8、巨大な水槽の中で
菊松と角之進を抱いたエズメの後に、オシアンとヒルダが続いた。
屋敷の中にはゴブリンの呪歌を輪唱のように歌う、複数のケルピーの声が響いていた。
「さっきはゴブリンが蓄音機を鳴らしていたせいで気付かなかったけれど、結構な数がいそうね」
「なんだってそんなにケルピーの幼生が屋敷の中にいるんだろうな。あれは親が水底で守っているものだし、子持ちのケルピーなんて、聖騎士団でも小隊を組まなきゃ討伐出来ないぐらい凶暴だぞ。幼生なんて、そうそう手に入るものでもないだろうに」
ヒルダが不思議そうに言った。彼女はその剛腕を見込まれて、ケルピー討伐に駆り出されることが多いので、ケルピーには詳しかった。
ケルピー。それは連合帝国北部の川や湖に棲息する魔物だ。その正体は上半身が馬で下半身が魚という姿なのだが、人間を誘き寄せるために普通の馬に化けたり、美男子に化けたりする。誘き寄せた人間を深い水底に誘い込んで食い殺す上、その力は通常の輓馬の十倍、しかも狡猾で人語を解する知能を持つ。胎生で、一度に産む幼生はせいぜい一、二体。
「ボンボンショコラ、アリコーン伯爵家には、ケルピーの幼生を集められるくらいには潤沢な財力や武力があるのか?」
オシアンが答えた。
「アリコーン伯爵を当主とするグリードル家の資産は、連合帝国の貴族の中では中の上といったところだ、独自にケルピーの成体を何体も討伐して幼生を集めるほどの力はあるまい。……しかし或いは――」
途中からオシアンが考え込み始めたところで、エズメは呪歌の輪唱が聞こえる場所に着いた。呪いの効果は角之進が打ち消してくれるが、わんわんと響く呪歌で、少し頭が痛くなっていた。
「あれが、アクアリウムですって?」
大広間の壁一面が巨大な水槽になっている様子を見て、エズメは息を呑んだ。水槽といえば、卓上に乗るほどの大きさの物しか見たことがなかったからだ。
「まるで、海の中を覗いているようだな」
ヒルダもそう感嘆したあと、僅かな日光を通して青緑色に光る水槽に近付いた。
「砂や岩、海草も植えてあるのか。まるで南の海の中だな。……ラベルが貼ってあるぞ。『タツノオトシゴの海』だってさ」
エズメも水槽に近付いてみた。ケルピーたちの歌声に混ざって、微かな機械音と、水中に送られた無数の空気の泡が弾ける音がした。
「そういう名前の魚がいると聞いたことはあるけれど、実際に見たことはないわね」
――タツノオトシゴといえば、祖国では将来の安産を祈願して、その姿を婦人の着物や帯に刺繍するものでございまするが。
――菊松の着物の裾と帯にも、金糸でタツノオトシゴの姿を刺繍してございまするぞ。
角之進と菊松がそう言うので、エズメはさっそくその模様を菊松に見せてもらった。
「なるほどね。ケルピーの幼生と似ていると言えば似ているけれど、比べてみればすぐに別物だと分かりそうな見た目だわ」
「そうなのか。どれどれ」
ヒルダがエズメの腕の中を覗き込み、菊松の衣装の裾とベルトの模様を見て頷いた。
「分かった。この水槽の中にいるのは全部ケルピーだな」
ヒルダはメイスを構えたが、再びオシアンが彼女を止めた。
「これだけの水が広間に流れ込めば、大変なことになる。ここは、別の方法でケルピーを駆除することを考えよう」
しかし、水槽を壊さずに全てのケルピーを駆除することが出来るのか。エズメは思案した。水槽の中に入って戦うのは無理。エズメの手持ちの魔導銃では弾数が足りない。オシアンが今ここで使える魔法は魔女向けに特化した「報復の魔槍」と雷撃くらいだが、機械仕掛けであるらしい水槽に雷撃を与えるのはハイリスクではないかと思われた。




