7.謝罪会見
事件の翌日、世界中のメディアが集まる中、あるひとりの女性が姿を現した。
エリック容疑者の妻だった。
顔はやつれ、声は震え、立っているのがやっとの様子だった。
フラッシュが焚かれる中、彼女は深く頭を下げ、涙を流しながら口を開いた。
「……この度は、
主人が取り返しのつかない罪を犯し、お亡くなりになられたアダソン夫妻、ご家族の皆様、そして世界中の方々に、
多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます……」
言葉は、何度も詰まった。
「主人が……あのようなことを考えていたなんて……
私は、止めることができませんでした……」
記者の一人が声を張り上げる。
「なぜ止めなかったんですか!」
「異変に気づかなかったんですか!」
「責任をどう取るつもりですか!」
「あなたが責任持って亡くなったアダソン夫妻に変わって会社を継ぎなさい!」
そのたびに、彼女は首を振りながら、泣き崩れるように答えた。
「分かりません……」
「本当に、分からなかったんです……」
「どうして、あんなことを……」
そして、震える声で、こう続けた。
「アダソン夫妻には……
どんな言葉をもってしても、償えません……
今はご冥福を、お祈りすることしか……」
その場で崩れ落ちそうになる彼女を、警備員が支えた。
その映像は、世界中で繰り返し流された。
だが、謝罪が終わっても、何も終わらなかった。
事件から数週間後、彼女と息子は公の場から姿を消した。
息子は、保護施設へ送られた。
父の名を背負ったまま。
誰も救われなかった。
⸻
家は封鎖された。
窓の明かりは消え、
ガラスの向こうに並んでいた車は、すべて運び出された。
あれほど輝いていた展示室は、
今では空っぽの箱だった。
それでも夜になると、
誰かが中にいるように見える、と近隣では噂された。
だが実際には、
そこにはもう誰もいない。
家族も、生活も、音も。
残っているのは、
“かつて何かがあった”という記憶だけだった。
被害者も。
加害者の家族も。
世界も。
後に、この事件はこう評された。
「これは、殺人事件ではない」
「思想が暴走した末の、社会的自壊だ」と。
エリックは、世界に“警告”を残したつもりだった。
だが、彼が残したのは、
憎しみと喪失と、取り返しのつかない空白だけだった。
⸻
そして――
この事件が、
アダソン兄弟の運命を決定的に変えたことを、
まだ誰も知らなかった
車を扱う映像作品は次々に放送中止。
レースゲームは規制され、自動車文化そのものが見直される。
日本では、この年の流行語に「アダソン夫妻暗殺事件」が選ばれ、その年の漢字は「衝」となった。
三年後には、事件を題材にした映画が公開される。
『エリック・サーティーン ― 7・13 ―』
だが、その作品は賛否を呼んだ。
あまりにも現実に近すぎたからだ。
そして、誰もが思い知らされた。
これは英雄譚ではない。
悲劇でもない。
教訓ですらない。
ただ、人が壊れるまでの過程を、世界が止められなかった記録だった。
そして何より――
この事件が残した最も深い傷は、「加害者の家族」と「被害者の家族」が、どちらも二度と元の人生に戻れなかったことだった。
それだけは、誰にも否定できなかった。




