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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~束縛の間にて(3)

 曹操と袁紹の主張は平行線をたどります。

 心が折れて元に戻れない袁紹と、それは意志の強さ次第だと歯がゆく思う曹操。


 しかし、この館に宿る意思はこの二人だけではありません。

 もう一人、ここで果てた魂の残渣が二人の道を作ります。

 袁紹が、誇らしげに剣を振りかざす。

 曹操を、自分と同じ死に引きずり込もうと凶器を振るう。


「全ては、我が袁家のために!」


 仮面のように凍りついた顔で、取りつく島もない言葉を放つ。


  今の袁紹は、これまで曹操が見た中で一番はっきりと意志を示していた。


 生前のどこか不安げな表情とは違う。

 己の全てを袁家に任せて、完全に考えることを放棄してしまっている。


 思えば、袁紹が生前袁家に縛られながらも不安げな顔をしていたのは、それでもまだ己の意識が残っていたからではないか。

 植え付けられた袁家の意志と本人の意思がせめぎ合った結果、あんなに優柔不断だったのだ。

 だが、今の袁紹は、もう……。


(なぜだ、なぜ袁紹は元に戻ることを望まぬ!?)


 焦る曹操に、袁紹が生み出した狂気の黒い手が迫る。


「本初のたメニ、死にナサい!」


 愛用の名剣を振れば、その手は豆腐のように容易く切れる。

 しかし、切っても切っても再生して襲い掛かってくる。


 怪物の体力がどの程度かは知らないが、この再生は脅威だ。

 曹操は限られた体力で、この果てしなく再生する手を絶え間なく切り刻まなければならないのだ。


「はあ、はあ……!」


 さすがの曹操も、息が上がってきた。


 袁紹は冷たい笑みを浮かべて、そんな曹操を見つめてつぶやく。


「どうした、おまえという人間さえいれば、いつまでもわしに立ち向かえるのだろ?

 必要なものさえそろっていれば、何でも元に戻せる。

 おまえの理論ではないか!」


 袁紹は底冷えのするような視線とともに、不気味なほど落ち着いた声で言った。


「だがな、そんなものは机上の空論に過ぎぬ。

 物は壊れなければよい、しかし人は消耗するのだ。身も、心も……。

 そうやって力尽きれば、少しはわしの気持ちも分かってもらえそうだな」


 曹操は、袁紹の言いたいことが少し分かった気がした。

 袁紹は、話の通じない自分に、せめて同じ思いをさせようとしているのだろう。


 だが、それは違う、と曹操は思う。


  体に関しては、袁紹の言う事は正しいと思う。

  しかし、今問題なのは体ではなく心だ。

  それに、最後に別れるきっかけになったのは、袁紹の言葉ではないか。


 己の弱さと非礼を差し置いて、理不尽に痛みを押し付けるのは、友人のやることではない。

 曹操は袁紹を睨み返し、言い放った。


「今、おまえが救われるのに必要なのは、心だ。体ではない!

 心など、お前の持ちようでいくらでも動かせるではないか!

 おまえさえ一時の痛みをこらえれば、おれたちはまた元に戻れるのだぞ!!」


 それを聞くと、袁紹は悲しそうに下を向いた。


「取り戻せる、か……。

 取り戻せたら、よいのにな……」


 その言葉は、曹操にあてつけるものではなかった。

 袁紹の視線は、床よりもずっと下を見ているかのようだ。


  この血と棘だらけの床の下に、一体何があるというのか。


 袁紹はしばらくぼそぼそとつぶやいていたが、やがて空虚な顔を曹操に向けた。

 定まらぬ視線で曹操を見つめ、問いかける。


「ならば、今地獄に袁譚を迎えに行ったら、あの何も知らなかった頃の幸せが戻ってくるのだろうか?」


 曹操は、一瞬袁紹の言った意味が分からなかった。


(袁譚を、地獄に……?)


 袁譚は、袁紹の長男だったはずだ。

 曹操も、そこはよく知っている。


  だが……地獄とは、どういう意味だ?


 曹操が何も言えないでいると、袁紹は曹操の同意を求めるように小首をかしげた。


「のう、心さえ強ければ、二人は元に戻れるのであろう?

 だったら、わしと袁譚も、取り戻せるのか?

 わしを手酷く裏切り、わしが許せなくて地獄に落とした袁譚と、また元のように何も疑うことなく過ごせるのか?」


 今度ははっきりと、悪寒を覚えた。

 今、袁紹ははっきりと言い切った。


  自分が、袁譚を地獄に落としたと。


 一瞬で、全身に鳥肌が立った。


「ま、待て袁紹……おまえは、息子を……!」


 曹操は信じられないまま、とぎれとぎれにつぶやいた。


  分からない、袁紹が分からない。

  袁紹は、あんなに家族を大事にしていたのに。

  その息子を、自分の手で地獄に落としたなどと……。


「わしも、初めは戻れると信じていたのだ。

 だから死んでからも、あいつにわざわざ会いに行ったのに……!

 だが、あいつは結局わしの気持ちなど分からなんだ。そして生きていた頃と同じようにわしを蔑み、傷つけた」


 そこまで言うと、袁紹は急に曹操をにらみつけた。


「貴様も同じだ!

 わしが貴様の事でどれだけ傷ついたかなど、知ろうともせぬ。

 もう戻れることなどあり得ぬのに、甘い言葉を並べ立てて……!」


 袁紹は、怒りで血走った目をして、頭を抱えた。


「ああ、貴様の考えることなど分かっている!

 希望だけを与えて、のたうつ様を見たいのであろう!?

 ああ、譚よ、わしはもうだまされぬぞ!ありもしないまやかしに引きずられるのはもうたくさんだ!!」


 袁紹の叫びが、灼熱の空気を震わせる。

 曹操は、何も返すことができなかった。


  自分は、袁紹のことを何も分かっていなかった。


 袁紹は自分を試しているのでも、からかっているのでも何でもない。

 ただ、本当に心が折れてしまっているだけなんだ。


  袁紹は、自分の知らないところで尋常でない痛みを味わっていた。

  名家のいすにあぐらをかくふりをして、本当は痛みで動けなかったんだ。


  袁紹はの心は、もう信じたくても信じられないくらい傷ついていたのだ。


 それに気づいたとたん、曹操の目から涙がこぼれた。

 心の底から、この哀れな友を救いたいと思った。


 だが、袁紹はもう自力では曹操を信じられない。

 曹操は袁紹が許してくれないと、ここから出ることはできないのだ。

 部屋の入り口は無慈悲な鉄格子で閉ざされ、動けぬ二人を嘲笑うように炎の舌が舐めていた。

 曹操に袁紹の傷の深さを気づかせたのは、袁譚のエピソードでした。

 誰よりも愛するはずの家族を許せず葬り去るほどの狂気に、曹操はようやく袁紹の心が不可逆に折れてしまったことを悟ります。


 袁紹自身が袁譚に未練を残しているせいか、この館には袁譚を示す場所が存在していました。

 そこで手に入れた鍵は、今も曹操の懐にあるのです。

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