袁紹~憎悪の館にて
今回のボス戦は、孫策編と比べると敵の手ごたえがなかったかと思います。
なぜなら、この館において袁紹の敵である袁術と継母に対する恐怖は、孫策がだいぶ薄めてくれたからです。その時点で、この館はすでにクリア済と考えてよかったでしょう。
ゆえに、ここで曹操が戦ったのは、袁紹であったともいえます。
気が付けば、そこはもう豪奢な部屋ではなかった。
床にしかれた絨毯は、怪物の亡骸とともに消え失せた。
カーテンも燭台も、空気に溶けるように消えてしまった。
そこは、殺風景な石造りの部屋に変わり果てていた。
冷たい石の床に、何もないだだっ広い空間。
辺りを満たしていた重い闇が去り、小さな窓から白っぽい光が差していた。
「袁紹……」
曹操は、感慨深げに目の前に立つ人物を見つめていた。
絶望と虚無にのまれた、暗い瞳。
他人を信じられず、自分をも蔑むような眼差し。
彼は、もう少年ではない。
曹操もよく知っている、大人の姿だ。
「久しいな、曹操」
袁紹は、曹操の方を見て口だけで笑った。
助けてはやったものの、それで終わりという訳ではないらしい。
どうも、袁紹はまだ自分のことを完全には信用していない感じだ。
それに、袁紹は鎧をまとった姿で、全身が血にまみれていた。
明らかに、救われたという感じではない。
「袁紹、おまえは……この館にいたおまえだな?」
曹操は、静かに尋ねた。
袁紹がこんな顔をしていたのは、この館にいた時とそれからしばらくの間だけだ。
それより後は、もっと別の顔が袁紹を支配していた。
この顔は、大人になってからは見せていない。
最も幼い時期に見せて、新しい館に移ってからは消えてしまった顔だ。
それを聞くと、袁紹はわずかにはにかんでうなずいた。
「そうだ、私のこの顔を知っているのはおまえと……術くらいだろう」
どこか諦めたような、自虐的な笑み。
だが、これが袁紹の最も根源の感情だ。
その顔が、わずかに楽しそうに歪んだ。
「もっとも、術はもう地獄に落としてしまったがな。
だからこの私を知っているのは、この世におまえ一人だ」
袁紹は、嬉しそうに曹操に手を伸ばした。
曹操は背筋に寒気を感じながらも、その手を取る。
手は、氷のように冷たかった。
袁紹はもう死んでいるのだという実感が、ずしりとこたえた。
「大丈夫だ、袁紹。
どのようなおまえであろうと、必ず救ってやるさ。
おれたちは、親友だろう?」
己の中の恐れを払うように、何度も心の中で反復した誓いを口に出す。
それを聞くと、袁紹はやはり、どこか諦めたような暗い笑みを浮かべた。
「期待していよう」
袁紹は、曹操の手を取った。
しかし、救いにはまだほど遠い。
この袁紹は、袁紹の一部でしかない。
これは曹操と限られた者のみが知っている袁紹、だから真っ先に曹操に会いに来てくれた。
だが、そうでない袁紹もいる。
そのもう一人の袁紹は、果たして素直に曹操を受け入れてくれるだろうか。
(だが、やる前から悪い結果を考えても仕方ない)
曹操は持ち前の強い意志で、その不安を押しこめた。
袁紹は、本当に久しぶりに曹操の手を握った。
何年などという単位ではない。
もう今となっては、何十年といってもいいかもしれない。
こうやって曹操の手に触れるのは、あの董卓討伐連合軍以来だ。
それからはずっと、一人で暗闇に耐えていた。
(温かい……おまえも、そう思うであろう?)
じんわりと伝わってくる曹操の体温を感じながら、裏の袁紹はもう一人の自分に語りかけた。
もう一人の自分。
自分が楽に生きるために作り、いつの間にかそちらが主人格になってしまった。
もう一人の自分は、こことは別の館で待っている。
自分とは違い、曹操を恨み、刃を研ぎながら待っている。
自分を捨てた曹操に、己の苦痛を思うまま味わわせるために。
(だが、曹操は確かに私を助けに来た。
それくらいは認めてやったらどうなのだ?)
裏の袁紹は、今己が感じているぬくもりと共に、自分の意思を伝える。
(曹操は、その身を張って私を助けてくれた。
やはり私は、捨てられてなどいないのではないか?
少なくとも私には、そう感じられる)
そこで裏の袁紹は、一旦片割れの返事を待った。
程なくして、強烈な感情を帯びた思念が返ってきた。
ふざけるな!!!
一瞬頭が割れるかと思うほどの、強く重い思念。
片割れは、明らかに曹操を拒絶していた。
(曹操は……あれは都合のいい男だ。
奴にとってはわしのことも、ただの幽霊退治でしかないに違いない!)
その頑なな疑心に、裏の袁紹は苦笑した。
自分はずっと闇の中にいたから、曹操の気持ちは割とすんなり受け取ってやれる。
なくすものがなかったから、手を引かれるままどこまでも行ける。
だが、あちらは……。
(さて、曹操はあやつの心まで取り戻せるかな?)
しゃにむに突き進む旧友の後姿を見ながら、裏の袁紹は聞こえるか聞こえないかの笑い声を漏らした。
曹操が助けに来てくれたのは、歓迎すべきだろう。
しかし、物事が全てうまくいくとは限らない。
(だが、それでも構わぬ。
うまくいかねばその時は、曹操も私と共に闇に堕ちるだけだ)
そうしたら、ずっと一緒にいられる。
別に、救われても救われなくても関係ない。
曹操は自分を捨てていなかったと、その確信が欲しいだけだ。
裏の袁紹が望むのは、結果が地獄であれ天国であれ、己の苦痛を分かち合ってくれる者がほしいだけだ。
ずっと闇の底にいた裏の袁紹は、それ以上を望むべくもなかった。
(そして本当に救いを欲しているのは……)
裏の袁紹は静かに目を伏せ、片割れの心が解けるように願った。
あれの心は、頑なだ。
十年ももたずに封じられた自分とは違って、何十年も重圧と辛苦に叩かれ生き続けたのだから。
(それに、それを越えても……)
袁紹の心の闇は、幾重にも深い。
果たして、曹操はその全てを受け入れてくれるだろうか。
霧はまだまだ深く、光を遮り続けている。
それでも裏の袁紹は、曹操の体温に惹かれるように、手をつないで憎悪の館を後にした。
ここで救われた袁紹は、裏の袁紹でした。
裏の袁紹は幼い頃の、継母と袁術への恐怖と絶望が凝り固まった存在です。そのため、裏の袁紹は「曹操に対しては」それほど強い抵抗をしません。裏の袁紹が嫌っているのは、主に袁術と、それに抗えなかった弱い自分なのですから。
しかし、館はまだ二つあります。
それぞれの館をこれまでどの程度攻略できているのか、一度整理してみてください。