曹操~憎悪の館にて(4)
曹操はいよいよ、最初のボスが待ち構える部屋に入ります。
これまでの敵もそうでしたが、今回は袁紹が曹操に向ける強い感情の影響で、ボス敵もこれまでとは異なる行動を見せます。
袁紹の卑しい友人を前に、袁術の母の幻影はどんな行動を見せるのでしょうか。
悪趣味な黄金の鍵は、豪奢な扉にぴたりとはまった。
カチリと乾いた音がして、鍵が開く。
「さて、と……」
曹操はそこで一度手を止め、一度深呼吸した。
この先は袁紹がかつて押しこまれていた、座敷牢に近い部屋だ。
幼い頃、袁紹が一人目の母の恐怖に耐えて過ごした忌まわしい場所だ。
ここには、袁紹の負の感情がこもっている。
袁紹がここにいる可能性は、高いだろう。
しかし、それ相応の危険も覚悟せねばなるまい。
もっとも、その危険がどのようなものであるか、おおよその見当はつくが。
曹操は剣を抜き放ったまま、片手で慎重に扉を開いた。
ギイギイと重たい音を立てて、曹操の前で暗闇が口を広げていく。
ほどなくして、曹操はようやく露わになった袁紹の闇に足を踏み入れた。
部屋の中は、薄暗かった。
しかし、床に敷かれた豪勢な絨毯と、ところどころに置かれた贅沢な造りの調度品は見てとれた。
部屋の中央に、二人の人間が立っていた。
前は少年、後ろはころころに肥満した女だ。
曹操は幼い頃、こんな肥満した女に会ったことがあった。
近づくにつれ、曹操はその女が人間ではないことに気づいた。
女の肌は、先ほどの怪物と同じように不自然に白かった。
顔にはかろうじて目と鼻の形があるが、口は明らかに人間離れした大きさで、しかし人間の婦人らしく真っ赤な口紅をつけていた。
袖口からのぞく手は醜く肥大し、少年の肩をわしづかみにしていた。
「袁紹……」
怪物の前に立つ少年は、間違いなく幼少の頃の袁紹であった。
意識が現実にないかのようなうつろな目をして、女の怪物に掴まれている。
あの頃の、袁術の母に支配されていたみじめな袁紹だ。
曹操が近づくと、女の怪物が言葉を発した。
「アラあ、久しぶりねえ。
今日もショウと遊びにキタの?」
少したどたどしいが、継母の口調にそっくりだ。
下々の者を徹底的に馬鹿にし、蔑む言い方。
怪物は下品極まりない口を笑うように歪めて、曹操に話しかけた。
「いいワヨ、好きなヨウに遊んデやって。
アンタなら、ショウにお似合いのおトモダチだものネえ」
そう言って、少年の姿をした袁紹を曹操の前に突き出す。
袁紹は抵抗することなく、ふらふらと曹操の前に歩み出た。
(これは、どういうことだ?)
曹操は、戸惑った。
袁紹は、手を伸ばせばすぐにでも届く距離にいる。
しかし曹操には、安易にその手を取らない方がいいように思えた。
ここで袁紹の手を取るのは、簡単だ。
あまりに簡単すぎる。
何か、裏があるのではないか?
袁術の母の行動も、不可解だ。
袁紹は「母上が怒るので帰ります」と手紙に書いていた。
それなのに、今ここで袁紹を自分に預けようとするとは、どういうことか。
袁紹を外に出したくないだけであれば、この行動は矛盾している。
だとすれば、袁術の母の真意は別のところにあるのだろう。
「袁紹は、おれが連れて行く。
ただし、おまえを始末した後にな!」
曹操はあえて袁紹の手を取らずに、袁術の母に剣を向けた。
怪物が、ふしぎそうな顔をする。
「アラ、どうシてかしら?
あんたがショウと遊ぶのに、ワタシは関係ないでショ」
「おまえがいると、袁紹の心が休まらない」
曹操は、はっきりと言い放った。
袁紹の幼い頃の苦しみを考えると、この怪物を放置していい理由はない。
その真意がどこにあるのか、まだ分かっていなくても、だ。
曹操と継母の間に流れる不穏な空気に気づいたのか、袁紹が弱々しく首を振った。
「曹操、母上をあんまり怒らせないで。
おまえと一緒に館の外で遊べれば、僕はそれで満足だから」
卑屈な眼差しで、曹操を見上げて懇願する。
本当はずっと曹操が見上げる側だったが、その視線はあの頃と変わらなかった。
「ねえ曹操、母上は僕にとても厳しいけど、曹操と遊ぶのは許してくれてるんだ。
曹操と僕は、お似合いなんだって。
だから、ねえ、早く僕を外に連れて行ってよ!」
せかすように、袁紹が言う。
曹操は苛立った。
この少年の姿をした袁紹は、どうやら真意を述べる気がないらしい。
袁術の母の怪物も、袁紹を曹操に押し付けて追い出そうとしている。
家では袁紹のやることなすこと、全てにけちをつけてその行動をことごとく妨害していたのに。
なぜ、こんなことを?
その理由が、曹操には分からなかった。
何となく漠然とした答えは出かかっているが、あと一歩が届かないのだ。
(ならば、いっそのこと……)
曹操は意を決して、袁紹に手を伸ばした。
向こうから明かす気がないならば、向こうの策に乗ってみるしかない。
何が起こるかは分からないが、分からないまま怪物を攻撃するよりはましだ。
分からないまま敵だけを倒したって、袁紹と通じ合うことはできないのだから。
「分かりました、では袁紹をお借りします」
曹操はすました顔で怪物に一礼して、袁紹の手を取った。
特に、何も起こらない。
袁紹の手を引いて入り口の方を振り返ると、案の定扉は開きっ放しになっていた。
館の門と同じように、曹操が引き上げるのを期待しているのだろう。
(さて、どう出るか……)
曹操は油断なく辺りに気を配りながら、扉へと足を進めた。
袁紹の手を取ってしまった以上、何事もなく無事に帰れるとは思えない。
どこかで、何かを仕掛けてくるはずだ。
その瞬間さえ捕らえることができれば、きっと継母の真意にもたどり着けるはずだ。
曹操は袁紹の手をぎゅっと握ったまま、扉の前に立った。
袁術の母は、袁紹を袁家から追い出すことを目的としています。
そのために袁紹の行動全てを妨害していた彼女が、曹操との交流を認めていたのはどういった理由なのでしょうか。
前回の、歴史書の記述と合わせて考えると、答えが見えてきます。