8-7 そして、この事件をより不気味なものにしている事実があった。
エリック・サーティーンは、ただの「顧客」ではなかった。
事件後、明らかになっていったもう一つの顔がある。
彼は米軍出身で、前線に立つ兵士ではなく、兵站と技術部門――すなわち「物を回し、仕組みを動かす側」の人間だった。
彼が暮らしていたのは、カリフォルニアだった。
乾いた空気と、果てしなく続く高速道路。
工業地帯と倉庫が点在し、人の気配が薄くなる土地。
除隊後、彼はカリフォルニアに戻り、自らの会社を立ち上げる。
社名は、株式会社スマートサーティーン(Smart Thirteen Inc.)。
「スマートサーティーン」という名前は、実のところかなり強い。
Smart――合理性、最適化。
Thirteen――不吉な数字、例外、排除される側。
それを自分の名前として掲げている。
しかも、“合理”と“不吉”が同居している。
その矛盾の抱え方そのものが、エリックという人間の歪みを象徴していた。
拠点は、カリフォルニア州フレズノ郊外。
乾いた風が吹き、物流倉庫と高速道路だけが延びる工業地帯。
人の気配は薄く、感情の入り込む余地のない土地だった。
彼はその地で、長く生活し、働き、そして思考を固めていった。
彼の会社は、印刷業を中心とした製造・物流一体型の企業だった。
紙。
インク。
工程管理。
梱包。
出荷。
納期。
工場は、いつも静かだった。
音がないわけではない。
印刷機の回転音。
紙を裁断する乾いた音。
搬送ラインの規則的な振動。
彼の仕事は、感情ではなく「流れ」を管理することだった。
ミスは数値で示され、
遅延は構造の欠陥として修正される。
そこに「気持ち」や「善意」が入り込む余地はない。
彼はその世界で成功した。
そして同時に、人間よりも、仕組みのほうが信頼できると確信するようになった。
その視点が、彼の“見方”を決定づけた。
変化は、サイバーサイジング社の名前を頻繁に口にするようになってからだった。
「彼らは賢い」
「だが、危うい」
「判断を人に任せすぎている」
最初は、ただの取引先批評だと思われていた。
だが、彼の言葉は次第に変わっていく。
「仕組みは感情より正確だ」
「人は必ず迷う」
「だから決定は、システムがすべきだ」
社員が冗談めかして言った。
「社長、機械に支配されたいんですか?」
彼は笑わなかった。
ただ一言、こう言った。
「支配じゃない。確定だ」
その意味を、私たちは理解していなかった。
その影響で、社内の仕組みは少しずつ変わっていった。
管理画面が変わり、
承認フローが減り、
判断が自動化されていった。
仕事は楽になった。
速くなった。
だが同時に、
「考えなくていい」ことが増えていった。
誰かが言った。
「これ、もし間違ってても止まらないですよね」
誰も答えなかった。
止め方を、誰も知らなかった。
⸻
――証言記録/元・スマートサーティーン社社員
⸻
事件後、会社は即日、業務停止となった。
口座は凍結され、取引は打ち切られ、会社は数か月で解体された。
資産凍結。
取引停止。
契約解除。
全社員事情聴取。
私たちは事情聴取を受けた。
――じゃあ、なぜ止められなかったんだ?
建物は残った。
機械も残った。
だが、そこにはもう“意思”がなかった。
機械は止まり、床には何もない。
だからこそ、工場は空だ。
それでも、時々思う。
あの場所には、まだ音が残っている気がする。
一定のリズムで、何かが動き続けているような錯覚。
だが彼の会社の社員は誰も逮捕されなかった。
誰も守られなかった。
だが、誰も救われなかった。
すべてが一定で、感情が入り込む余地はなかった。
「会話は効率を落とす」
それが社長――エリックの口癖だった。
彼は怒鳴らない。
命令もしない。
ただ、数字を示すだけだった。
「ここが遅れている」
「この工程は無駄だ」
「感情は判断を誤らせる」
誰も責められない。
誰も否定されない。
ただ、数字だけが残る。
社員たちは口を揃えてこう言った。
正直、働きやすかった。
少なくとも、最初は。
しかし、私たちは、あの事件を止められなかった。
だが、望んでもいなかった。
それだけは、はっきり言える。
「知らなかった」
「そんなつもりじゃなかった」
「止められると思っていなかった」
「何かおかしいとは思っていた」
「でも、止められなかった」
「判断する仕組みが、もう無かった」
それは本当だった。
私たちは、暗殺に賛成していなかった。
だが、反対する言葉も持っていなかった。
彼の言葉は、いつも正しかった。
合理的で、論理的で、否定しづらかった。
だから、止められなかった。
私は、こう思う。
あの人が本当に壊したかったのは、
会社じゃなかった。
きっと――
「考えなくなった、私たち」だったのだ。
そして私たちは翌日、ニュースで知った。
社長が、あの事件を起こしたと。
誰も信じなかった。
誰も信じたくなかった。
だが、次々と事実が出てきた。
車。
改造。
移動経路。
計画。
すべてが、あの人らしかった。
冷静で、無駄がなく、感情がなかった。
それが、何より怖かった。
⸻
社長は、ほとんど現場に来なかった。
来ても、歩いて回るだけだった。
機械の音を聞き、モニターを眺め、何も言わずに帰る。
だが翌日には、必ず改善案が届いた。
どこが詰まっているか。
どこが遅れているか。
どこで判断が止まっているか。
すべて正確だった。
正直、怖かった。
どうしてそこまで分かるのか、と。
それでも思っていた。
「この人は、現場をちゃんと見ている」と。
だから疑わなかった。
⸻
事件の前日。
社長は、珍しく工場に来ていた。
ラインを一通り見て回り、
最後にこう言った。
「君たちは、よくやっている」
「ここは、もう完成している」
その言葉が別れだったと気づいたのは、すべてが終わった後だった。
⸻
だが、事件が起きたのは、そこからはるか東――
ペンシルバニア州、フィラデルフィア近郊だった。
フィラデルフィア(東海岸)
カリフォルニア(西海岸)
大陸を横断する距離。
偶然にしては、あまりに遠い。
サイバーサイジング社は、
歴史と制度と統治の中心にあった。
人が集まり、判断が下される場所。
一方、エリックは西海岸の端で、
物流と生産と効率に囲まれて生きていた。
人の気配が薄い土地。
広く、乾き、静かな場所。
そこは「思想が生まれる場所」ではなく、
「思想が固まり、修正されなくなる場所」だった。
だからこそ、彼の考えは次第に硬直し、極端になっていった。
――なぜ、遠くにいる人間が決めるのか。
――なぜ、現場を知らない人間が支配するのか。
――なぜ、それが“善意”として許されるのか。
その疑問は、やがて確信へと変わる。
「遠くで決めている人間が、世界を動かしている」
彼が選んだのは、遠隔ではなく、直接だった。
距離を越え、
制度の中心に近づき、
象徴のそばに立ち、
そして終わらせる。
それは衝動ではなかった。
復讐でもなかった。
彼にとっては、
“正しく機能しない構造を、正しく止める行為”だった。
⸻
■ 事件当日 ――中央管理室にて
その夜、中央管理室はいつも通り稼働していた。
天井の白い蛍光灯は一定の明るさを保ち、
無機質な空間に影を作らない。
壁一面の大型モニターには、工場の稼働状況、物流ルート、工程進捗、数値グラフが整然と並んでいる。
どれも緑色。
すべてが「正常」を示していた。
中央のメインスクリーンには、巨大な印刷工場の内部映像。
機械は止まらず、紙は流れ、搬送ラインは寸分の狂いもなく稼働している。
その上に浮かぶのは、あのロゴだった。
CYBER SIGNING
淡く発光する緑色のロゴ。
その下には、いつもの文言。
Deliver the best IT business services.
誰もそれを見上げない。
見慣れすぎて、意識の外にある存在だった。
⸻
■ 事件の瞬間 ――中央画面に映っていたもの
爆発音も、警報も、悲鳴も、最初はなかった。
中央管理室のメインスクリーンには、いつもと変わらない映像が並んでいた。
工場内部のライブ映像。
白い照明に照らされた印刷ライン。
規則正しく動く巨大な機械。
ベルトコンベアを流れる製品。
速度、温度、稼働率――すべてが「正常」。
右上には、淡い緑色でこう表示されていた。
SYSTEM STATUS : NORMAL
ALL OPERATIONS WITHIN PARAMETERS
左側スクリーン群には物流管理画面。
トラックの位置、出荷予定時刻、遅延ゼロ、渋滞なし、予定どおり進行中。
地図上を走る小さなアイコンが、淡々と動いている。
右側スクリーン群には数値の羅列。
稼働率、エラー率、再計算完了、優先度:最適。
どれも「良好」を示す色だった。
そして、すべての画面の上に、静かに浮かんでいたもの。
CYBER SIGNING
緑色のロゴ。
わずかに発光し、まるで呼吸しているように明滅していた。
そのとき、中央画面の片隅に小さく表示された。
PROCESS STATUS : COMPLETED
完了。
それだけだった。
直後、監視カメラ映像が切り替わる。
画面に映ったのは、都市の交差点。
次の瞬間、映像が白く飽和した。
爆音は、ここには届かない。
振動もない。
衝撃波もない。
あるのは、ただ一瞬の映像の乱れと――
その後に続く、静寂だった。
数秒後、システムは何事もなかったかのように画面を更新する。
EVENT LOG : CLOSED
異常なし。
処理完了。
工場は動き続け、
物流は止まらず、
世界は、何事もなかったように回り続けた。
⸻
■ そのとき、誰も気づかなかったこと
その瞬間、外では人が死んでいた。
だが、中央管理室にはその概念が存在しなかった。
そこにあるのは、
「成功」か「失敗」か、
「正常」か「異常」か、
ただそれだけだった。
人の生死は、数値に変換されない限り、存在しない。
そして――
その思想こそが、エリック・サーティーンの見ていた世界だった。
⸻
■ 事件後 ――止まらなかった部屋
事件が報道され、全米に衝撃が走った後も、
この管理室はしばらく稼働を続けていた。
誰かが止めたわけではない。
止める「理由」が、システム上存在しなかったのだ。
出荷は正常。
生産は正常。
遅延なし。
エラーなし。
すべて「基準値内」。
だが数日後、政府の命令でシステムは遮断される。
電源が落とされ、
モニターは黒くなり、
室内は静まり返った。
最後に消えずに残ったのは、
中央スクリーンに焼き付いた、あのロゴだけだったという。




