11.現実で起きた出来事とサイバーサイジングショックの比較
ここで、私はもう一つの比較を避けられなくなった。
人々がしばしば口にする「晴れの日」と、サイバーサイジング社の違いだ。
「晴れの日」は、生活を支える企業だった。
ある年、成人式の直前に、着物の貸し出しが突然止まった。
予約はされていた。代金も支払われていた。
だが、当日になっても着物は届かず、問い合わせ先はつながらず、誰も責任の所在を知らなかった。
それでも世界は止まらなかった。
人々は別の店を探し、家族が代わりに動き、式を欠席する者もいた。
混乱はあった。怒りも、涙もあった。
だが社会そのものが機能停止することはなかった。
なぜか。
「晴れの日」は、生活を便利にしていたが、生活そのものを握ってはいなかったからだ。
止まっても代替があった。
判断は現場に残っていた。
誰に聞けばいいか分からなくても、「自分で決める余地」が残されていた。
創業者は象徴ではあっても、社会の“判断装置”そのものではなかった。
だから会社がつまずいても、世界は倒れなかった。
――だが、サイバーサイジング社は違った。
それは「生活を支える企業」ではなかった。
「世界を止められる企業」だった。
そしてその違いは、後に現実の出来事としても証明される。
スペインとポルトガルで起きた大規模停電。
発電所とインフラへの過度な集中、複雑化した制御系統。
一箇所の異常が連鎖し、都市が沈黙した。
電車が止まり、信号が消え、通信が乱れ、
人々は突然「次に何をすればいいのか」を失った。
技術はあった。
設備もあった。
だが――判断する場所がなかった。
誰が止めるのか。
誰が再開を決めるのか。
責任はどこにあるのか。
それが分からないまま、都市は立ち尽くした。
サイバーサイジング・ショックとは、
その現象が“世界規模で起きた”出来事だった。
電力、通信、交通、医療、金融。
止める判断を一手に引き受けていた存在が消えた瞬間、
人類は初めて、自分たちが「判断を預けきっていた」ことに気づいた。
それは技術の崩壊ではない。
システム障害でもない。
判断の空白だった。
人々は操作方法を知っていた。
マニュアルも残っていた。
だが「やっていいかどうか」を決める存在がいなかった。
それは、ちょうどこういう感覚に近い。
成人式の日、着物は届かない。
だが問題は着物ではない。
「誰に聞けばいいのか分からない」ことそのものが、恐怖なのだ。
サイバーサイジング社が担っていたのは、まさにその「問いへの答え」だった。
止めていいのか。
動かしていいのか。
待つべきか、切るべきか。
世界は二十五年間、それを夫妻に預けてきた。
預けすぎたのだ。
だから彼らが失われた瞬間、
世界は一斉に幼くなった。
考えられなくなったのではない。
考えなくていい状態に、慣れすぎていた。
それが、サイバーサイジング・ショックの正体だった。
そして致命傷は、「パパ・ママ企業」という言葉だった。
晴れの日にそれを言うのは愛情表現として成立する。
だがサイバーサイジング社に対して使われた瞬間、それは
依存の肯定、思考停止の言語化、責任放棄の甘い表現になった。
兄弟が感じたのは誇りではない。恐怖だった。




