曹操~巡礼の道にて(4)
この巡礼の道では、唯一男の親世代の怪物と戦うことになります。
男と戦うことは何度かありましたが、これまでは皆袁紹と同世代か息子でした。
しかし、今回の父親の怪物は違います。
封建的な社会の中で、絶対的な権力を持つ父の悪意が袁紹に襲い掛かります。
「ゴガアアァ!!!」
怪物が、吼えた。
空気がびりびりと震え、思わず吹き飛ばされそうになる。
袁紹と曹操は、身を寄せ合ってその咆哮に耐えた。
かつては抗えなかった、強大な威圧感。
しかし、今の二人なら立ち向かえる。
いや、袁紹の二つの心が解放された、この三人ならば。
最初の咆哮をやりすごすと、裏の袁紹と曹操が両側から斬りかかった。
「いくぞ!」
「おう!」
裏の袁紹は下から地を這うように、曹操は天から打ち落とすように上から薙ぎつける。
いきの合った動きで、首と足に狙いをつける。
「ゲアッ!?」
思わぬ奇襲に、怪物はうろたえた。
しかし、すぐに曹操の方を向き、重量のある棍棒で剣を受け止める。
ギインと鈍い金属音が響いた。
攻撃を受け止められた瞬間、曹操は慌てて剣を引いた。
相手の武器は重量があり、押し切られたら防ぐ術がない。
それに、自分が攻撃しなくても裏の袁紹がやってくれるはずだ。
少し遠ざかった視界の中で、裏の袁紹の剣が怪物の足にめりこむ。
しかし、それほど深くは刺さらなかった。
「コノ、分からず屋め……!」
怪物が、ぎろりと裏の袁紹をにらむ。
裏の袁紹は、苦悶の表情を浮かべて剣に力をこめていた。
「く、ぐ……!」
それでも、その隙を逃すまいと表の袁紹が突きを構えて突撃する。
「はやああぁ!!」
己を鼓舞するような、勇ましい掛け声。
しかし、怪物は動じなかった。
怪物は、力士がしこを踏むように、股間の角を見せつけるように足を大股に開いた。
そして、人間ならざる体重をかけて足を地面にたたきつけた。
ズシン!!
地震かと思えるほどの衝撃が走った。
そのとたん、裏の袁紹の刃が足から外れ、表の袁紹も体勢を崩して転んでしまう。
「ぐはっ……こ、これは!?」
一瞬の後顔を上げて、表の袁紹は裏の自分が若返っていることに気づいた。
怪物の側で這いつくばる裏の袁紹は、幼い少年の姿になっている。
その首根っこを、怪物が掴み上げた。
「しまった!」
曹操がすぐさま助け出そうと駆け寄るが、怪物は小さくなった裏の袁紹を盾のように突き出した。
「誰ガ、こいつを守ったト思ってイル!?」
怪物が、父として吼える。
そのとたん、袁紹は蘇る記憶に頭を抱えた。
一番最初に、袁逢の館で暮らしていた頃、自分の命は明日をも知れなかった。
袁術の母に疎まれ、何度も死にそうな目に遭った。
その時守ってくれたのは……
「たいがいにしておけよ、これも我が子だ」
最初の悪夢の館で、袁紹を守ってくれたのは、まぎれもなく実父の袁逢だ。
そして袁術の母の暴行がひどくなると、安全な叔父の家に送り出してくれた。
そう、一番初めの悪夢から袁紹を守ってくれたのは、この醜い父親だった。
だから裏の袁紹にとっては、袁逢は命の恩人でもあるのだ。
そのせいで、この男に刃を突き立てようとしても、子供ほどの力しか入らない。
「手の焼ケル息子だ……あの女の呪縛を破ったダケのことはアル」
幼い姿の袁紹を盾のように抱き込みながら、怪物はつぶやく。
「これも我ガ子だ、高貴なるワシの子だ。
実ノ母親は卑しいが……そんなモノは、育ての親次第デどうにデモなる。
ソレを見込んで、あの女に預けたノダガな」
それを聞いて、曹操の背に戦慄が走った。
袁逢が袁成の妻に息子を渡したのは、偶然でも血筋的な必然でもない。
袁成の妻の立場と性格を知ってこその、故意だったのだ。
袁逢は始めから、袁紹を悪夢に沈めて操る気だったというのか。
それを裏打ちするように、表の袁紹が言い放った。
「ああ、知っていたとも!
貴様はあの母に、しつこいほどわしの様子を聞きに来ていたな。
そのたびに名家の跡継ぎの話を持ち出して、母を暗に追い詰めていた。本当に子供を思っていたのなら、あんな態度がとれるものか!」
哀れ、名家の母という役割に囚われていたあの三人目の母も、さらに禍々しいものに操られる犠牲者に過ぎなかったのだ。
もっと言えば、袁紹をあの母の暴力から救ったのも、手駒が壊れては困るという程度のつもりでしかない。
そうやって母を操りながら、袁紹には救いの幻想を植え付けてきたのだ。
「性根の腐った化け物が……!」
曹操は表の袁紹をかばって前に出ると、愛用の名剣を握りしめた。
曹操は、こんなひどい親を見るのは初めてだった。
優しい家族の中でつちかわれた感覚が、全霊でそれは違うと叫んでいる。
青筋を立ててにらみつける曹操を嘲笑うかのように、怪物は幼い袁紹をぶらぶらと揺らして見せる。
「ヒッヒッヒ、これを傷付けタクないダロウ?
当たり前だ、コレは、ワシが守ってイルのだからナアアァ!!」
卑劣な哄笑が、みだらな明かりの中に響いた。
袁逢の怪物は、同じフィールドで起こった劉備編では登場しませんでした。
なぜなら、袁逢は基本的に袁紹の躾を三人目の母に任せきりにしており、彼女(もとい高貴なる母の怪物)が健在である限りは表に立つ必要がなかったからです。
今回、曹操の協力で三人目の母が倒されて初めて、彼は表に出てきたのでした。