エピローグ
――ダニエルは、最後の資料を閉じた。
長い時間をかけて集められた記録。
語られなかった言葉。
そして、語られるべきではなかった沈黙。
それらを机の上に残し、ダニエルは椅子を引く。
思えば、アダソン夫妻の人生も、サイバーサイジング社の歩みも、すべては「始まり」と「終わり」の間にあっただけなのかもしれない。
どれほど正しく、どれほど理想的に築かれたものであっても、
物事には必ず始まりがあり、そしていつか終わりが来る。
サイバーサイジング社は、二十五年という時間の中で世界を支え、
そして――強制的に幕を下ろされた。
それは失敗だったのか。
それとも、避けられない「終わり」だったのか。
少なくとも言えるのは、
終わりが訪れたからこそ、そこに「物語」が生まれたということだ。
ここに記されているのは、ひとつの物語だ。
だが同時に、これは決して「物語だけ」で終わるものではない。
これはフィクションである。
だが――
その構造は、現実と無関係ではない。
社会の依存構造、企業という存在が抱える歪みを記録したものでもある。
これは、架空の企業を通して描かれた現実の物語であり、「サイバーサイジング社」と呼ばれるものは、
ひとつの会社の闇ではなく、現代社会そのものが抱える盲点を映し出したものにほかならない。
人権の扱われ方。
利便性への依存。
判断を委ね続けた結果、生まれる空白。
制度の有無。
人格や経営者依存問題。
そして、誰も悪意を持たなかったからこそ生まれてしまった暴走。
企業テロという形で。
あるいは企業ハイジャックという構造で。
あるいは制度の空白が生んだ暴走として。
制度の空白が災厄へと転じた――
現代型のホラーである。
そして私は、これを「企業SF」や「現代フィクション」という言葉だけでは足りないと思っている。
むしろこれは――
企業という制度そのものが怪異となる、現代のホラーだ。
血も怪物も出てこない。
だが、責任が溶け、判断が宙づりになり、誰も止められなくなったとき、世界は静かに崩れていく。
それは幽霊の物語ではない。
構造が人を追い詰める“企業ホラー”であり、現代社会そのものを舞台にした“制度災害の物語”だ。
現実の世界でも、十分に起こり得る出来事だ。
特別な悪意がなくても、
特別な狂気がなくても、
「正しさ」だけで世界は壊れる。
そのことを、私たちはまだ十分に理解していない。
幽霊も怪物も出てこない。
だが、もっと恐ろしいものがある。
それは、
「正しさ」が疑われなくなった瞬間だ。
読者はダニエルの話を聞き終わり、立ち上がり、振り返らず、扉を閉め閲覧室を後にする。
そして、読者はかつてサイバーサイジング社のアメリカ本社が置かれていた場所からほど近い、
フィラデルフィア郊外の公文書保管施設を後にした。
そしてそのは、いまも廃墟となった本社の一部が見える。
誰にも使われず、誰にも触れられず、それでも確かに、そこに存在している。
かつて世界を動かした場所。
いまは、ただの「記録」になった場所が密かに見えた。
⸻
そして――
ここから先は、私の物語ではない。
この記録を読み終えた、あなたの物語だ。
すべての始まりは、
一人の女性がFBI本部へ転勤してきた、その日から始まった。
そしてすべての終わりは、サイバーサイジング社が創立してから約二十五年後、
あの夜に起きた悲劇とともに訪れ、やがて「サイバーサイジング・ショック」と呼ばれる
国際的崩落へとつながっていった。
だが、本当の終わりは、まだ訪れていない。
それは――
この記録を読み終えたあなたが、次にどんな選択をするのかに、委ねられている。
そして今日もまた、誰かがここで、
「正しかったはずの過去」を読み返している。




