曹操~巡礼の道にて(2)
今回の道は、これまでの全章を通して初めての場所です。
二人で初めて行ける場所、つまり二人の秘密の場所なのです。
陽の当たる表通りから外れて曲がりくねった社会の裏側……そこに、若き袁紹の大切な場所があったのです。
館の前に続く道は、来た時と同じだった。
袁成の館からほど近い、店が立ち並ぶ汝南の大通り。
しかし、袁紹は道の途中で細い路地に入った。
来た時はあったかなかったか分からない。
不要な資材が無造作に転がる、薄暗い路地。
表の袁紹は曹操の手を引いたまま、振り返りもせずにずんずんと奥に進んでいく。
曲がりくねった路地を進み、また分かりにくい曲がり角を幾度も曲がって、枝道脇道裏道ばかり。
とても堅気の人間が来る場所ではなさそうな道だ。
角を曲がるたび、新たな道に踏み込むたびに、霧が薄くなり闇が増していく。
透き通っているようで先を見通せない闇が、ひしひしと深くなっていく。
(ああ、この道は……!)
袁紹の後姿だけを見つめながら、曹操は思い出した。
若い頃、袁紹が自分をまこうとした秘密の道。
もっと前には、袁紹の実父袁逢が袁紹をまこうとした秘密の道。
知る者にしか許されぬ、秘密につながる道。
曹操は以前にも袁紹の後姿を追って、こんな道を歩いたことがあった。
少し大きくなって思春期を迎えた頃、袁紹は曹操に奇妙な頼みごとをしたことがあった。
「ねえ、今夜はおまえの家に泊まっていることにしてくれないか?
私は少し、用があるんだ」
その頼みはだいたい唐突で、曹操はいつも軽く驚かされた。
袁紹は予定に従順で、こんな唐突なお願いはほとんどない。
それに、何か予定外のことが生じても、ほとんどの事を人づてに母に伝えるようにしていた。
あの頃の袁紹は、ほぼ完全に従順に敷かれたレールの上を走っていた。
そんな袁紹の急な頼みごとを、曹操は快く引き受けた。
だって、友達の数少ない自分からの頼みだし、あの継母の鼻を明かしてやるのはなかなかに快感だった。
だが、それほど時を経ずして曹操は一つの疑問を覚えた。
(袁紹は、一体何をしてるんだ?)
曹操が頼みを引き受けると、袁紹はすぐその場で慌てて姿を消してしまった。
周りを警戒するように真剣な目をして、器用に人ごみに姿をくらましてしまう。
その先に、一体何があるのか?
曹操は本来、好奇心が強く行動力もある。
気になったことは、放っておけないたちだ。
特にこんな友人のいつもと違う行動が気にならぬはずがない。
(あの真面目な袁紹が、珍しい……。
あいつでも夢中になるような面白いものが、この先にあるのか?)
袁紹があの継母の目を盗んで行く先に一体どんな魅力的なものがあるのか、確かめずにはいられなかった。
ある日、曹操は姿をくらまそうとした袁紹をそっと追いかけた。
振り向きもせずに速足で進んでいく袁紹の、後姿だけを見ながらついていく。
陽も当たらず小汚くて荒んだ路地を、息を殺して忍び足で歩く。
袁紹のどんな秘密を握れるのかと、わくわく胸を弾ませながら。
しかし、その時の袁紹は異常なほど神経をとがらせていた。
いつもは少し抜けているのに、こんな時に限ってすさまじく警戒心が高まっていた。
目的地にたどり着く前に、曹操は何度も袁紹に気づかれた。
いつもは簡単に出し抜ける袁紹を、この時ばかりは破れなかった。
「おまえ……どうしてここに?」
そう言って振り向いた袁紹の顔は、最初の一度で曹操の胸に驚愕をもって刻まれた。
あんな袁紹の顔は、初めて見た。
見慣れた背中が反転して、現れたのは別人のように執念に満ちた形相だった。
鬼のように目をいからせ、親友の曹操のことをも親の仇のように敵意丸出しで歯をむいてにらみつける。
「袁紹……!?」
曹操が恐る恐る名を呼ぶと、袁紹はふっと肩の力を抜いた。
「……すまぬ、今日はもういい」
今度は、全てを投げ出すような望みを失った声。
さっきまで張りつめていた顔は、一瞬で疲れた悲しみの表情に変わった。
その瞬間、曹操は悪かったと思った。
自分に見つかったせいで、袁紹は目的をあきらめてしまったのだ。
だが、曹操の好奇心がそれで治まった訳ではなかった。
曹操と袁紹は、それから何度か同じことを繰り返した。
袁紹がどこかへ行こうとし、曹操がこっそり後を追う。
しかし、袁紹の目的地はそう簡単には分からなかった。
袁紹は、曹操に見つかるたびにそこで足を止めてしまい、その日は先に進まなかった。
それに袁紹のたどる道は、曹操が思っていたよりずっと長く、運良く長く尾行できてもなかなか目的地には着かなかった。
いや、目的地ではなく、約束の地とでも言うべきか。
その時の曹操には、袁紹がその先に見ているものが何なのか全く分かっていなかった。
ただ面白そうだというだけで、曹操は袁紹の巡礼ともいえる聖なる行為を意図せずして邪魔していたのだ。
「……あの時は、悪い事をした」
曹操が後ろから謝ると、袁紹は背を向けたまま答えた。
「構わぬ、おまえに悪意があった訳ではなかろう。
悪いのは、父上と私の生まれなのだ」
だが、その言葉は隠しきれない棘を含んでいた。
長年袁紹の疑心暗鬼の一部になっていた、気が狂いそうなほど悔しくて悲しい記憶の棘を。
表と裏、両方の袁紹の心に刺さって抜けない棘を。
闇ばかりが濃くなる細い裏路地を、三人の足音だけが通り抜けていった。
子供や若者は、好奇心のあまりよく人を傷付けてしまいます。
相手にとって知られたくない事に理由もなく首を突っ込み、相手の都合などお構いなしに知ろうとやっきになるものです。
並外れた好奇心と行動力を持つ曹操が、暴いてしまった袁紹の聖地とは……。