9、水魔の嫌うもの
――微かに、祖国の水魔と同じ臭いが致しまするな。
菊松がそう言うと、角之進も首を揺らして頷いた。
――おお、菊松もそう思うか。某もカッパの臭いがすると思うておったところよ。あのケルピーとやら、見た目こそタツノオトシゴのなり損ないではあるが、カッパと近縁の生き物に相違あるまい。ならば水槽の中にカッパの嫌う物を入れるのも、一つの手やもしれぬ。エズメ殿、試してみる価値はござりまするぞ。
「何を入れれば良いの?」
エズメがそう尋ねると、菊松が答えた。
――カッパが嫌う物といえば、生きた猿、鉄、タデの葉、それから辛夷にございまする。
「猿は、残念ながらこの国には居ないわね」
エズメの言葉に角之進が驚いた。
――なんと。彼奴らは、何処の山にも棲んでおるものとばかり思うておりましたぞ。
「この国は猿が棲むには寒いのだと思うわ」
鉄といえば、聖騎士団第三隊から支給されているナイフがそうなのだが、流石にこれを水槽に放り込む訳にはいかなかった。タデは、もしかすると近くに生えているかもしれないが、季節が季節でもあり、すぐに見つかる保証はなかった。
「……辛夷の代わりに、ユーラン・マグノリアでも効果はあるかしら?」
エズメは菊松と角之進を左腕に抱え直すと、胸ポケットに入れていた小さな白い花を、菊松と角之進に見せた。この花には魔法がかけられており、大きさを自由自在に変えることが出来て、しかも枯れる心配もなかった。その上、魔物退治の邪魔にならないよう、必要な時には、その芳香を抑えることも出来るという優れものだったのだ。
その花の大きさと芳香を元に戻すと、菊松と角之進が、感嘆の声を漏らした。
「誕生日に名付け親から頭痛避けのおまじないとして贈られたユーラン・マグノリアの花よ。確か、辛夷の花と同じ薬効があったはずだわ」
――これはなんと美しい玉蘭の花でございましょう。この花ならば、或いは。
エズメと同じように、どうやってケルピーの妖精を駆除するか思案していたらしいオシアンが、ユーラン・マグノリアの香りに気付いた。
「エズメ嬢、それは『黒き森の姫君』からの贈り物ではないか?」
「ええ。去年の誕生日に贈られたものですわ」
「そのような貴重な花を、この水槽に放り込んでも良いものだろうか。後で回収するのは難しいと思うが」
エズメは笑って頷いた。
「きっと、こういう時のことを見越して贈ってくれたはずですから」
そうとなれば、次は水槽の開口部から花を放り込むばかり。大きくしたマグノリアの花をヒルダが受け取り、海中の岩を模したコンクリートの陰に目立たぬように作られた梯子を登った。
「上には金網の蓋が被せてあるだけだ。これから蓋をどけて、放り込むぞ」
「ええ、お願いするわ」
ヒルダがマグノリアの花を水槽に落とし、下に戻ってきた。しばらくしてから、ケルピーの幼生がその水槽の開口部から、飛び魚のように勢い良く飛び出してきた。
その数、およそ百匹程。成体のケルピーとは違い、幼生は陸上では呼吸もままならない。エズメはやっと呪歌の心配がなくなったので、菊松と角之進をなるべく水槽から離れたテーブルの上に置き、ケルピーの幼生の駆除に加わった。
支給されたナイフを使い、大理石の床の上で跳ねるケルピーに三人で止めを刺していると、ヒルダがこう零した。
「魔物退治というよりも、何だか、魚屋の気分だな」
「フィッシュ・アンド・チップスが食べたくなるわよね」
エズメがそう言うと、間髪入れずヒルダが応じた。
「いや、ならないよ。……エズメって時々エグいこと言うよな」
「だって、ヒルダの反応が面白いんですもの」
二人のやり取りに、オシアンが肩を揺らしていた。
エズメは割と本気で、フィッシュ・アンド・チップスを食べたいと思っていました。
彼女は、ケジャリーとフィッシュ・アンド・チップスなら北部連邦の港町にある黒熊亭が世界一だと思っています。
オシアンがケルピーがマグノリアの花を嫌うことを知らなかったのは、ケルピーの生息域にマグノリアが自生していなかったからです。




