8-4 そして事件の余波は、想像以上に広がっていった。
アダソン夫妻暗殺事件の映像が世界中に流れた直後から、社会は静かに、しかし確実に変質していった。
まず姿を消したのは、車を娯楽として扱う表現だった。
高速走行、衝突、爆発、追跡。
それまで当たり前のように使われていた演出が、
一斉に「扱うべきでないもの」へと変わっていった。
テレビ局は公式な発表を出すことなく、
自動車を主題にした番組やドラマ、
さらには事故や衝突を扱う“衝撃映像系バラエティ”の放送を、次々と見合わせていった。
それに伴い、
自動車メーカーのCMや、スピード感や走行シーンを強調した広告も、編成の中から静かに姿を消していった。
理由が明かされることはなかった。
だが、番組表やCM枠からそれらが消えていく様子は、誰の目にも明らかだった。
過去に、災害や事故を想起させる内容が問題視され、いつの間にか放送されなくなった番組があったことを、人々はうっすらと思い出していた。
今回も、それと同じだった。
ゲーム業界も例外ではなかった。
実在の車両を使用したレースゲーム、
衝突や破壊を伴うタイトル、
高速走行を売りにした作品は次々と配信停止となり、
開発中だったタイトルも、静かに凍結された。
「事件を想起させる恐れがある」
その一文だけが、公式の理由として繰り返された。
爆発表現、体当たり、追突――
それらはすべて「不適切」とされ、
企業は自ら距離を取ることを選んだ。
誰かに命じられたわけではない。
だが、誰もが察していた。
――いま、これは出してはいけない。
視聴者の側からも声が上がった。
「フラッシュバックする」
「見ていて苦しい」
「現実を思い出してしまう」
それは怒りではなく、恐怖に近い反応だった。
こうして、車も、スピードも、爆音も、
そして“ゲームとしての暴力”も、
社会の表側から静かに姿を消していった。
明確な禁止はなかった。
だが、誰も口にしなくなった。
そしてそれこそが、
この事件が残した、最も深い爪痕だった。
エリックの名はやがて語られなくなり、
事件そのものも、次第に記録の中へ押し込められていく。
だが――
彼が投げかけた問いだけは、消えなかった。
「技術は、どこまで人を連れていくのか」
「娯楽は、いつ現実を侵すのか」
「人は、どこで止まるべきだったのか」
答えは、誰も出せなかった。
そして、その沈黙こそが――
この事件が、社会に残した最大の“後遺症”だった。
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