表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
147/196

曹操~悔恨の館にて(7)

 自分は、実はグッドエンドを書くのがあまり上手ではありません。

 どちらかというと、バッドエンドの方が得意です。


 そのため、完全に全てが救われたエンディングに到達するのは難しいかもしれません。

 でも、この作品ももう終わりが近いので、どうにか頑張っていい方向にもっていきます。

「きィエエえ!!」


 黒光りする分銅が、幾多の鎖とともに曹操に迫る。

 全てを振り払うことなどできようもなく、曹操は大きく回り込んでそれをかわした。


「袁家の威光はネ、おまえナンかがとやかく言うモノじゃなイノ!

 おまえは黙っテ、紹に従ってイレばいいノ!」


 こちらの言うことなど聞く耳持たず、怪物は一方的に名家の威光を押し付ける。


  まるで、あの時の袁紹のように。


 そうやって実体のないもので押し通されると、本当に気分が悪くなる。

 曹操は元々、根拠のないものは嫌いなのだ。


「黙れ、その口を閉じろ!」


 わき上がる嫌悪感に、曹操の口からも乱暴な言葉が出る。

 袁紹にそうされた時の事を思い出し、ますます苛立ちがひどくなる。


  この親子は、同じなのだ。

  実のないものに縛られ、他人にもそれを押し付ける。

  長く親友として付き合ってきた自分にさえ、袁紹は……。


 それを思い出すと、曹操は強烈な怒りに襲われた。


(このような女、許すものか……!)


 袁紹は、自分が救わねばならない。

 しかし、この怪物を救う義理はない。

 ならば、この苛立ちと不快感は全て、この女に受け取ってもらおう。


  曹操は、在りし比の袁紹とこの母親の幻影を重ねていた。


 その日、袁紹にぶつけたかった怒りを爆発させ、怪物を翻弄する。

 口汚く罵り、怪物が分銅を振りかざすのを見て、さっと鏡台の影に隠れる。


  ガッシャアン!!


 脆く透明な音とともに、鏡に分銅が打ち込まれて割れる。

 鏡の欠片が凶器の雨となり、怪物に向かって降り注ぐ。


「きゃあアア!!?」


 容赦なくぶつかる破片に、怪物は思わず頭を抱えて顔を覆った。

 その瞬間、曹操はすでに怪物の後ろに回り込んでいた。


「名家に囚われたまま、死ね!」


 愛用の名剣で、一息に怪物の首をはねる。


  白い肌の切れ目から、真っ黒な体液がこぼれる。

  頭から生えた手と体から生えた鎖が、力を失って床に這いつくばる。


 怪物の亡骸は床に倒れると、どろりと溶けだした。

 そして、黒い水たまりのようになり、床に染み込むように消えてしまった。



「はあ、はあ……はあ!」


 曹操は、息を荒げて怪物が消えていく様を見ていた。


  結局、この怪物の真意を知ることはできなかった。

  取りつく島もなく拒まれて、切り捨てるしかなかった。


 だが、これは袁紹ではない。

 あくまで、袁紹が悪夢の一部として生み出した怪物にすぎない。


 今大切なのは、袁紹本人を救うことだ。


「くそっ……だいぶ時間を使った。

 早く、手紙を……!」


 曹操は息も整わぬまま、机の下に隠した花瓶を取り出す。

 そして、ゆっくりと花瓶を傾け、机の上に広げた辛毗の手紙に水を注ぐ。


<愛しい、我が君へ>


 じわじわと染み込む透明な液体とともに、墨のような黒い文字がにじみ出る。


<袁家より発した悪夢により、私たち家臣は多くのものを失いました。

 何も知らずに争いの中で逝ってしまった兄も、私が何も知らずに殺めてしまった審配も、もう取り戻すことはできません>


 最初にあったのは、悔恨だった。

 辛毗は袁紹と関わって失った多くのものを惜しみ、悲しんでいるのだ。


<しかし、私はまだ全てを失った訳ではありません。

 共に生きた昔からの仲間が、守るべき河北の民が、まだ私を必要としております。

 だから私はこれまでの惨劇を受け止め、もう二度とこのような悲しいことが起こらぬように、それらを守って生きていくことに決めました>


 次にあったのは、希望だった。

 辛毗は、己の身に起こった惨劇を乗り越え、これからを生きようとしている。


<ですから、殿もどうか、悪夢の夜を乗り越えて新たな絆を結んでください>


 新たな絆、という一言が、曹操の心を貫いた。


  そう、かつての無垢な絆はもう、取り戻せない。

  失って、取り戻せないものは間違いなく存在する。


 失ったものは戻らない。しかし、新たに作ることはできる。

 これまでの悲しい記憶と感情を、全て受け止めて編み込んだ強固な絆を。


<敬愛する我が君、どうかその目で真実を見定め、大切な友との絆を再び結んでくださいませ。

 氾濫する黄河のほとりに人が何度でも街を作るように、幾度でも橋をかけてくださいませ。

 私は、我が君たちの幸せを、お祈りしております>


 それは、曹操と袁紹、二人ともに宛てられた手紙だった。

 辛毗は、花瓶一杯の涙を流して、二人のために祈っていたのだ。


  曹操の指にかかった水は、舐めると塩からく、少しだけ苦かった。

  それは、水ではなく涙だった。


「辛毗よ……!」


 曹操は、手紙を握りしめて立ち上がった。


  道は、示された。


 袁紹とのかつての友情は、もう取り戻せない。

 無垢でただ楽しかったあの日々は、もう戻ってこない。

 しかし、新たに友情を結ぶことはできる。


 袁紹の痛みを受け止め、この悪夢をも織り込んだ、もっと強固で深い絆を。


  辛毗の言う真実の意味は、まだ分からないままだ。

  しかし、今やるべきことは分かった。


  今の傷つき果て、悪夢に囚われた袁紹を、受け入れてやること。


 感傷にひたっている暇はなかった。

 辛毗に感謝し、頭を垂れている曹操の耳に、悲鳴が届く。


「うぉあああ!!!」


 それは、まぎれもなく袁紹の声。

 さっき背にしてきた、袁紹の部屋からだ。


  もう、迷うことはない。


「今行くぞ、袁紹!」


 曹操はいつの間にか流していた涙を拭い、辛毗の手紙を再び懐にしまって駆け出した。

 辛毗が言いたかったことは、失って戻らないものに囚われるのではなく、その喪失を受け入れて先に進めということでした。

 袁家内紛で多くのものを失った、辛毗だからこその助言です。


 しかし、曹操は三人目の母の幻影を、真意を知ることなく倒してしまいました。

 直後に聞こえてきた、袁紹の悲鳴は……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ