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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
最終章~曹操孟徳について
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曹操~憧憬の通りにて(1)

 憎悪の館の中で、曹操は袁紹に一つの疑問を持っていました。

 自分が一時的に袁紹を蔑んでしまったことを、気づかれていたのではないかという疑念です。


 結局、館の中ではそれは明らかになりませんでした。

 曹操は袁紹の気持ちを確かめようとしますが……。

 館を出ると、曹操はまず袁紹に謝った。


「すまぬ、袁紹。

 おれは幼い頃、一時とはいえおまえを蔑んでいた」


 館の中で思い出した苦い記憶。

 袁家のとある男の言に心を揺らされ、袁紹と付き合うことで自分が貶められると勘違いしていた日々のこと。


  袁紹が覚えているかは、結局確かめられなかった。


 袁紹がこれを覚えているかいないかは、袁術の母の幻影を倒した今となってはどうでもいいことかもしれない。

 しかし、袁紹のこの悪夢は一筋縄ではいかない。

 自分と袁紹の間で誤解の種になりそうなことは、極力潰しておくべきだった。


 かといって、直接聞くのは気が引ける。

 今の袁紹は非常に難しい状態だ。些細な感情の乱れから、何が起こるか分からない。

 だから曹操は、まず自分から謝ることにした。


「おまえがここに住んでいた頃、袁家の重鎮らしき男が言っていた。おまえとおれは、下賤同士でお似合いだと。

 おれはそれを聞いて、おまえのせいでおれが貶められたと思ったのだ」


 それを聞くと、袁紹は意外にも驚いた顔をした。


「何!?

 そうか……あの言葉はそのようにもとれるのか」


 なんと袁紹は、曹操のその感情に気づいていなかったのだ。

 ずっと覚えているのではと勘ぐっていた曹操は、裏をかかれたような思いだった。


「袁紹、本当に気付かなかったのか!?」


 慌てる曹操を面白そうに見つめながら、血塗れの袁紹はくすくすと笑った。


「あの時の私に、他人を気にする余裕などあったものか。

 自分のことで頭が一杯で、無事に明日を迎えることしか考えておらなんだわ!」


 袁紹は一しきり笑うと、曹操の目をぐっとのぞきこんでささやいた。


「くっくっく……それはむしろ、おまえ自身の闇であろう。

 己の内にやましいことがあればこそ、おまえはあの悪夢にそれを見たのだ」


「……!!」


 袁紹の目は、闇よりも暗い色をしていた。

 曹操は思わず、ぞわりと背筋をこわばらせた。


  あれは、曹操自身の闇。


 言われてみれば、確かにそうだ。

 曹操自身が人に言えないような感情を持ったからこそ、袁紹がそれを知っているのではないかと勘ぐってしまった。

 あの怪物の言葉が、自分に向けられているようにとってしまったのだ。


「私の悪夢は、人の闇を写す……誰しも心の中に、抱えている闇があるのだ。

 これまで招いた者たちも皆、己の悪夢を掘り返されて苦しんでおったわ!」


 血塗れの袁紹は、ニヤリと口角を上げた。


 喜んでいるのだろう。

 自分と同じような苦しみを、他の人間にも味わわせることができたから。


「意地の悪いことだな」


 曹操が渋い顔で言うと、袁紹はふんと鼻を鳴らした。


「貴様がそれを言うか。

 私に期待を持たせて、そのたびに裏切ってきたくせに!」


 その言葉は、曹操の心をぐさりと刺しぬいた。


  そうだ、自分は結局袁紹との絆を取り戻せなかった。

  いつかいつかと思いながら、袁紹の生きている間にそのいつかは来なかった。


 だが、曹操は袁紹のことを完全に見捨てた訳ではなかった。

 だから今、こうして招きに応じて来たのではないか。


「今回は、期待通りおまえを救ってやったではないか」


 曹操が言い返すと、袁紹はまだ不信をにじませた目で曹操をにらんだ。


「こちらの私は……な。

 だが、そもそもこちらの私はおまえにそれほど裏切られてはおらぬ。おまえが私を裏切る前に、私が封じられたせいでな。

 おまえが裏切ったのは……」


「皆の知っている名門の袁紹、だろう?」


 曹操が割り込んで答えてやると、袁紹は深くうなずいた。

 どうやら、正解だったようだ。


  袁紹は、この血塗れの袁紹が全てではない。


 曹操は知っている。

 袁紹には、恐怖に負けていつも怯えている袁紹と、栄光に満ちた名門袁家の当主の二つの顔がある。


 おそらく、この血塗れの袁紹は前者なのだろう。

 生まれに苦しめられ、救いのない日々を過ごした袁紹の闇の部分。


  だから、曹操を苦しみに引き込もうとした。

  自分が苦しくてみじめだから、自分と同じ苦しみを与えようとした。


  この暗くみじめな袁紹が望むのは、それくらいだ。


「だから私は、初めからおまえを敵とは思っておらぬ。

 おまえがあの館で戦ったのは、おまえ自身よ」


 血塗れの袁紹は、そう言って通りの先を見た。


 館から出て、目にした風景はさっきと同じではなかった。

 霧の漂う街並みは都市のそれではなくなり、全体的にこぢんまりとしている。

 建物は小さく道幅は狭く、まるでどこかの田舎道のようだった。


  曹操は、その通りを知っている。


 少し大きくなった頃から、よく袁紹と一緒に遊んだ。

 袁紹を館まで迎えに行って、そのままこの通りで茶を飲んだり買い食いをしたりした。


 そうだ、ここは汝南の……。


「なるほど、懐かしい場所だ」


 曹操は、感慨深げに辺りを見回した。


 霧のせいで、遠くを見通すことはできない。

 しかし、見なくてもだいたいどこに何があったか分かるほど、曹操の中でその思い出は鮮やかだった。


  そこで一緒に遊んでいた袁紹は、すでに……。


 血塗れの袁紹は、遠い目で霧の中を見つめながら言った。


「私の魂は、二つに割れておる。

 今ここにいる私と、皆のよく知っている私だ。

 曹操、おまえはその両方のわしを受け止めねばならん」


 曹操は、振り向かずにうなずいた。


「分かっている」


 この先に、おそらくもう一人の袁紹がいる。

 そして、もう一人の母も。


 曹操は血塗れの袁紹の手を握り、もう片方の手に剣を持って歩き出した。


「大丈夫だ、おれが必ず救ってやる!」


「どうだかな……まあ、こちらの私は期待している」


 静寂の中に、二人分の足音が響く。

 自信をもって先を行く曹操と、手を引かれて歩く袁紹。

 それは、在りし日の親友の姿だった。

 袁紹の悪夢は、招かれた者の悪夢を写す鏡でもあります。招かれた者は皆、自分の中の暗い部分と向き合わされるのです。

 袁譚編と辛毗編では、それが特に顕著に表れていました。


 さて、憎悪の館を攻略したら、次はどの館に向かうのでしょうか。

 袁紹は、怒る母の元に帰ったのです。

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