曹操~回想の楼閣にて(2)
サイレントヒル等のホラー作品において、現在の悪夢との因果を表すのに過去の行動をなぞるのはよくある演出です。
かつて、行方をくらました袁紹を迎えに行った曹操。
その時、若き曹操は袁紹の失踪をどのように考えていたのでしょうか。
見つけるのは、案外簡単だった。
袁紹は実父袁逢から母のいる建物まで聞き出しており、それを曹操にも教えてくれた。
いつか私が自由になったら、二人で迎えに行こう。
しかし、袁紹が自由になる時はやって来ず、袁紹は一人で母を迎えに行ってしまった。
そして、そのまま帰って来なくなったのだ。
そのため、曹操は袁紹自身を迎えにここまでやって来た。
曹操は、まだ事の重大さに気づいていなかった。
袁紹は元来真面目な性格だし、母に会うといってもずっとそこで暮らす訳ではないだろう。
それなのに、なぜ袁紹はここに閉じこもってしまったのか。
(女に溺れて働くのが嫌になった?
……いや、あの袁紹に限ってそんなことは……)
きらびやかな街の様子を見ながら、曹操は思った。
ここは、男の快楽に満ちている。
曹操が街を歩いていると、方々から艶めいた女の視線や小狡い男の呼び込みが飛び交う。
元々好色な曹操にとっては、魅惑的な場所だ。
若く精力がみなぎっていた頃の曹操にとっては、特に。
しかし、今は袁紹を迎えに来たのだと心を引き締めて約束の場所へと向かう。
自分の欲を満たすのは、袁紹を見つけてからの景気づけで十分だ。
そんな男にとってごく自然な感情が、この時の袁紹には耐えがたいものだとも知らず。
奥に行くにつれて、派手さを抑えた品のいい建物が多くなり、道を歩く人々の身なりも上等なものに変わっていく。
約束の場所は、金持ちが集う高級な歓楽街にあった。
「ここか……」
曹操は、ようやくたどり着いた約束の場所を見上げた。
顔を上げないと見られないのは、その建物が他よりずっと高かったからだ。
それは、桃源郷を思わせる優しい美しさの楼閣。
四方を塀で囲まれた、極上の鳥かご。
曹操は一瞬、その気位に気おされた。
だが、袁紹は確かにここにいるはずなのだ。
「頼もう!」
曹操は堂々とその楼閣に踏み入り、出迎えの下男に言った。
「この楼閣の、一番上の階にいる者に会いたい」
すると、下男は少し困った顔で答えた。
「すいやせんが、一番上のお方はただいま留守にしております。
他の女で予約が入っていない者でしたら、すぐにお相手できますが?」
だが、曹操が聞きたいのはそんな事ではない。
曹操は少し怖い目をして、尋ねた。
「いないことはあるまい!
それに、おれは女に会いたいのではない。
いるのであろう……最上階に、男が!」
それを聞くと、下男は面白いように青くなった。
やはり、固く口止めされているのだろう。
「今すぐ連れてこいとは言わぬ。
ただ、曹操が会いに来たと、その男に伝えよ!」
それを聞くと、下男はびっくりして頭を下げ、跳ねるように奥に引っ込んでいった。
それからしばらく待つと、今度はだいぶ年季のいった身なりの良い男が出てきた。
「本初様が、お会いになられるそうです」
曹操は、してやったりと口角を上げた。
やはり、袁紹はここにいたのだ。
身なりのいい男に案内されて、曹操は楼閣の最上階を訪れた。
そこは下界の喧騒が嘘のように静かで、どこか清浄な空気が漂っていた。
部屋の前に着くと、案内の男は小声でささやいた。
「本初様は、少し気分が優れませぬ。
どうか手荒な真似だけはご容赦を」
「大丈夫だ、しばらく二人にしてもらいたい」
曹操がこう言うと、案内の男はそそくさと去って行った。
曹操を、袁家の回し者とでも思っていたのだろうか。
もしかしたら、この娼館の者たちは袁紹のことを不憫に思い、袁家の手の者から隠れる手伝いをしていたのかもしれない。
だが、曹操は袁紹の居場所をばらそうとは思わなかった。
袁紹の秘密の場所は守り通したまま、二人でまた日の下を歩きたいだけだ。
いよいよ袁紹に会えると扉に手をかけた時、曹操の頭をふと疑問がよぎった。
さっき曹操は、二人だけにしてくれと言った。しかし、袁紹はこの部屋で母と暮らしているのではないか。
そうすると、二人ではなく三人のはずだ。
(……?)
だが、ともかく袁紹はここにいるはずだ。
何か事情があっても、袁紹に聞けば分かるだろう。
曹操は、その程度の気持ちで扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。
開いた瞬間、曹操の鼻を香の香りがくすぐる。
ふわりと風が流れ、薄く煙った空気が広がった。
中には、視界を遮るものはなかった。
そこは階一つ分が一つの広い部屋で、中央には壮麗な造りの寝台が置かれていた。
「やはり、ここに来たか」
寝台の上で、何かが動いた。
女のように髪を下ろし、清楚な水色の単に身を包んだ男……袁紹だ。
「袁紹、探したぞ……!」
喜んで駆け寄ろうとして、曹操は思わず足を止めた。
様子がおかしい。
袁紹は、これまでに見たことがないような陰気な顔をしていた。
瞳からは生気が失せ、痩せて顔色も良くない。
それに、この寝台はここの主の……袁紹の母のものであるはずだ。
なぜ、袁紹がこんな格好で、ここに一人でいるのか。
「袁紹……その、母上は……?」
袁紹は、うつろな表情のまま、気の抜けたような声で答えた。
「おらぬ……もう、この世には。
私がここに来る前に、母上はとうに他界していたのだ」
その瞬間、曹操と袁紹の間の空気が氷のように固まった。
色街は、文字通り男が欲を叶えて遊ぶ場所です。
好色な曹操にとって、そこは他の男と同じように楽しくて魅惑的な場所です。
しかし、そこに実母を持つ袁紹にとってはそうではありませんでした。
さらに母の死により、そこは袁紹にとって心をえぐられるような醜い聖地と化したのです。