ランバルト・オルフェウスの悩みー5
「甘いものでも食べませんか? カフェに行きましょう」
ボーリングを終えて、次は何をするのかとワクワクしていると桜がそう提案した。甘いものというと、砂糖がたくさんまぶしたクッキーやケーキを想像して、顔が引き攣る。
「りんごジュースがお好きならきっと大丈夫です」
ランバルトの表情がこわばったことに気づいた桜が適当なこじつけで励ます。
「……カフェか」
「どうかされましたか?」
「いや。あまりいい思い出がないのでな」
元婚約者に連れられてカフェに来たことはあるが、何がそれほどいいのかよくわからなかった。まだ王都に出来たばかりで予約困難という店は行くだけで箔がつく。そして、彼女はオルフェウス公爵という名前で予約をして、何度かそこにランバルトを連れて行ったので、次第にそのカフェがオルフェウス家御用達という話が広まってしまった。
「うわー、ちょうど時間が時間だから混んでるかも」
この店も一階と二階に席があるらしい。窓際の奥の席がちょうど空いたので、ランバルトはそこに腰をおろした。桜が買いに行く様子を見送って、しばしボーッとする。
(ーーこんなにも笑ったのは久しぶりだな)
炭酸で咽せたとき、桜は心配しつつ笑わないように必死に取り繕っていた。あの顔を見ているとランバルトも笑ってはいけないと思って誤魔化したが、笑ってしまいそうだった。
桜はピンが倒せないときこそ感情を出す。悔しい、と。あと一本なのに、と。子どものように悔しがる様子を見て楽しかった。
「はい、どうぞ」
「こ、これは」
先ほどのことを思い出していると、桜が盆を持ってきた。グラスの中身の赤と白の美しいコントラスに目を奪われる。甘酸っぱい匂いは苺だろうか。グラスの下には赤い実がふんだんに入っており、上には白いふわふわのクリームがボリュームたっぷりに乗っていた。
「いちごのペペラチーノです。冷たくて甘くて美味しくてジューシーで最高です」
ごくり、と喉が鳴る。
「こっちはチーズケーキ。チーズが濃厚で美味しいですよ」
どれもこれも初めてだが、これは美味しいと本能が告げている。炭酸は例外だが、別にまずいわけじゃなかった。
(ーーあれもまた挑戦しよう)
だが、その前に目の前のこれだ。
ランバルトは桜を真似て太いストローを咥える。スッと吸い込むとギュインと甘くて冷たいものが口の中に入ってきた。
「!!!」
炭酸の二の舞にならないように注意しながら吸い込んだが、少し力が強かったらしい。だが、口の中いっぱいに入ったそれは甘さの中に程よく酸味が効いてとても美味しかった。
「うまいな」
「でしょう?」
「うん」
そして、チーズケーキもフォークで掬って食べる。
「〜〜!!」
「チーズが濃厚ですよね」
「あ、あぁ」
「全部食べていいですよ」
「いいのか?」
「どうぞ。わたしはいつでも食べられますので」
ボーリングのスコアシートを眺めながら、あーだこーだと言いつつ食べるケーキはこの上なく美味しかった。
「この後、猫カフェに行ってお土産を買って帰りましょう」
次はどこに行くのだ、とウキウキしながら歩いていたが桜から事前の予定を聞いてランバルトは落ち込んだ。
(ーー今日がもう終わってしまう)
気づけばもう午後四時で、いつもなら生徒会の手伝いをしていることだろう。あまり関わりたくない第二王子の顔を思い出して顔を背ける。
「猫カフェ、嫌ですか?」
「あ、いやそういうわけでは」
桜はふと考えてちょうど走っていた鉄の馬車を止めた。ランバルトが目をぱちくりとしていると扉が開く。
「どうぞ中に」
「え? あ、え?」
桜から満面の笑みを向けられて恐る恐る中に乗り込んだ。
(ーー確かに鉄の馬車・・・!!)
椅子がふかふかする。動き出した馬車はびっくりするぐらい振動がない。
滑らかで早くて、とても快適だ。猫カフェまでのわずかな道だったが、ーーこれは。
「これはタクシーです。お金を払えば行きたいところに連れて行ってくれます」
「なるほど。誰でも乗れるのか?」
「そうですね」
異世界はすごい。美味しい国民食に楽しいゲームがあり、甘くて冷たいペペラチーノという飲み物まである。それにどれもが、それほど高くない金額だ。庶民が手に届く料金でとても楽しく暮らせる。
「いいなあ、ここは」
「そうですか?」
桜がきょとりとする。
「とても先進的で、穏やかに暮らせそうだ」
ランバルトはまだ知らない。この国にはこの国の闇があることを。ただイチ旅行客ではきっと知ることはないはずだ。
桜はそのことについて肯定も否定もしなかった。そのことにランバルトも気づかない。
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか」
「はい」
猫カフェなるものに初めて足を踏み入れたランバルトは、目をパチパチさせてムズムズする口元を必死で隠していた。大きな目で不思議そうにこちらを見る、しなやかな肢体を持った黒猫と目が合う。その隣には手を舐めている、白と茶色の猫、武蔵と同じような長毛種、短足で尻尾の太い猫など、いろんな猫がいた。
「無理に抱っこしてはだめですよ。寄ってきたら撫でてあげてください」
ランバルトの国に愛玩具として獣に触れる文化はない。馬は騎士の嗜みで移動手段に必要な愛棒だ。他にも、農家の羊、山羊、鶏、豚、牛ぐらいだろう。
ランバルトは興味津々で寄ってきた猫たちに驚きつつ、ふかふかのラグの上に座る。ここは靴を脱ぎくつろぐ場所らしく、一匹の猫がランバルトのつま先をふんふんと匂いを嗅いで「にゃあん」と一声鳴いた。
「……っ」
「かわいいねぇ」
「……あぁ」
ランバルトはただじっと岩のようになっていた。ランバルトの片方の腿に足を乗せた猫の肉球の柔らかさと言ったら……!
「あ、オルフェウスさん。寝てみてください」
「……寝る?」
「こうです」
桜はまるで自宅のようにソファーに寝転んだ。すると懐っこい猫が様子を伺いつつ、桜の横に座り込む。優しく撫でてやると、その猫は尻尾をゆらゆら揺らしながら心地良さそうに目を細めた。
「自分より目線が低くなると、警戒心が薄くなります」
「なるほど」
ランバルトは桜の助言を聞いて、その場に寝転がる。
それからしばらくして。ランバルトは猫まみれになっていた。かわいいもので優しく撫でてやると喉をゴロゴロと鳴らして喜ぶ猫もいる。気まぐれな猫様が尻尾でランバルトの頬をひと撫でしてすぐに離れてしまったが、こちらをチラチラみているあたり、興味はあるようだった。
「これ使ってください」
「これは?」
「猫じゃらしです。猫の玩具ですね。こうやって遊びます」
桜が手首のスナップをきかせて、棒の先端にふわふわの何かをくっつけたものを揺らす。するとピクリと目が反応し、三角の耳がピピピと揺れる。その猫はそろりそろりと猫じゃらしに寄ってくると、小さくて丸い手でその猫じゃらしを掴もうと腕を伸ばした。
猫じゃらしが次にどんな動きを見せるのか考えているのだろう。表情は真剣で手が伸びたり止まったりしている。
「ふしっ」
「にゃあ!!」
だが、横から他の猫に手を出されて、その猫は怒った。すると傍観していた猫たちが興味津々で行方を見守る。
「はーい、喧嘩しないよ」
桜は両手に猫じゃらしを持つと、二匹一気に相手をし出した。猫たちは玩具に揺さぶられ、くんずほぐれつになりながら遊んでいる。
「……お前は行かなくていいのか?」
お腹の上に乗っていた金色の瞳を持つ黒猫が呆れた目でその様子を眺めていた。ランバルトは「この子も仲間に入りたいのか」と思ったが、興味がなさそうに立ち上がると離れていってしまう。
「あ、おい」
お腹の上が急に寂しくなる。それを名残惜しく思いつつも、そろそろと寄ってきた猫の背中を撫でた。
『ーーおい、桜よ』
すると頭の中で壮年の男性の声が響く。驚いていると、猫たちに紛れて、ムサシが現れた。
「(あれ、どうしたの?)」
『もう迎えがきたぞ』
「(もうそんな時間?)」
桜はひそひそと話しをする。周囲の目を気にしていることから、怪しまれていないか気にしているのだろう。時刻はまだ、午後五時を少し過ぎたばかりで、予定よりも随分と早い。桜の視線を受けてランバルトは嘆息した。
「(待たせておいて構わない)」
「(だって。じゃあ、待っておいてもらおうかな。あ、そうだ。武蔵、私の部屋に高校生の時に使った歴史の教科書があるから、読んで待ってもらって)」
『あい、わかった』
武蔵は小さく頷くと姿を消す。桜とランバルトは時間いっぱいまで猫たちと遊び、心配させたお詫びと次回への賄賂も兼ねてお土産をたくさん買い込んで、自宅に戻った。




