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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~愛惜の館にて(3)

 やっとネットがつながったので、更新していきます。


 最後の館、最後の悪夢が始まります。

 キィ、とわずかに軋む音を立てて、扉が開く。

 ふわり、と清浄な香りが広がった。


  鼻腔をくすぐられると同時に、昔を思い出す。

  これは、あの時も嗅いだ香のにおい。


 白い煙が、薄いカーテンのようにふわりとたなびく。

 部屋の中は、少し霞んで見えるほど煙で見たされていた。


(嫌な流れだな……)


 曹操は、思わず顔をしかめた。


 この香は、袁紹にとって母への弔い、孝行を意味する。

 そして袁紹にとって、母への孝行とは、袁家の当主として立派に生きることを意味するのだ。


「来たか、曹操」


 部屋の中央から、袁紹の声がした。


 白く霞む部屋の中で、袁紹は寝台にもたれかかるように座っていた。

 白く透けるようなカーテンで包まれた、淫靡な二人用の寝台。


  曹操があの時見た、母の寝台そのものだ。


 ふいに、そのカーテンが動いた。

 風でわずかに持ち上がったカーテンの下から、白い指がちらりと見える。


「!?」


 曹操は、ぎょっとして目を見開いた。


  今見えたのは、確かに白く美しい人間の指先。

  しかし、その大きさは明らかに普通の人間ではない。


 白い指が、慈しむように袁紹の顔を撫でる。

 広げたら袁紹の頭を全て覆ってしまいそうな手のひらで、優しく頬をなぞる。


「イトしい……ワタシの、本初……」


 声が、聞こえた。

 いや、声というより、かすれた風の音のようだった。

 儚くて、優しくて、美しい……記憶の中からそれと思しきかけらを無理やり探し出して、幻想で補強してつなぎ合わせたような。


  だが、それも無理はない。

  どんなに母の声を聞きたくても、袁紹の中にその記憶はほとんど残っていないのだ。


 寝台の中にいて姿が見えないのも、おそらくそのせいだと曹操は思った。

 これまでの母の怪物には実際の継母の姿が濃厚に投影されていたが、実母の場合は投影するべき実像がないのだ。

 ただここにいて、父と体を重ねた……それだけの情報しかないのだ。


 だから、それを満たすだけの見えない姿になったのだろう。

 そして、袁紹にとってその存在があまりに大きかったせいで、実際に大きな怪物になったのか。


「これはご母堂、失礼いたします」


 曹操は、寝台に向かって丁寧に声をかけた。


  怪物の性質は、まだ分からない。

  実像が分からない以上、想像のしようもないのだ。


 曹操が様子を伺っていると、不意に怪物の袁紹を撫でる手が止まった。

 それに気づいたのか、袁紹が気だるそうに顔を上げる。


 その目は、かつて迎えに来た時に似てうつろで、ぼんやりとしていた。


「曹操……なぜ、私をここに導いたのだ?」


 袁紹は、悲しそうにつぶやいた。


「……?」


 曹操には、その意味が分からなかった。

 袁紹はなぜ、今更こんなことを問うのか。


  なぜと聞かれれば、袁紹を救うために決まっている。

  この暗く陰惨な悪夢から、袁紹を解放して安らかな眠りを与えるためだ。


 自分はさっきから、袁紹と再会してからずっとそう言ってきた。

 袁紹自身もそれを望み、しっかり理解していたはずなのに。


 戸惑う曹操の前で、袁紹は苦しげに眉間にしわを寄せた。


「こんなところまで……踏み込んでくれなくても良かったのに……。

 父の幻影を倒したところで、終わらせてくれれば良かったものを……!」


 袁紹は、憂いを込めた目で曹操を見つめた。


「苦しい……なぜ、ここに来るのがよりにもよっておまえなのだ?

 他の者ならば、もっと穏便に終れたものを」


 その言葉に、曹操は急速に警戒心が高まるのを覚えた。

 本能が、危険を察知している。

 一度は完全に打ち解けたはずの袁紹が、再び自分に牙を剥こうとしているのが分かる。


 曹操は、できるだけ袁紹を刺激しないように静かに答えた。


「おまえが、救いを望んだからだ。

 それに、おれにしかここには連れて来られなかった」


 袁紹は、それを聞くとふっとため息をついた。

 そして、ひどく悔しそうな目で曹操を見つめて言った。


「そうだな、おまえは私を救おうとした。

 だが、生前おまえが私にした行為を忘れた訳ではないだろう。

 おまえは私の天下を阻み、そして私の子供たちを……母から授かった私の血筋を根絶やしに滅ぼしたではないか!」


 袁紹は、寝台から垂れた母の手をそっと握った。


「ここに来れば、否が応にもそれを思い出さざるを得ないというのに……。

 相変わらず貴様は人の心に疎いな!」


 袁紹は、重い体をひきずるようにして立ち上がった。

 その手には、剣が握られている。


「おまえとの友情は、大切だ……しかし、母の願いを阻んだのもおまえだ。

 ああ……何と悩ましい!心が、二つに割れそうだ!

 せっかく一つに戻れたというのに、また別の方向に引き裂かれそうだ!!」


 袁紹は、苦悶の表情で剣を持ち上げる。

 曹操は、背中が粟立つのを感じながら自らも剣を抜いた。


(そうか、確かにおれはおまえの宿敵でもあった!)


 実母の願い、立派に生きることを叶えようとした袁紹を無慈悲に阻んだのは、間違いなく曹操自身だ。

 袁紹が実母の幻影に囚われれば、こうなる可能性は十分予測できたはずなのに。

 それでも調子に乗って先へと進んだのは、曹操自身だ。


  部屋の空気が、悪意を持って渦を巻き始める。

  ざわざわと、清浄な煙が粘っこい霧に変わっていく。


 今、母の遺志が二人を再び悪夢に引きずり込んだ。


 曹操は袁紹を生かそうと実母の願いを引き合いに出していましたが、結果的にはそれを叩き潰す行動を取ってしまっています。

 袁家の当主として「立派に生きようと」した袁紹の宿敵として立ちふさがり、その血筋を絶ってしまったのです。


 最愛の実母の前で、袁紹がそんな曹操を黙って許せるかと言えば……分かりますよね?

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