曹操~悔恨の館にて(2)
更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
ゾンビ百人一首の方の書き下ろしを投下していましたもので。
後ろで突然音がした時、曹操はぎくりと足を止めた。
背中から全身を撫でるように、ふわりと空気が流れる。
嫌な予感がして振り向くと、開けたままだったはずの門が閉まっていた。
「な、に……?」
曹操の背中に、冷たい汗が流れた。
さっきの館では開きっ放しだった門が、ここでは固く閉ざされてしまった。
どうせ開いたままだろうと思っていた曹操は、意表を突かれた。
さっきと、袁紹の反応が違う。
さっきは自由に逃げろと言っていたのに、ここでは逃がさない気だ。
しかし、ここにいる袁紹が誰かを考えると、曹操は落ち着きを取り戻した。
ここにいる袁紹は、そもそもさっきの館にいた袁紹とは違うのだ。
ここにいるのは名門袁家の当主であって、陰気な妾の子ではない。
同じ袁紹であっても、あの二人は全く違う。
立場も、思考も、そして曹操への感情も、かなりの部分が異なるのだろう。
思えば、袁紹は本来の性格では生きられなかったから、もう一人の自分を作り上げて魂を割ったのだ。
栄光に満ちた袁紹は、本来の袁紹が耐えられなかった環境で生き延びるために、その環境に適応してできた人格だ。
元々、相容れない性格だからこそ魂が割れたのだ。
「心配するな、袁紹。
おれは逃げる気も隠れる気もない」
霧の向こうに語りかけるように、曹操はつぶやいた。
自分は袁紹を救うために来たのだ。
どうせ自分に引く気がないなら、門は開いていても閉まっていても同じことだ。
自分は自分の意思で、逃げずに袁紹と向き合う。
曹操は固く口を結んだ門に背を向けて、真っ直ぐ屋敷に向かって歩き出した。
その館も、かつて曹操が見たとおりだった。
袁術の母がいた館よりも質素な造りで、しかしそれを形作る素材は相当に上物で、品の良い贅沢さを感じさせる。
庭も無駄な装飾は少なく、洗練された感じにまとめられている。
館全体に、真に高貴なる者の気高さが漂っている。
まるでこの館にいた、あの品の良い母親のように。
(なるほど、確かにあの女ならば、用心に越したことはないか)
曹操は、かつてこの館にいた母親のことを思い出した。
袁紹を迎えに行くと、いつも整った出で立ちで迎えてくれた。
凛とした気品に満ちた表情の、常に隙のない女だった。
そして、曹操と出かける袁紹の顔を心配そうにのぞき込み……
汚れないうちに、早く帰ってくるのよ、紹。
その汚れるという意味が、物理的な意味ではないと知ったのは、しばらく後のこと。
彼女が心配していたのは着物や体などではない。
袁紹が背負わされた、名門の誇りが汚れることを嫌ったのだ。
そんな彼女は、袁紹を汚そうとする曹操を内心嫌っていた。
それで、あなたはいつになったら紹に仕えるのかしら?
だいぶ大きくなってから、袁紹の館に遊びに行ったらこんな言葉を浴びせられた。
まだ若くて怖いもの知らずだったはずなのに、あの時ばかりは全身に冷水を浴びせられたように感じたものだ。
(あの女と、袁家の嫡子としての袁紹……か。
これは気が抜けぬな)
蘇る悪寒とともに、曹操は悟った。
ここにいる母親は、曹操と袁紹の『親友』という関係を認めない。
そして彼女に育てられた袁紹は、あの洛陽での別れ以来ついに曹操と手を取り合うことはなかった。
この館には、拒絶が満ちている。
だが、それにめげてしまっては袁紹を救うことはできない。
曹操は覚悟を決めて、一片の埃もなく清められた玄関に踏み入った。
表の袁紹と裏の袁紹は、元は同じ人物であるにも関わらず全く違う性格です。
これまでにも、表の袁紹と裏の袁紹の意見が食い違ったことは何度もありました。今回のこの館で、曹操はそれを目の当たりにします。
また、袁紹の三人目の母も再び登場します。
彼女は辛毗編で、一度倒されたはずなのですが……。