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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~回想の楼閣にて(4)

 袁紹は母の死の真実を知り、この世に希望を失ってしまいます。


 しかし、袁紹本人はそれで良くても、残される側の人間は良くありません。

 曹操は袁紹に戻ってきてほしくて、どうにか正気に戻そうと激励の言葉をかけますが……。

 曹操は、袁紹にどう声をかけていいか分からなかった。


  正直、ここまで深刻だとは思っていなかった。


 自分はただ、母と再会した袁紹を祝ってやりながら連れ戻す気できたのだ。

 母がすでに死んでしまったとか、袁逢がずっと袁紹を騙し続けていたとか、そこまでの事態は考えていなかった。


 しかし、このままでは良くない。

 袁紹はこのままここで朽ちるべきではない……それだけはひしひしと感じた。


「なあ、袁紹……」


 腫れ物に触るようにおっかなびっくり、曹操は声をかけた。


「母上のことは、その、気の毒だった。

 だが、おまえはこんなところで終わっていい人間じゃない!」


 曹操は、袁紹のうつろな目を覚まさせるように言った。

 すると、袁紹はほんの少しだけ眉をひそめ、曹操の方を向く。


「だから、どうしろと……?」


 その目で見つめられた時、曹操は背中中に冷や汗が吹き出した。

 袁紹には、もはやこれまで生きてきた世界への情熱は残されていなかった。


  あるのは、理不尽なこの世に対する失望と怨念のみだ。


 袁紹は、自嘲するように口角を上げて呆けたような笑みを浮かべた。


「曹操は、私に俗世に戻れというのか?

 そして、私を駒としてしか見ていないあの汚らわしい家にこれからも尽くせと?」


 袁紹の言葉には、袁家への憎悪があふれていた。


「私は袁家のために、実の母を弔う事も許されず名誉のために働き続けた。

 あのおぞましい継母の言う通りに、己を殺して生きてきた。

 おまえは、私にこれからも生きた屍として生き続けろと!?」


 これまで向けられたこともない感情の奔流に、曹操は押しつぶされるかと思った。

 袁紹は相変わらず表情に乏しい顔をしているが、曹操にはその後ろに牙をむいた般若が見えるようだった。


 だが、曹操はどうにか耐えて言い返した。


「違う、そうではない。

 おれはおまえに、おまえとして生きてほしいんだ!」


 袁紹の虚無を振り払おうと、曹操は言葉に力をこめる。


「だって、ここで折れて隠居してしまったら、おまえの人生はそこで終わりではないか!

 それでは、おまえがこの世に生まれてきた意味がなくなってしまう。

 おれはおまえに、生きて自分の生を謳歌する時間を持ってほしいんだ。おまえ自身の力で袁家を振り払える場所まで上り詰めて、おまえの思うように生きてほしいんだ!!」


 曹操の、強い激励が薄暗い部屋に響く。

 それを聞くと、袁紹は悲しそうに下を向いた。


「私に、そんな資格なんてない……」


 袁紹の声は、かすかに震えていた。

 小さく、今にも消え入りそうな、涙をこらえた声。


「だって、私は私を生んでくれた母上に何もしてやれなかった。

 母上に辛い思いをさせた父上に何もできなくて、ただ袁家のいいように生かされるだけの人形だった。

 そんな私に、人として生きる権利などあるものか……」


 袁紹は、自分自身にもひどく失望していた。

 母の腹から生まれておきながら何もできなかった無力感が、袁紹の心を奈落に縛り付けて放さないのだ。


  自分は、一体何のために生まれて来たのだろう?

  これ以上生きたとて、そんな自分に一体何ができるのだろう?


 母に一度も顔を見せず死なせてしまった衝撃は、曹操が想像するよりはるかに大きかった。

 袁紹は己のふがいなさを責め、自分に生きる資格がないとまで思ってしまっていた。


 しかし、曹操はここで引き下がる訳にはいかなかった。

 袁紹は、幼い頃から腹を割って付き合ってきた唯一無二の親友だ。

 願いを叶えてやれなかったからこそ、せめて袁紹自身は救い上げてやりたかった。


「……なあ、袁紹」


 曹操は、静かな声で語りかける。


「おまえの母上は、おまえが自分を捨てることを喜ぶのか?

 そんなつもりで子供を産んだ訳ではないだろう」


 怒りを押し殺した声で、曹操は続ける。


「そんな風に隠遁して母を弔うことのみに生きることが母上の望みだと思ったら、大間違いだ!

 母上は、きっとおまえが幸せになることを望んでいるはずだ。

 おまえに残された孝行の道とは、母の血を引くおまえ自身が幸せになることではないのか!?」


 とたんに、袁紹の目がくわっと開いた。


「知ったような口を利くな!!」


 雷のような怒声が、部屋の空気を震わせる。


 袁紹の顔は、もうさっきまでの能面のような顔ではなかった。

 怒り、嫉妬、焦燥、それ以外にも御せぬ感情がごちゃ混ぜになって噴出する。

 視線ははっきりと焦点を結び、曹操をにらんでいた。


「おまえに……おまえなどに、母上の何が分かる!?

 会って話してもいないくせに、おまえが勝手に母を語るな!!」


 はあはあと、火のように熱い吐息がこぼれる。

 そのやり場のない怒りを向けられて、それでも曹操は安堵していた。


  ようやく、袁紹の心をこの世に引き戻すことができた。


 何が逆鱗に触れたのか、母の心ということ以外は曹操には分からない。

 だが、袁紹は確かに母を何よりも大切に思っているのだ。

 だからこそ、曹操の言葉に反応したのだろう。

 袁紹の心を動かしたのは、曹操の言葉というよりそれに触発されて蘇った母の何かでした。

 次回、残された母の想いが明かされます。

 自分の息子の成長した姿を見ることなく死んでいった母の願いはどのようなものだったのでしょうか。

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