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アダソン夫妻という制度―― 早過ぎた正しさが世界を止めるまで 正しさが制度になる前に崩れる世界を描く、人権と文明の批評思想SF  作者: マック アダソン
第4章(上) 25年後の終わりを選んだ夜――アダソン夫妻暗殺事件 〜サイバーサイジング・ショックは、ここから始まった〜
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3.事件調査

後に明らかになったことだが、この襲撃がリムジンで行われたのは偶然ではなかった。


アダソン夫妻の警備体制は、決して甘いものではなかった。

アダソン家専属のSP警備部に加え、海外訪問や公的行事の際には、現地警察や現地の要人警護部隊と連携した厳重な警備網が敷かれていた。

複数の警護車両、経路の分散、移動時刻の秘匿。いずれも一流と呼べる水準で整えられていた。


海外での移動、海外出張、重要顧客との面会、公の場への出席、首脳級との面会などの公式行事。

そうした場面では、警備は常に最大限に引き上げられていた。


だが――

私的な移動、特に自宅と本社を往復するこの時間帯だけは例外だった。


海外でもなく、公の場でもなく、自宅と本社を往復するだけの、日常の移動。

そこにはスピーチも群衆もなく、予定されたイベントもない。

だからこそ、「危険性は低い」と判断されていた。


国内であり、日常であり、しかも長年繰り返されてきたルート。

警備側にとっては、もっとも安全だと信じられていた時間帯だった。


その判断は、決して怠慢から生まれたものではない。

むしろ、合理的な判断の積み重ねだった。


「国内で、しかも日常の移動なら問題ない」

そう判断され、警護は最低限に抑えられていた。


だが、その“合理性”こそが、最大の死角だった。


この点において、かつて起きた日本の元首相襲撃事件とは、性質が決定的に異なる。


あちらは、屋外・群衆・演説中という「動的で開かれた空間」で起きた。

警備の視線は前方に集中し、背後という盲点が突かれた。

想定外の手段と瞬間的な判断の遅れが重なった、いわば“現場で発生した破綻”だった。



一方で、アダソン夫妻暗殺事件は違う。


ここには偶発性がない。

混乱も、突発性もない。

すべてが「予定通りの時間」と「予定通りの場所」で起きている。


つまりこれは、

警備が破られた事件ではなく、

警備の前提そのものが利用された事件だった。


エリック・サーティーンは、そのことを理解していた。

彼が狙ったのは、警備が緩む瞬間ではない。

警備が「不要だと判断されている時間」そのものだった。


そして彼が選んだのが、リムジンだった。


リムジンは本来、安全の象徴である。

重厚な車体、防御性能、外部から隔絶された空間。

要人を守るために設計された移動手段。


だが同時に、それは逃げ場のない空間でもあった。


車内から外の異変を察知することは難しく、一度走り出せば進路は道路に固定され、急な回避や離脱はできない。扉は内側から即座に開くこともなく、その密閉性は安全と引き換えに自由を奪っていた。


エリックは、それを理解していた。


重く、遅く、逃げられず、進路が読める車。

それは防御の象徴であると同時に、

最も狙いやすい標的でもあった。


海外や公的行事であれば、警護は最大限に強化されていた。

だがこの日、この時間、このルートでは違った。


すべてが「日常」として処理され、

すべてが「安全」と見なされ、

すべてが予定通りに進んでいた。


つまり――

この瞬間は、最初から“狙う側にとって完成された環境”だった。


後に専門家はこう語っている。


これは警備の失敗ではない。

警備という発想そのものが、時代に追いついていなかったのだと。


人は「非日常」を警戒する。

だが本当に危険なのは、誰も疑わなくなった「日常」である。


アダソン夫妻暗殺事件は、そのことを冷酷な形で証明した。


安全の象徴であるはずのリムジンが、

そのまま“逃げ場のない檻”へと変わった瞬間。


それが、この事件の本質だった。


挿絵(By みてみん)



事件後、アダソン家SP警備部は記者会見を開いた。


壇上に並んだ責任者たちは一様に深く頭を下げ、警備体制の検証と再発防止を約束した。そして数日後、警備部の上層部は全員が辞任した。

用意された原稿を淡々と読み上げた。


だが、会見で繰り返された言葉は謝罪ではなく、ひとつの結論だった。


「我々は、当時の基準において最善を尽くしました」


「当時の判断は、警備基準に照らして適切なものでした」

「想定外の事態ではありましたが、職務は遂行されていたと認識しています」


その言葉に、会場から低い声が飛ぶ。


「“想定外”というのは、結果論ではないのですか」


別の記者が続けた。


「日常の移動こそ、最も狙われやすいのでは?」


一瞬、空気が張りつめる。


だが責任者は視線を落とさず、こう答えた。


「当時の基準では、そうした想定はありませんでした」


その直後だった。


「では――責任は、誰が取るのですか」


会場が静まり返る。


数秒の沈黙のあと、警備部長が答えた。


「本日をもって、私を含む上層部は全員辞任いたします」


その声に、怒号はなかった。

拍手もなかった。

ただ、シャッター音だけが響いていた。


その言葉は、正しかった。

そして同時に、それがこの事件の本質を物語っていた。


――“最善”であっても、防げない死がある。


それを人々が知ったのは、この事件のあとだった。

挿絵(By みてみん)


後の捜査で明らかになったのは、事件当日の朝だけでなく、それ以前からエリックが何度もその交差点を徒歩で訪れていたという事実だった。

防犯カメラには、通勤時間帯に現れ、歩道の端に立ってリムジンの通過を見送るような姿が繰り返し映っていた。


彼はただ立っているだけだった。

不審な行動を取ることもなく、誰かに話しかけることもない。

だが映像を丹念に追っていくと、彼が時間ごとに信号の変わる間隔や車の流れ、交通量の増減を確かめるように視線を動かしていたことが分かる。


朝の時間帯や夜の時間帯。

リムジンが通過する時刻。

交差点に入る車の台数。

信号が切り替わるタイミング。


それらを、まるで確認作業のように、何度も何度も見ていた。


後になって分かったことだが、彼は事件のかなり前から、この場所を歩いて下見していた。

それも一度や二度ではない。

日を変え、時間帯を変え、同じ交差点に立ち続けていた。


だが、その時点で彼を疑う者はいなかった。


通勤途中に立ち止まっているだけの通行人。

それ以上でも、それ以下でもない存在だったからだ。


結果として、その映像は事件後になって初めて意味を持つことになる。

あれは偶然ではなく、

あの交差点が「選ばれていた」証拠だったのだと。



その時間帯、交差点の交通量は多すぎず、少なすぎもしなかった。


帰宅のピークは過ぎ、

それでも街が眠るにはまだ早い時刻。


信号ごとに数台の車が流れ、

タクシーや乗用車が途切れなく通り過ぎていく。

だが、渋滞と呼べるほどではなかった。


人の姿はまばらで、

歩行者は信号の端に数人いる程度。

通りは開けていて、見通しもよかった。


――だからこそ、

あのリムジンは“狙えた”。


車列に紛れる必要もなく、

不自然に目立つこともなく、

速度を落とす理由もなかった。


あの交差点は、

逃げるためではなく、

突っ込むために選ばれた場所だった。


だが、ひとつだけ奇妙な点があった。


これほどの衝撃でありながら、

周囲の車両が巻き込まれていなかったことだ。


後の検証で明らかになったのは、

あの瞬間、交差点にいた車の数が、

「多すぎず、少なすぎない」状態だったという事実だった。


信号待ちの車列は短く、

交差点の中心には、ほぼリムジンだけが入る形になっていた。


偶然ではない。


エリック・サーティーンは、

その“間”を選んでいた。


交通量が多すぎれば、無関係な車を巻き込み、

事件はただの大量殺戮になってしまう。


少なすぎれば、衝突の角度が限定され、

確実性が下がる。


だから彼は、

「他者を巻き込まず、標的だけを確実に潰せる瞬間」

を待った。


実際、現場検証ではこう記録されている。


・衝突の瞬間、隣接車線に車両は存在しなかった

・交差点中央に進入していたのは、ほぼ当該車両のみ

・歩行者は信号の外側にとどまっていた

・爆風の及ぶ範囲に、人は存在しなかった


結果として、

重傷者や死亡者は、

アダソン夫妻と運転手、そして実行犯のみだった。


それは「運が良かった」からではない。


最初から、

そうなるように設計されていたからだ。




――後に、人々はこの音を思い出そうとした。


だが、正確に再現できた者はいなかった。


なぜならそれは、「音」として記憶される種類のものではなかったからだ。


多くの者が、別の事件を思い出していた。

かつて、日本中を震撼させた、あの銃声を。


あのときの音は――

乾いていて、短く、鋭かった。


破裂音。

一瞬で終わる衝撃。

耳がそれを「音」として認識する前に、すべてが終わっていた。


だが、あの日の交差点で起きたものは、まったく違っていた。


それは「鳴った」のではない。

迫ってきたのだ。


ブォォォン――――。


低く、重く、逃げ場のない音。

空気そのものが押し潰され、視界の奥から迫ってくる圧力。


耳ではなく、内臓で感じる音。

鼓膜より先に、身体が揺さぶられる感覚。


それは爆発音というより、

巨大な質量が空間を引き裂く音だった。


一瞬なのに、長い。

短いのに、終わらない。


人の認識が追いつくより先に、

世界そのものが変質してしまうような――そんな音だった。


後に専門家は語った。


「銃声は“点”だが、あれは“面”だった」

「衝撃が、音よりも先に来るタイプの現象だ」


つまり、あれは“聞く音”ではなかった。

巻き込まれる音だった。


だから、叫び声は残らなかった。

だから、悲鳴は記録されなかった。


多くの目撃者が、こう証言する。


「音は、聞こえなかった」

「気づいたときには、もう終わっていた」


だが実際には、確かに音はあった。


ただそれは――

人間が“音”として処理できる種類のものではなかっただけだ。


そして、その違いこそが、

この事件を「事故」ではなく、「止められなかった出来事」にした。


銃声は、過去を撃ち抜く。

だがあの爆音は、未来そのものを押し潰した。


それは、国が凍ったあの銃声と、同じ種類の出来事だった。

人の声が途切れ、日常が中断され、世界が「次の瞬間」へ押し出される。

ただ違うのは、ここで起きた暴力が、音と熱と圧力を伴って“面”で襲ってきたことだった。

演説が断ち切られたのではない。

帰宅という日常が、交差点ごと折られた。

だから目撃者は、出来事を「見た」のではなく、巻き込まれたと語った。

そして世界は、その瞬間から――戻れなくなった。


爆風は交差点の外縁まで届き、ガラスを割り、人を転ばせた。

だが致命傷になる距離には、最初から誰も入らないように――その瞬間が選ばれていた。


甚大さの種類が違う。

あのときは“公共の場”が暴力で中断され、こちらは“帰宅という日常”が爆風と炎で断ち切られた。

どちらも象徴が狙われ、世界が凍る。

ただ、アダソン夫妻暗殺事件は「音と圧力が面で襲う」設計になっている。


挿絵(By みてみん)


この交差点の事件現場は、のちにアダソン交差点と呼ばれるようになり、その後アダソン夫妻の慰霊碑も建てられるようにになった。


その頃、兄弟はアダソン宮殿にいた。

会社の休暇を取り、久しぶりに両親と食事をする予定だった。


帰ってきたのは――

警告音と、鳴り止まない通信と、世界の混乱だった。

彼らは助かった。

だが、それは「守られた」のではない。

ただ、そこにいなかっただけだった。


挿絵(By みてみん)


消防が到着したとき、炎はすでに救助の手を拒んでいた。救急隊員は搬送をした。仕事だからだ。しかし、救命の時間があったわけではない。車両から救出された二人は、ただちに宮殿附属医療棟へ運び込まれ、白い照明の下で、医療スタッフと救急隊員が言葉少なに動いた。誰も慌ててはいなかった。慌てるほどの余地が、もう残っていなかった。


その頃、兄弟はアダソン宮殿にいた。会社の休暇を取り、久しぶりに両親と食事をする予定だった。待ち合わせの時間まで、まだ余裕があると思っていた。だが、帰ってきたのは――警告音と、鳴り止まない通信と、世界の混乱だった。彼らは助かった。だが、それは「守られた」のではない。ただ、そこにいなかっただけだった。


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