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猫に連れられて行き着いた先は⦅ランバルト・オルフェウス⦆


 ーー婚約者がいないとはこれほど気が滅入るものなのか。


 ランバルト・オルフェウスは馬車に揺られながら深々と嘆息する。まるで彼の心を表すように外はすっかりと日が暮れていた。王立学院に通う17歳の彼は、オルフェウス公爵家の嫡男で、今時の人となりつつある。


 というのも、つい先日ランバルトはマリエッタ・ブリュネル侯爵令嬢と婚約を破棄したばかり。婚約破棄の理由は、彼女がオルフェウス領を「田舎領地」だと馬鹿にしていたからだ。


 オルフェウス領はレアヌ王国の西側にある広大な土地だ。国に下ろされている約6割の小麦ががオルフェウス領で作られているものである。彼女のいう通り、王都のようなおしゃれなブティックも高貴なジュエリーショップもあるわけではない。季節によって演目が変わる舞台の開催や夜会やパーティーといった華やかな催し物もなかった。


 しかし、海と山、そして農地に囲まれたオルフェウス領はランバルトが幼い頃から大切にしている場所。もちろん故郷という意味でもそうだが、真面目な領民が笑顔であくせく働く姿がなにより誇らしかった。


 それを彼女は侮辱した上、ことあるごとに愚痴っていたという。おまけにランバルトという婚約者がいながら、他の男性と仲良くなり「ゆくゆくは王都のオルフェウスの屋敷を女主人として回すのだ」と豪語していた。言葉通りならランバルトも許容できるのだが、その後に続く言葉はこうだ。


 ーーわたくしをずっと楽しませてくれるなら、傍に置いてあげてもよくてよ。


 田舎領地と馬鹿にした上、彼らの血税で遊び尽くすという発言。政略結婚に愛不要だと分かっているものの、さすがのランバルトも許容できなかった。


 父に相談し、彼女が言い逃れできない証拠を抑えた後、ブリュネル侯爵も交えて円満に婚約が解消されたのだが、学院ではランバルトが悪者扱いされている。彼女曰く、ランバルトは「朴念仁で無愛想で領地と同じまったく面白味もないつまらない男」らしい。


 それでも、オルフェウス公爵家の嫡男だ。次期公爵夫人の椅子が空いたとなれば血眼になってすり寄ってくる女性も多い。友人の一部はそんなランバルトを面白がって、彼女たちを余計に焚き付けようとしたりする。


 生まれた時から周囲に人がいることには慣れていたが、今はもっぱら別の意味で人に囲まれていた。

 学院に入学した頃からマリエッタと婚約していたこともあり、こんな風に女性に迫られたこともなかった。ゆえにどう対処すればいいのかわからない。下手すると責任問題から結婚に至る、なんてこともあり得るかもしれない。


  「……あー、誰も私を知らない場所に身を隠したい」

  『その願い、我が叶えてやろうか?』


 思わずこぼれた本音。その声に答えるように突如頭に壮年の男性の声が響いた。ランバルトは驚いて辺りを見回す。すると誰もいないはずの馬車に、珍妙な姿の獣がいた。

 

 夜に映える白く長い毛。こちらを挑発するように揺れる尾はふさふさだ。三角耳がピクリと外を向き、ヒゲがピンと張る。つまらなさそうに毛に隠れた短い前足をザリザリと舐めている姿は"猫”という動物のようにも見える。

 

 しかし、ランバルトの知る猫はもっと手足が長く、毛が短くてツンとお澄まし顔でどこか高貴さを感じさせる体躯をしている。一度だけ隣国で見せてもらったことはあるが、けして太々しい態度で堂々と馬車に寝そべったりはしない。気まぐれだが人懐っこいその猫は隣国の王女が可愛がっている愛玩動物。この国では、高貴な人間が動物を飼うこと自体よしとされていないので、この辺りで犬や猫といった生き物を見かけたことはなかった。


  「……あなたは?」


 ランバルトは青灰色の瞳に見つめられて声を詰まらせた。すべてを見透かされているような瞳に体が強張る。この世のものとは思えないほど神秘的で畏怖の念を抱いた。


 『我のことはどうでもいい。で、どうするんだ。その願いを叶えたいのか、叶えたくないのか、どっちだ?』

 「……叶えたい、です」

 『よかろう。我が叶えてやる』


 白い毛の長いそれはよっこいせと立ち上がるとふぁあーとあくびをしてぐぅと伸びをした。言葉と態度が合っていなさすぎてランバルトは困惑する。偉そうな男性の声に似つかわしくない愛らしいボディをふるふると震わせたあと、ビョンとランバルトの膝に乗ってきた。


 『いくぞ』


 えっ、と声を上げた途端目の前が真っ白に輝きーー何も見えなくなった。

 ランバルトはあまりの眩しさにギュッと目を閉じる。ふわっとした浮遊感を覚えたが、それだけだった。何が起きたのかわからない。


 「いてっ」


 眩しさが消えた頃、膝に乗っていたそれは軽やかに地面に降り立った。ランバルトはどしんと尻をつく。

 驚いて辺りを見渡していると、一軒の小さな家が目の前にあった。いったいここはどこで、自分はどこに連れてこられたのかと不安になる。


 『おい、小僧。我について来い』

 「……ここは」

 『心配するな。すぐにわかる』


 にゃあ、とひと鳴きしたその獣はふさふさの尻尾をゆらりと振った。そして目の前の壁に突進する。


 「あ、待て……!?」


 扉も何も開いていないのに、獣が家の前に立つと自動で扉が開いた。しかも横にスーッと。流れるような動作に驚いてランバルトは言葉を失った。

 

 『にゃあ(早く来い)』

 「あ、」


 放心していると急かされる。慌てて立ち上がり後を続いた。家の中は眩しいぐらいの灯りが差している。青白い光は少しだけ不気味に映った。


 「あれ、お客さん? あ、ムサシ! どこ行ってたの」

 『にゃーにゃにゃあー(客を連れてきた)』


 家の中から顔を出したのは、この国では珍しい黒髪黒目の女性だった。歳はランバルトとそれほど変わらないぐらいだろうか。白いシャツに黒いズボンを履いている。


 「すみません、ムサシに連れてこられたんですね」

 「あ、あぁ」

 「よければそちらのソファーにおかけになってください。まずはお話しを」


 女性は足元の白いもふもふを抱き上げると申し訳なさそうに眉を下げる。ランバルトはよくわからないまま、彼女に言われた通り、近くにあったソファーに腰を下ろした。



 「異世界ツーリストにようこそ。サクラ・フジヤマです」


 桜と名乗った女性はランバルトに向かって薄いカードを差し出した。そのカードには彼女の名前と肩書きが記されている。


 「い、異世界、だと?」


 約300年ほど前に異世界から来たと言う女性がレアヌ王国に繁栄をもたらしたことがある。

 下水が整えられ、水に困らなくなったのだ。平民たちと一緒に井戸を作り、道を整備したり、街に等間隔で灯りがあるのも彼女の功績のおかげだと聞いている。


 ただし、彼女はどこの国から来たのかなどの話は聞いたことはなかった。目の前にいる女性のような黒髪黒目だとも資料には残されていない。


 「えぇ。まずはあなたのお名前を伺っても?」

 「ランバルト・オルフェウスだ」

 「ありがとうございます。では、オルフェウス様。ここでは身分を抜きに話しをさせていただきます。よろしいでしょうか」

 「あぁ」


 でももし、それが本当なら自分は今すごいことに巻き込まれている。ランバルトは期待と不安を半分にしながら、平静を装った。

 

 「あら、わたしとしたことが。何もお出しせずにすみません」


 桜はそう言って立ち上がる。そして部屋の奥にあるインテリアだと思っていた黒く細長く直立している物体から水を出した。


 (……な、魔道具か?)


 レアヌ王国の貴族の間では通常客に水を出さない。平民なら普通かもしれないが、どれだけ身分が低くても貴族である以上は紅茶を出すのが通常だ。


 (……綺麗だ)


 しかし、コップの中の水ははっきりと底まで見えるほど透明。オルフェウス領にある川の上流に行けば別だが、こんな街中でここまで透き通った水を飲める機会はあまりない。


 「ーーっ、いただこう。……うまい」

 

 まず、コップを持って驚いた。水の冷たさが手のひらまで伝わってきたからだ。次に水がおいしくて驚いた。喉越しも良くて匂いがまったくしない。雑味もなくするすると喉に入る。下手にまずい紅茶を飲むなら、この水の方が断然うまいだろう。


 「お代わりもありますよ」

 「あ、あぁ。ではいただこう」

 

 桜はにっこり笑うと空になったカップを持って、もう一度黒い直立している箱の前に立った。ランベルトは彼女に気づかれないように、失礼にならないように目だけで部屋をぐるりと見回す。


 レアヌ王国では考えられないほど高度な技術が使われていることはすぐにわかった。テーブルに並べられた本はどれも鮮やかな色でまるでその場を映し出したような景色と滲みひとつない文字が並んでいる。


 外はじっとりとした暑さなのにもかかわらず、この部屋は適度に涼しい。天井付近にある、白い長方形の箱から風が出ているのはわかったので、きっとあの魔道具のせいだろう。


 「では、説明します。簡単に言うとここは世界と世界の間にある異空間です。あちらの扉から向こうはあなたの世界、あなたのいる国に繋がります。この奥の扉から向こうはわたしの住む世界、日本です」


 初めて聞いた国名にランバルトは瞠目した。しかもこの空間が世界と世界の境界線だという。たしかに見たことのないものがこの部屋にはたくさんあるので彼女の話は本当だろうと理解した。


 テーブルの片隅に整えられた本は色鮮やかで、壁に飾られた景色の絵はまるでその景色の一部を切り取ったように美しく描かれている。きっと名のある画家が描いているのかもしれないが、その技術は国宝ものだろう。


 それよりあの綺麗な水の出る魔道具が気になる。いや、部屋を適温にしているらしいあの長方形の白い魔道具の方が気になるかもしれない。あの魔道具があれば夏も冬もずっと心地よく過ごせるだろう。


 ランバルトは内心ワクワクとしていた。この部屋の至るところにここが違う世界だと思わせるものがある。


 「この子はわたしの飼い猫のムサシです。自称ケット・シーという精霊でして、オルフェウス様はムサシの魔法でこの場に連れてこられました」

 「……猫で精霊?」

 「ええ」


 ムサシと呼ばれた猫は桜が座るソファーの隣で寝転がっている。面倒くさそうに片目を開けてすぐに閉じてしまった。


 「オルフェウス様はなにか深い悩み事があったのではないですか?」

 「あ、あぁ。そうだ」

 「そして、ムサシになにか偉そうなことを言われて」

 「あ、あぁ」

 「ほんと、すみません。ムサシ、どうして無理やり連れてきたの」


 桜が顔を顰める。ムサシは『にゃあ(無理やりではない)』とひと声鳴くと尻尾をゆらりと振った。


 「まぁ、あながち嘘ではないと思います。ムサシが言うならたぶん」

 『我は嘘をつかん』

 「差し支えなければオルフェウスさんのお困りごとを教えていただけますか?」


 桜の問いかけにランバルトは躊躇いがちに口を開く。しかし、彼女が一切口を挟まず優しく相槌を打ってくれるものだから、不思議と口がペラペラと動いてしまい、気づけば怒涛の勢いで事情を吐き出してしまった。


 「オルフェウス様、とりあえず異世界に来てみませんか?」

 「……え?」

 「わたしが思うに、オルフェウス様には休暇が必要です。できれば現実を忘れてゆっくりできる時間が。もちろん、旅費は必要ですが……異世界にはあなたのことを知る人はいません」

 「ーーっ!!」

 「不本意な噂をされたり好奇な目で見られたりハニトラ、じゃなくて、女性に迫られることもありません」

 「ーーっ!!!!」

 「もちろん、簡単に行き来できるので帰ってこられないような危険はありません。日帰りでしたら金貨3枚〜プランをご提案いたします。本当ならわたくしのアテンド代として金貨1枚必要なのですが、初回限定でそちらはサービスとさせていただきます。いかがでしょうか」


 ランバルトは真っ直ぐに向けられた眼差しと数瞬対峙する。明日も学院だ。帰って食事をしてベッドに入ればまた学院に行かないと行けない。そのことを考えると耳障りのいい言葉に簡単に陥落した。


 「……金貨3枚だな。払おう。異世界とやらに連れて行ってもらえないだろうか」



  

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