曹操~悔恨の館にて(4)
この館は前章で辛毗が攻略したため、曹操にわずかですが情報が伝わっています。
曹操が受け取った袁紹からの手紙も、元は辛毗が手に入れたものでした。
辛毗から与えられた情報を元に、曹操は館の中を進みます。
子供部屋を出ると、曹操はいきなり怪物の群れに出くわした。
「何!?」
確か、入る時は近くに怪物はいなかったはずだ。
いつの間に、こんな集まったのだろうか。
考える暇はなかった。
召使いの怪物と犬の怪物が、待っていたように襲い掛かってくる。
「くっ……この!」
地面すれすれに突進してくる犬の頭を割ると、低くなった頭上から包丁や鉈が振り下ろされる。
いつもの姿勢ならかわすのは訳ないことだが、この低い姿勢では対応が難しい。
曹操は、やむなく振り下ろされる凶器を剣で受け止めた。
「グアォ!!」
剣を振り上げてがら開きになった胴を、別の犬が狙う。
「しまった!」
曹操は強引に身をよじって凶器を受け流し、犬の牙をすれすれでかわす。
どうにか囲みをすり抜けたものの、額には脂汗が浮かんでいた。
怪物が、連携して襲ってくる。
動きの速い犬と鈍い召使いが、緩急織り交ぜて波のような攻撃をかけてくる。
犬と召使いの連携は、思った以上に厄介だった。
同時に襲い掛かられると、犬に構っている間に召使いが武器を振るってくる。
逃げようにも、犬に追いかけられて相手をしているうちに、結局召使いたちに追いつかれてしまう。
振り向かずに逃げれば、一方的に犬の攻撃を受け続けることになる。
「はあ……はあ……」
いかに曹操といえど、ずっと戦い続けられる訳ではない。
かれこれ十体以上倒したところで、曹操は息が上がり始めていた。
怪物は、どこから現れるか分からない。
それに、倒しても倒しても次々と現れる。
これでは、一瞬たりとも気が抜けない。
せめてさっき倒した辺りなら少しは安全であろうと思い、来た道を引き返したところ……曹操は、もっと胸が悪くなるものを見るはめになった。
怪物が、怪物の遺体を切り刻んでいる。
召使いの怪物が上品な着物を血に染め、仲間の遺体を細かく刻んでいるのだ。
「これは……?」
曹操が物陰から観察していると、小さくなった肉片はそのうち空気に溶けるように消えてしまった。
そうやって仲間の遺体をだいたい消してしまうと、怪物たちはにわかに動き出した。
犬を先頭に、曹操の残した血の足跡に沿って移動していく。
怪物たちは曹操が隠れている物陰のすぐ側を横切ったが、曹操には気づかずにそのまま足跡を伝って行ってしまった。
(なるほど!)
これを見て、曹操は思い当たった。
怪物たちは、曹操が館を汚すことを嫌がっている。
だから仲間の遺体であろうと容赦なく片づけるし、汚れに沿って犯人を追いかける。
だとしたらどうすれば良いか、曹操にはすぐに分かった。
答えは簡単、できるだけ館を汚さないことだ。
怪物が立ちふさがっていても、できるだけ倒さずに迂回する。
どうしても倒す場合は、できるだけその近くで足を拭ってしまい、足跡を残さない。
それだけで、怪物たちは目的を見失ったようにあまり動かなくなった。
(フフ……あの女らしい)
足跡が消えた場所で呆然と立ち尽くす怪物たちを見て、曹操は思った。
この館の主は、袁紹の母でありながら、守りたいのは袁紹という人間ではなかった。
彼女はこの怪物たちのように、ただ清潔で高貴な袁家を守っていたに過ぎないのだ。
曹操と付き合うと袁紹の格が落ちるから、曹操を冷たくあしらった。
袁紹が妾の子供では家が汚れるから、自分の子にして矯正した。
まるで彼女自身が、袁家に服従する奴隷のようだった。
この怪物たちを見ていると、特にそう思う。
目的がある間はどこまでも忠実に動くが、目的を失えば何もできなくなる。
(哀れなものだ……)
曹操は棒のように立ったままの怪物たちの目を避けて、もう一つ目的の部屋に向かった。
袁紹を袁家の長として育て、がんじがらめに縛りつけたあの女の部屋に。
そして、辛毗が手紙を拾ったというその部屋に。
黒焦げのいばらが床を這う部屋で、表の袁紹はのたうち回っていた。
「う、ぐ……く、来るな。
これ、以上、は……ううっ!!」
眉間にしわを寄せてぎゅっと目をつぶり、頭を抱えて体を折り曲げる。
歯を食いしばった口からは、苦悶の呻きが漏れる。
しかし、袁紹を苦しめているのは身体の苦痛ではなかった。
絶え間なく襲い来るのは、心の苦痛だ。
私は、捨てられた!
利用されるだけだ!
騙されるな!!
霧の向こうにいる曹操の顔を見るたびに、袁紹の中で叫びがこだまする。
かつて、曹操に裏切られて打ちひしがれた己の叫び声が。
「あ、あ……嫌だ、その手を伸ばすな!
私は、貴様の助けなど……うぐっ!?」
思い出すたびに、頭に割れるような痛みが走る。
それでも、表の袁紹は床をかきむしりながら曹操の名を呼んでいた。
「痛い、苦しい……曹操、助けて……っうああああ!!!」
曹操には来てほしくないのに、曹操に助けを求める。
そのどちらもが、袁紹の本心だ。
旧友であった曹操は、袁家に縛られていた袁紹に逃げ場を与えてくれた。
しかし、袁紹の心に癒えぬ傷を残したのもまた、曹操だ。
袁紹は、苦しかった。
曹操に、助けてもらいたくてたまらない。
しかし、実際に曹操を前にすると裏切られた時の痛みが蘇る。
また同じ目に遭うと、頭の中が怒号であふれる。
袁紹は、助けを求める先を失っていた。
かつては、自分を縛っていた袁家が、同時に自分を支えてくれていた。
しかし、そこから解放された今、袁紹にはすがれるものがなかった。
曹操にすがっても、返ってくるのは痛みばかりだ。
やり場のない苦痛の中で、袁紹は思わず、一度は決別した者の名を呼んでいた。
「う、ああ……助けて……。
助けてください、母上……!」
その叫びに応えるように、黒焦げのいばらがざわりと動いた。
館の中の怪物は、明らかに三人目の母の影響を受けています。
その幻影は辛毗編で倒されたにも関わらず、です。
そして、苦しむ袁紹が横たわっている部屋はどこなのでしょうか。
ヒントは、黒焦げのいばらです。棘だらけで、火が燃えていた場所と言えば……。