6.破壊の一撃
ノアが言い放った一言をガロンは受け止めつつ、朱き糸を高速で動かす。
「……やってみろ、ノアよ!」
糸はこれまでにない程強靭に束ねられ、破壊の剣とノアの剣技でもそう簡単に斬れる代物ではなくなった。
そんな糸がこれまで以上に大量に張り巡らされ、網のようにノアを四方、更に上から囲む。
対してノアは目を閉じ、静かに剣を構える。
初めから周囲の網を全て斬れるなどとは思っていない。
生き残るにはこの包囲を抜け出せばそれでいいのだ。
故に、ノアが狙うのは一点突破。
たった一撃の突きのみで網の一点を破壊しようとする。
破壊の権能がその剣から溢れ、空間までもが破壊の概念で飽和状態になる。
「──────」
影が遅れるほどの速度で突き出されたノアの剣は破壊神にも劣らぬ圧倒的な滅びを生み出し、その滅びの剣先は強靭になったはずの終の糸を容易く突き破った。
「チッ!?」
その突きの威力は衰えることを知らず、周囲の糸を破壊し尽くしながら高速でガロンへと迫る。
ガロンは朱き夕闇に染まった右手を掲げ、ノアの剣に対して防御の姿勢を取った。
ガロンの終の呪いとノアの破壊が衝突し、文字通り遺跡そのものが震撼する。
ガロンの終の糸はもうすでに壊滅状態であり、もう一度展開しなければ糸による攻撃はできない。
だがノアも無傷とはいかず、突進中に糸に触れてしまった数箇所を終の呪いが侵食する。
終焉の権能によって呪いを消し去ることは可能だが、ガロンと近距離で莫大な力をぶつけ合っている以上、他のことに意識を割いている余裕はなかった。
「まだ……届かないのかッ!」
傷を負う覚悟で特攻したはずだった。
だがその剣はガロンの右手によって完全に止められており、どれだけ力を込めようとも剣はぴくりとも動かない。
それだけガロンの膂力が凄まじいのだ。
「この一瞬でここまで力をつけるとはな……」
対するガロンも、その末恐ろしさに戦慄していた。
ノアはこの戦いまでまともに権能を行使していなかったにもかかわらず、自力でガロンが防御しなければならない攻撃を繰り出したのだ。
より権能への理解を深めればあっという間に強くなれる。
ノアに対し、ガロンはそのように確信していた。
(これだけの権能を込めても無傷なのかよッ!)
糸を躱しつつとはいえ、ノアは創造の権能を以て全力で破壊に耐えうる剣を創った。
更にその剣に全力で破壊の権能を込めたのだが、そんなノアの全霊の攻撃はガロンの夕闇の右手によって完全に防がれてしまっている。
これがノアの出せる最大火力だったのだが……
「ただ権能を行使するだけでは足りぬ」
剣を掴んでノアを見下しているガロンが、その剣をぐしゃりと握り潰しながら再度助言を言い放つ。
現状唯一の攻撃手段を潰されたノアは一瞬唖然とし、その大きすぎる隙にガロンが蹴りを放った。
「ぐッ!?」
ノアはまるで軽いボールのように弾き飛ばされ、遺跡の壁に深々と突き刺さった。
流石に無傷とはいかず、所々に裂傷が刻まれる。
だがそれによって余裕が生まれ、先程刻まれた終の呪いを終焉に至らせることができた。
「俺だって本気でやってるんだがな……」
「なに、まだ足りぬというだけだ。貴公が更なる力に目覚めれば、私に傷を与える程度なら軽くできよう」
現状取れる攻撃手段は破壊の権能のみ。それ以外は軒並み意味を成さない。
それなら破壊の権能をより上手く使えるようになることが必須だ。
しかしそんなことを軽くできるならここまで苦労はしていない。
「私が力を使う時、何をしていたかを思い出してみろ」
『朱き終の呪い』、『夕滅の朱糸』……
これらは権能ではなく、現実に形として現れるひとつの術だ。
そしてそれらを総じて何と呼ぶか───
「……魔法」
ノアが使った『蒼天浄化』もそのひとつだ。
だがあれは初歩中の初歩。あれと同程度の魔法ではいくら破壊の権能だからといってガロンに傷をつけることは不可能だろう。
「……ノアよ、貴公の魔力は凄まじい力を秘めている。潜在能力で考えるなら私など軽く上回るだろう」
確かに、ノアは八神の権能に加え自らが持っていた力がある。
その力については何一つ解らないとはいえ、それを自在に使えるようになれば今とは一線を画す程強くなれるはずだ。
だが───
「俺はまだ……そこまで強くない」
「ああ、故に私にも教えられることがある。恐れるな。権能を受け入れ、掌握するのだ。神々の権能だからといって、貴公の力がそれに劣っているとはとても思えぬ」
ガロンは見抜いていた。
本来のノアが持つ力は、神々の権能にすら劣らないと。
「権能を使い過ぎれば意識を乗っ取られるとでも思ったか?」
「それは……」
実際にそのようなことを考えていたわけではない。
だが無意識にその可能性に怯えていたのはきっと事実なのだろう。
「潜れ。権能の深くまで。その深淵に、答えはある」
ノアは眼を閉じ、ゆっくりと意識を沈ませていく。
自身の内にある八つの権能のひとつ、破壊の権能を理解するために、権能の深淵へと潜る。
そこにあるのは破壊、崩壊、決壊───この世の全ての破壊の概念が埋め尽くされていた。
そこに侵入したノアの魂までも概念に呑まれていき、、その魂を汚染する。
常人ならこの時点ですでに滅んでいるだろう。
だがこれは2万年を魂の状態のみで生き抜いたノアの魂なのだ。
その強靭すぎる魂を滅ぼすには継承された権能如きでは足りない。
深く、深く潜っていく魂は、やがてひとつの解を見つける。
破壊の概念を接触した存在に叩きつける、破壊神の代表的な魔法だ。
沈んでいた意識を浮上させ、ノアはその両眼を開く。
「……そうか」
原理が根本から違っていた。
ノアが先程使っていたのは破壊の概念を飽和させ、それを触れた物質に伝染させるというものだ。
だが、この魔法はそんなものではない。
ノアはもう一度剣を創造する。
先程の銀色の剣とは違い、薄く赤みがかった直剣だ。
もう強靭さは要らない。
ただ鋭く、斬ることに特化した剣だ。
「破壊に強靭さなど不要。ただ対象を破壊できればいい。いわば防御を捨て、攻撃に特化させた概念だ」
ノアは新たに創造された剣をガロンに向け、その事実を口にする。
「強靭さを捨てるなら、剣が壊れる前に対象を破壊すればいい。触れた時にこちらが終の呪いに侵食されるなら、侵食が始まる前に呪いごと破壊する───」
ゆらりとノアの身体が動き、次の瞬間にはガロンへと特攻する。
「ッ!?」
その剣を前にして、ガロンが息を呑む。
剣が纏う破壊の概念は先程よりも弱い。
だからこそ、ガロンはその剣を警戒した。
「『終の糸の焔舞』ッ!」
ガロンは防御のために新たな糸を展開し、それを束ねる。
それだけにはとどまらず、糸は触れた存在を終に導く呪いの焔を纏った。
ガロンは終の焔の糸を複製し、格子状にしてノアを取り囲む。
先程よりも強靭かつ終の焔によって破壊の概念を減衰させる効果を持つため、ただ破壊の権能を使うだけではこの糸を突破することは不可能だ。
だがガロンはノアが抜けてくると確信し、更なる防御態勢をとる。
『朱き終の呪い』を左手にも纏い、その両手による防御を可能にした。
ノアは終の焔を纏った糸を前にして息をつきつつ、ゆっくりと剣を構える。
「これが、破壊の権能───」
破壊の権能による魔法を発動させ、その剣を振るった。
「───『壊撃』」
静かに振り抜かれたその斬撃は糸に破壊の概念そのものを叩きつけ、無条件で糸を破壊した。
この魔法、『壊撃』は破壊魔法としては初歩的な魔法だ。
ただただ『破壊』という概念を対象に向けて叩きつけるだけのものなのだから。
だが、破壊の権能というだけあってその効力は凄まじい。
ガロン本体ならともかく、終の焔や糸程度なら無条件で切り捨ててしまえる程には。
先程ノアが使っていた術は破滅因子を触れさせ、触れた物質の破滅因子さえも誘発させるというもの。
これはこれで使い道はあるだろうが、そもそも魔法として体系化されていない時点で神々や偽神であるガロンが相手では力不足になる術なのだ。
だがこれなら……
「やはり習得したか、その魔法を……!」
この魔法なら、ガロン相手でもギリギリ届く。
少なくとも当たりさえすれば攻撃は通るはずだ。
ノアはガロンに向かって駆ける。
その速度は先程の突きと同等であり、瞬時にガロンの前まで現れた。
『壊撃』により強化された斬撃は容赦なくガロンを襲う。
ガロンはその剣を『朱き終の呪い』の両手で真っ向から受けきる。
剣と拳は触れた瞬間に轟音を轟かせ、遺跡内の空間の全てを爆ぜさせた。
その衝撃でノアとガロンは互いに遥か後方へと弾き飛ばされ、両者とも遺跡の壁に激突する。
先程とは違い、両者が触れ合ったのは一瞬だ。
しかしその一瞬で起きた破壊は凄まじく、この空間だけでなく両者にも傷跡を残した。
「はぁ、はぁ、今の一撃で対等か……」
「この威力……全ての権能を継承しているわけではないだろうに、すでに破壊神と同等とはな……」
ノアの持つ破壊の剣は終の呪いに侵食され半ばから消失し、ガロンの両手は深い傷を負い、鮮血を滴らせていた。
ガロンは神々にも匹敵するどころか、それすらも上回る力の持ち主だ。
故にまだこれが全力というわけではない。
ただ、ノアの力を見極めるには今の戦いは十分すぎた。
「ノア、貴公を認めよう」
「は……?」
ガロンの言葉に訝しげな視線を向け、困惑した表情をするノア。
ノアはガロンを倒さなければ認められることはないと思っていたのだろう。
「貴公の力は信頼に値する。その精神も、だ。故に、彼女を貴公に託したい」
ガロンは棺に視線を送りつつ言う。
この戦いの末に、ガロンはノアを少女の導き手として認めたのだ。
二人は棺に向かい、その少女を見る。
棺の中で眠っている少女は儚く、美しい。
だが、ノアにはそれ以上に畏怖を感じていた。
「……もう一度聞くが、この子が何者か、お前も解らないんだよな?」
「ああ。どのような存在かは何も」
「知ってるのは創造神ぐらいってことか」
今のところ創造神に聞く術はないが、いずれは聞かなければならないだろう。
ガロンは終の呪いを薄く纏いながら棺の蓋に触れ、消滅させる。
すると途端に少女の魂が活性化した。
「今まで魂そのものが眠っていたのか……」
少女がその眼を開け、首を捻ってノアを見つめた。
「ぁ……」
推定だが、三億年間眼も開けておらず、声も出したことがないのだろう。
少女の口からはうまく言葉が出ず、最初の言葉を話すのに時間を要した。
「ぁ……あなた、は、だれ?」
目が覚めて最初に発した言葉がそれだ。
まるで自身が何者なのかを知っているようだったが、ノアとガロンではそれに確信を持てなかった。
「俺は、ノアだ。お前は、自分の名前が解るか?」
「わた、し……?」
「ああ」
ノアの質問に、少女は少しだけ考える素振りをする。
それは思い出そうとしているのか、あるいは別の理由があるのか……
いずれにせよ、ノアは返答を待つことしかできない。
やがて少女は棺の上でノアに向き直って座り、柔らかな微笑みを返した。
「わたしは、ユキ。よろしくね、ノアくん」
ユキは一体何者か───