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11.リムジンの夜(教会から宮殿へ)
そして、リムジンが初めて登場する。
教会の前に止まった黒い車体。長く、静かで、余計な主張がない。派手な装飾もない。だが近づくと分かる。これは“守るための乗り物”だ。
ドアを開けた運転手が言う。
「ご夫妻を、宮殿へ」
——ご夫妻。その呼び方が、まだ現実に追いつかない。
アラクネアは一瞬だけ立ち止まった。リムジンに乗ることが初めてなのではない。“夫婦として乗る”ことが初めてなのだ。
アレックスが手を差し出した。大げさなエスコートではない。転びそうな段差に、当然のように添える手。
彼女はその手を取った。
車内は静かだった。ガラスが外の音を遠ざけ、街の気配が薄い膜の向こうに置かれる。
アラクネアが小さく言う。
「……変な感じです」
アレックスが答える。
「何が」
「姓が、まだ……」
彼は少し間を置いた。
「慣れなくていい。でも、戻れなくなるわけでもない。君は君のままだ」
その言葉に、彼女は少しだけ肩の力が抜けた。
窓の外を流れる街灯の列が、まるで薔薇園の道のように続いていく。
アラクネアはふと、思う。
——この夜は、きっと未来の最初のページだ。
宮殿へ向かう道。披露宴へ向かう道。そして、家族へ向かう道。




