怪物の体を下へと引っ張る。
「い、いかん、袁紹……!」
曹操は慌てて袁紹に手を伸ばそうとしたが、もう遅かった。
バリバリと轟音を立てて、床が崩れる。
怪物の巨体と、そして袁紹も一緒に奈落の底へと落ちていく。
刹那、笑い声を聞いた気がした。
「くくっ……フフフ……!」
妙に頭に残る、頭にくる嘲笑だった。
気が付けば、曹操は一人、大穴のあいた寝室に取り残されていた。
袁紹はいない。あの怪物もいない。
しかし、部屋は荒廃して血塗られたままだ。
「ぐっ……くそっ、袁紹……!」
顔を上げれば、袁紹を飲み込んだ穴がこちらをのぞき返してくる。
深く暗い、奈落の穴。
部屋の大部分を覆うほど大きいのに、次の階の高さまでたっぷりと闇が詰まっている。
少し身を乗り出してのぞいてみても、袁紹の姿は見えなかった。
そもそも、人の体でこの高さから落ちたら、まず助からないだろう。
だが、曹操は立ち上がり、部屋を出て階段の方に向かった。
(袁紹は、まだこの世界にいる)
曹操には分かる。
袁紹は、まだ地獄に落ちてはいない。
感じるのだ、袁紹の気配を。
地獄への淵で、必死で助けを求める袁紹の想いを。
そう、袁紹はもう死んでいるのだ。
落ちる高さなど、もう今の袁紹には何の意味も持たない。
袁紹の姿はここにないが、悪夢は変わることなくここに存在している。
悪夢の根源である袁紹が、まだこの世界に留まっているからだ。
そもそも、袁紹が本当に地獄に落ちてしまえば、この中途半端な世界は力の供給を失って消えてしまうはずだ。
「待っていろ、袁紹。
何度でも、助けてやるさ」
闇の満ちた楼閣の中、曹操は下への階段に踏み出す。
袁紹の最も深い闇と同化した、禁じられた暗部へと。
ぎしぎしと朽ちかけた階段のきしむ音だけが、漆黒の空間に吸い込まれていった。
実母の怪物は、地の底からつながる何かに動かされていました。
ソレは楼閣の床をぶち抜き、袁紹と実母の幻影を奈落の底へと引きずり込みます。
奈落の底で袁紹とともに待っているのは、一体誰なのでしょうか。
ヒント:袁紹は自分の一番身近な「母」を地獄落としにしています。