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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~束縛の館にて(6)

 曹操と袁紹は、辛毗によってつながり、手を取り合いました。

 しかし、二人の間には依然としてわだかまりが残っています。


 洛陽で、二人が袂を分かつ原因になった袁紹の一言……なぜ袁紹は曹操にそんな言い方をしたのでしょうか。

 そして、そうなった原因と二人が囚われていた悪夢が明かされます。

 曹操は、必死で袁紹とつながる鞭を手繰り寄せようとした。

 袁紹も、心から救いを望んで曹操の差し出した鞭にすがった。


 しかし、袁紹を取り巻く沼は、そう簡単に袁紹を放してはくれなかった。

 沼の底から伸びあがる黒い手が、もがく袁紹の体をがんじがらめに締め付ける。


「オマエを、下賤の下には行かセない……!」


 地の底から響くような、妄執に満ちた声が聞こえた。


「なっ……あの女、まだ……!?」


 曹操は、ぎりっと歯を噛みしめた。


  母親の幻影は、さっき倒したはずだ。

  いや、倒されたからこそ、袁紹を道連れにしようとしているのか。


 黒い手はあくまで袁紹を抱きしめ、共に地獄に引き込もうとする。

 そうすることが袁紹のためだと、思い込んでいるのか。


「ふざけるな、袁紹を放せ!

 おまえがそうすることで、袁紹が苦しみ続けるのが分からないのか!?」


 曹操が叫ぶと、沼の底からまた声がした。


「分かラナいわ……全く分からナイ……。

 本初は、袁家の当主ナノよ。

 下賤の者に頭を下ゲルよりは、この方がシアワセに決まっているデしょう……」


 その声に、曹操は思わず戦慄した。


  彼女の声には、疑いというものが全くない。

  本当に、分からないのだ。


 普通、悪事を働く者でも、それを悪いと分かっていながらやる者がほとんどだ。

 本当に善悪が分かっていない者など、滅多にいない。


 彼女は本当に、心の底から、袁紹の幸せを願ってこうしているのだ。

 彼女の辞書に、それ以外の幸せという選択肢はない。

 その完全に閉ざされた思考回路が、曹操には恐ろしかった。


「だって、ネエ……私は、いつだってソウやって本初を育てるように言わレテきたわ。

 本初は、袁家ノ当主!

 それ以外のシアワセなんて、ある訳ないジャナイ!」


 曹操はようやく、この女の本質が分かった。

 この女は、そうやって周りから言われ続けて過ごしたせいで、それ以外の価値を全く知らなかったんだ。


  あなたは、袁家の母。

  当主を私たちの理想に育てることだけが、唯一おまえの価値なのです。


 彼女は、袁紹を理想の当主に育てる事だけが己の価値であると思い込まされていた。

 だから、全身全霊で袁紹をそういうふうに教育した。


 そんな彼女に育てられた袁紹もまた……。


(まさか、袁紹も……!!)


 曹操は、己が犯していた恐るべき間違いに気が付いた。


  それは、二人が最後に別れたあの時のこと。

  袁紹は友人としてあり得ないような高圧的な言い方で、曹操を止めようとした。


「黙りなさい、総大将はこのわしだ。

 おまえは、わしに従って戦えばよい!」


 あの時袁紹が自分を止めようとして放った言葉。

 曹操が頭にきて袁紹に背を向けたのは、あれが決定打だった。


 曹操は、袁紹が自分を心の中で軽んじていたからあんな言い方をしたのだと今まで思い続けてきた。

 しかし、袁紹があれ以外の言い方を思いつかなかったのだとしたら……。


「聞け、袁紹!

 おまえは、最後に別れたあの時のことを覚えているか!」


 曹操は、体が軋むのに耐えながら、袁紹に聞いた。


「おまえは、あの時総大将と名家の強権で俺を止めようとしたはずだ。

 その時のおまえに、軽蔑や悪意はあったか!?」


 それを聞くと、袁紹は大きく目を見開いた。


「何を言う、曹操!?

 そのような邪な思いなど、ある訳がなかろう!!」


 曹操の心を、一筋の光明が貫いた。

 あの時の袁紹に、自分が疑っていたような感情はなかったのだ。


 袁紹は、すがるような目で曹操を見上げ、かすれる声を振り絞って続けた。


「わしは、おまえを助けたかった。

 だが、おまえがやると決めたことを止めさせるのがどれだけ難しいかも分かっていた。

 普通の言い方をしても、おまえを止められはせぬ。だからああして、わしの持てる全てをかけて止めようとしたのだ!」


 やはり、母親と同じだ。


 袁紹は、名家の当主としてその名と権力で人を従えろと覚え込まされてきた。

 だから、袁紹にとって従わない者にいう事を聞かせる最後にして最良の手段は、強権を振りかざすことなのだ。


  袁紹は、どうしても曹操を助けたかった。

  だからこそ、あんな高圧的な言い方をしたのだ。

  これが曹操を止めるのに最良の方法だと、心から信じて。


 袁紹は、悔しそうに顔を歪めた。


「だが、おまえはわしを裏切った。

 おまえを助けるためにあんなにまでしたわしに背を向け、言った通りになってもわしに謝りもしなかった。

 わしに最初から悪意をもっていたのは、おまえの方ではないのか!!」


 ぶつけられるむき出しの感情を、曹操は何も言わずに受け取った。

 言葉とともに感じられる袁紹の痛みが、曹操の胸に突き刺さった。


(馬鹿な話だ……おれたちは今まで、こんなことで争っていたのか!)


 分かれば分かるほど、愚かしくて悲しかった。


 曹操は袁紹の言葉のみに囚われて、その背後にあらぬ感情を疑って怒りのままに去った。

 袁紹は自分として最善を尽くしても報われなかった結果に囚われて、曹操の裏切りを疑った。


  お互いに、ありもしない邪念に囚われていただけなのだ。


 それが分かった今、曹操に悔いはなかった。

 もう、袁紹を助けるのにわだかまりはない。

 今袁紹を救うために、この命を懸けられる。


「すまぬ、袁紹……おれは、裏切った訳ではないのだ。

 それを、今ここで証明してみせる!」


 曹操は、全身の力をこめて、袁紹とつながる鞭を引っ張った。

 心の重しがとれたせいか、体は辛いはずなのにさっきよりずっと力が入る。


 袁紹の体が、ずるりと引きずり出されていく。


「お、おお……曹操!」


 曹操から伝わってくる力に合わせて、袁紹も夢中で体を引き上げる。

 ついに、袁紹の上体が沼から抜け出した。


 だが、沼から伸びる黒い手は袁紹を放さない。

 それどころか、渦の中心からちゃりちゃりと不快な音を立てて鎖までも浮かび上がってくる。


  母親が、どうしても袁紹を放したくないのだ。


 沼の水面から宙に浮かんだ分銅が、袁紹に狙いを定めた。

 曹操も袁紹も、今これを避けることはできない。

 そんなことをしたら、袁紹が再び沼に沈んでしまう。


 動けぬ二人に、彼女の妄執をこめた無慈悲な分銅が振り出された。

 袁紹と三人目の母親は、非常によく似た悪夢を抱えていました。

 名家の頂点としての価値観を絶対的に押し付けられたため、それ以外の価値を認めることが許されなかったのです。


 そんな悪夢に囚われた親子のうち、母親の方は曹操が気づく前に首をはねてしまいました。

 そのせいで、彼女の思いはそこから動けなくなってしまっているのです。

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