曹操~束縛の間にて(2)
とうとう、曹操と袁紹は戦うことになってしまいました。
ところで、この状況ではどちらに勝機があるのでしょうか。
これまでの流れと、袁紹の状態を考えてみてください。
「袁家に仇なす、敵を討つ!」
高らかに宣言して、袁紹は曹操に斬りかかってきた。
同時に、怪物も動く。
嵐のように迫りくる黒い手の中から、白銀の刃が突きだす。
「はあっ!」
袁紹が繰り出した突きを、曹操は剣で受け流した。
「ふん!」
袁紹の動きに合わせて、袁紹自身の勢いで後ろに放り投げる。
袁紹の体は、その大きさに見合う軽さになっていた。
「ぐがっ!?」
袁紹が地面に落ちる音を聞きながら、追ってきた黒い手を薙ぎ払う。
剣を振り抜けば、その手は本当に髪の毛のようにあっけなく切れる。
ばらばらと、ほどけて床に散っていく。
もう二度とまとまる事無く、散り散りになって。
「ヒイィイ!!」
怪物が叫んだ。
痛いのだろうか。
あんな化け物でも、傷つけば痛みを感じるのか。
その悲鳴を聞いて、曹操は気分が悪くなった。
(なぜ、わざわざそんな痛みを味わうのだ。
これは、おまえの選択次第では味わわなくて良いというのに!)
戦って痛いから、悲鳴を上げる。
だが、その戦いを選んだのは、袁紹自身ではないか。
自分で選んだくせに、あんな叫び声を上げて……同情を誘って、こちらをいいように動かすつもりなのか。
(その手には乗らぬ!)
曹操は注意深く走って部屋の中央に出ると、よろよろと立ち上がる袁紹に向かって再び剣を向けた。
「もう一度言う、苦しいならおれの手を取れ。
おまえも苦しいのは嫌だろう、また昔のような安らぎが欲しいとは思わぬのか!」
しかし、袁紹は苦しい息の下、首を横に振ってつぶやいた。
「無理だな、わしと貴様が元の関係に戻ることなどない。
貴様がわしに与えた苦痛が、全て水に流せると思ったか!」
袁紹は、すでに体のあちこちから血を流していた。
曹操に投げられた時、床を這う有刺鉄線に刺されたのだろう。
だが、それでも袁紹は戦いの姿勢を崩さない。
「おまえにわしの痛みなど、分かるはずがないのだ。
ならば、わしは袁家の仇を討ち、袁家の長として責務を果たすまで!」
痛々しいほどはっきりと言い放って、袁紹は再び曹操に突っ込んできた。
黒い手が、今度は曹操の足を薙ぐように伸びる。
「くっ!」
曹操はすぐさま姿勢を低くして、手を切り払った。
その隙に、袁紹が滑るように剣を突きだす。
迫ってくる袁紹の顔が、間近に見えた。
(袁紹……)
まるで感情がないかのように押し殺した、仮面のような顔。
袁家のためだけに己を捧げる、人形のような中身のない眼差し。
「せあ!」
曹操は、意を決して剣を振り上げた。
ざくりと柔らかい手ごたえとともに、冷たい血しぶきが散る。
「く、ああぁ!!」
袁紹の、若い悲鳴が響いた。
曹操の名剣が、袁紹の胸を浅く切り裂いていた。
袁紹が苦痛に顔を歪め、身をよじる。
仕方なかった。
避けられない以上、相手を止めるしかない。
己の命を守るためには、袁紹を斬るしかなかった。
曹操がぶんっと剣を振ると、袁紹の血がどろりと落ちた。
曹操は眉間にしわを寄せながらも、袁紹に剣を振り上げる。
「おまえが話に応じぬ以上、やむを得ぬ。
おれはおまえと話しに来たのであって、死にに来たのではないからな」
しかし、袁紹はくすりと余裕の笑みを漏らした。
「何がおかしい?」
苛立った曹操が問うと、袁紹は床に横たわったまま答えた。
「話に応じぬのはおまえだろう?
それに……こちらのわしだけを倒して、ここから出られるとでも思ったか!」
「!?」
曹操は、思わず息を呑んだ。
今、目の前にいるのは表の袁紹。
そして、裏の袁紹は館の外にいる。
袁紹は、二人で一つだ。
ならば、この悪夢の世界も……。
青ざめる曹操を嘲笑うように、袁紹が続ける。
「わしは、二人同時に倒れねば完全に気を失うことはない。
ここでわしが斬られても、裏がこの世界を支え続ける。
そしておまえは、ここから出られずに死ぬのだ!」
不幸にして、曹操の予感は当たった。
袁紹は、すでに安全策をとっていたのだ。
袁紹は二人に割れた死者で、曹操は生身の人間。
外で裏の袁紹が生きている限り、この閉じた部屋が開くことはない。
そのうえ、死者である袁紹は時間が経てば何度でも蘇る。
片割れが離れた状態で閉じ込められた時点で、曹操の退路は断たれていたのだ。
顔色を失った曹操の前で、袁紹がゆらりと立ち上がる。
「さあ、心行くまで傷つけ合おうではないか!
我が愛しい友よ!」
この館に曹操が入った時、裏の袁紹は外で動けなくなってしまいました。
これは、表の袁紹が、曹操を確実に閉じ込めるためだったのです。
表の袁紹を倒しても、部屋は開かないし炎も消えない、水も食べ物もない訳ですから……時間が経てば、生身の曹操は確実に負けるのです。
こうして退路を断つのは、袁紹の自分を分かってほしい気持ちの裏返しでもあるのでした。