16.狂
男の名を聞くこともせず、ノアは白雪を抜き放って男に斬りかかる。
当然、『光の剣戟』を発動させた状態で、だ。
だが───
「アアアア!」
「……やはりそうなるか」
エルナの持っていた直剣が当然の如くその攻撃を防ぐ。
(斬ろうと思えば斬れる。だが……)
上質なものとはいえ、エルナの持つ剣は複製ができる程度のもの。
界律神装である白雪、それも『光の剣戟』を纏った状態と打ち合うのは絶対的に不可能だ。
だからこそ、ノアは剣に触れる瞬間に『光の剣戟』を解いていた。
発動させたままではエルナごと叩き斬っていただろう。
(エルナは魔族の王。それに、味方の中で俺の前世を知る唯一と言ってもいい存在だ。可能な限り傷つけたくはない)
だが状況的にはそうも言っていられない。
この状態のエルナとだけ戦うのなら良いが、今の戦況でならエルナはあくまでも敵の尖兵でしかないのだ。
つまり、エルナだけを警戒するわけにはいかない。
「ッ……!」
唐突に巨大な物質の塊が現れる。
その位置はノアとエルナの丁度真上。
莫大な質量を持つその物質が落下すれば、ノアはともかくエルナは間違いなく無事では済まないだろう。
だからこそ、ノアはエルナと戦いながらエルナを庇う必要がある。
「厄介な……」
白雪でエルナの剣を弾いてその胴を蹴って吹き飛ばした後、ノア自身もその場を飛び退く。
数瞬後には質量の塊が二人のいた場所に落下し、ヴァンデラの床を突き抜けて遥か下へと落ちていった。
「別にその女を庇う必要はないぞ?まだ生きているとはいえ、私の魔法によって最早自我は戻らん」
男はどうやら自分の魔法に絶対的な自信を持っているようだった。
(正直、この男はかなり強い。デュランやラフィナとは格が違うと言ってもいい。だが、ヴァディアやアルファルド程ではない。精々八神一人と同等といったところか)
男は軍服を着ていなかった。
だがその強さは間違いなく異世界の人間だ。
穿界軍とも関わりは深いだろう。
そうなってくると、前世のノアとも関わりがあってもおかしくはない。
そこでノアは初めて男の名を聞く気になった。
「お前、名は」
「私か?そうだな……ふむ、何と言うべきか」
名前など言い淀むものでもないはずだ。
それなら何故、この男は考えているのだろうか。
「名乗れ。聞いているのは名だけだ」
白雪の切っ先を向けてノアは威嚇するかのように目を鋭くさせる。
次の瞬間には斬りかかっていてもおかしくはない剣幕だ。
「……ああ、あれがいいか」
数秒の後、遂に男が納得したかのように顔を上げる。
そして、その名を口にした。
「私は狂王グリアノス。全ての因果を狂わせる、異世界の王である」
グリアノス……それが男の名のようだ。
(……アルファルドのように記憶にもなければ、デュランやラフィナ、ヴァディアのように引っかかるわけでもない。つまり、こいつとは前世も含め、完全に初対面だ)
依然として記憶は殆ど戻っていない。
だがそれでもアルファルドは覚えているし、今世で知った穿界軍の面々も名前に聞き覚えがあったりなど何かしらで記憶に引っかかっている。
だがグリアノスという名は引っかかりすらしない。
ならば前世を含めても聞いたことがないということなのだろう。
(それに、狂王か……)
どう考えてもグリアノスはアルファルドよりも弱い。
高く見積もったとしても現状のノアとそう変わらないか、多少強い程度だろう。
あの世界には王……つまり皇帝はたった一人しかいない。
それがアルファルドだったのだから、グリアノスが王であるということはないはずだ。
それなのに王を名乗っているというのは何故か。
「ああ、気にするな。王といっても自身で名付けた称号のようなものだからな。ここにいた四人と違い、種族の代表であるとかそんな大層なものではない」
「……それなら、やはりお前は穿界軍なのか?」
現状考えられるのはそれしかない。
他の世界から来ていたのなら別だが、そう都合良く同じタイミングで二つの世界から侵略者がやって来る確率などゼロに等しい。
しかし、穿界軍なのだとすれば軍服を着ていないことや今の行動にも説明がつかない。
デュランがグラエムにいたのは結界門によって発生した結界の中にある霊域核を収集するためだった。
それは失敗に終わり、グラエムにあったはずの霊域核は今や八神が管理している。
試練によって神がいなくなりつつあるので大元で言うのなら管理しているのは十中八九創造神であるアスティリアだが、今はそんなことどうでもいい。
結界内部に霊域核がないのなら、穿界軍がグラエムに手を出す必要もないはずだ。
少なくともアルファルドはそんな非効率的なことはしないだろう。
グリアノスが穿界軍なのだとすれば、この場にいることが何よりの矛盾なのである。
異世界の存在でありながら、穿界軍ではない……果たしてそんなことが有り得るのだろうか。
「私が穿界軍?ハハハッ、面白い冗談を言うものだな」
「……違うのか?だがお前の強さはこの世界の範疇を超えているだろう」
「確かに、私は異世界の存在だ。穿界軍とも、以前は関わりがあったのは事実」
「……まさか」
この口ぶりからすれば、グリアノスはおそらく───
「私は、元穿界軍だ。軍の大将が一人なわけないだろう?」
言われてみれば確かにそうだ。
今までノアは中将、大将、元帥しか知らない。
元帥はともかく、中将と大将が一人なはずがない。
つまり、グリアノスは元穿界軍大将ということなのだろう。
(元ということは今はもう違うんだろう。ならば何故、こいつは軍を抜けた……?)
何かしらの事情があったと見るべきなのかどうかが、ノアには解らない。
そして、ノアが疑問に思うのはそれだけではない。
(今になって行動を起こしたのも解らない。今まで俺と相対していないということは、少なくともデュランと戦うよりも前に抜けていたんだろう。だとするなら今このタイミングで四王を襲ったのは何故だ……?こいつの実力なら、デュランごとグラエムを支配できるはずだ)
仮にグリアノスにも何かしらの計画があり、デュランを避けていたとするのなら一応の説明はつく。
だがグリアノスはデュランを軽く上回る力を持っている。
計画に邪魔なら叩き潰せば良いはずだ。
(可能性があるとするなら、デュランを通して穿界軍と事を構えるのを避けていたというぐらいか。確かにグリアノスは強いが、ヴァディアやアルファルドには遠く及ばない)
ノアにとって傷つけるのも躊躇われるエルナを操って攻撃しているのだから、グリアノスもラフィナ同様、相当性格が悪い。
そして何よりも狡猾だ。
格上と敵対しないというのは可能性として有り得る話だ。
それなら軍を抜けたことに対しての説明はつかないが……
「っ……!」
そう考えている間にもエルナの猛攻は容赦なくノアを襲う。
エルナは神を除けばこの世界の存在で最強だろう。
ノアからすれば遅いとはいえ、その速度は常人には残像すら見えないレベル。
この部屋の全てを覆うような剣閃が秒間に数千回迸り、ノアはそれを躱し、受け流す。
「っ……お前」
「アアアアア!」
よく見ればエルナの口からはかなりの量の血が流れていた。
エルナは相応には強い。
この程度の動きで身体が限界を迎えているということはまず有り得ないだろう。
(さっき俺が吹き飛ばした時か……!)
ノアは先程、グリアノスの攻撃から守るためにエルナの腹部を大きく蹴り飛ばした。
その際に内臓を傷つけたのだろう。
少なくとも軽症ではない。
再生の権能を使えないエルナからすれば重症と言っても過言ではない。
そんな傷を負ってもなお、狂わされたエルナは速度を上げる。
(どこかで無力化しなければ……)
この攻防の中、そこで初めてノアはグリアノスの行動を見る。
グリアノスはすでに死んでしまっているエルナを除く三人の王に近づく。
するとグリアノスは───
「───『死者の狂舞』」
「……お前、まさかッ!?」
背筋に走る悪寒。
魔法をかけられたのは三人の王。
そして、その三人は───
「───!」
「そん、な……」
ノアはそれを見たことがある。
この世界で目覚め、最初に出会った死の世界を動いている存在……すなわち、屍。
現代の三種族の王が、あの時見た屍と同じ存在になってしまったのだ。
「───!」
「……グリアノスッ!」
怒りのまま、ノアはグリアノスに向かって叫ぶ。
もしかするとあの時の屍の大軍も大元はこのグリアノスがやったのかもしれない。
あまりにも人道に反する行為だ。その度合いはきっとラフィナと同等。
到底許せるものではない。
(殺す。滅ぼす。こんな奴がこの世界に存在していいはずがない!)
屍を操る───
それは死者への冒涜だ。
「───!」
アルテマの屍が風の刃による竜巻を発生させる魔法を放ち、クレスの屍がその威力を底上げする。
ジェラルドはどこからか取り出した大剣を大きく振りかぶり、ノアへと振り下ろした。
「チィッ!」
その威力は凄まじく、単純な破壊力だけなら先程の質量の塊よりも高い。
ノアなら弾き返すことも不可能ではないが、それによって四王が傷つくのでは本末転倒だ。
(……最悪な野郎だ)
行動までも全てグリアノスが操っているのだとすれば、その残酷さが伺えるだろう。
アルテマの魔法はノアは当然ながら、ジェラルドまでも巻き込む範囲なのだ。
(再生の権能があるおかげで魂が滅んでいない限りは蘇生させることができる。とはいえ、肉体の損傷が激しすぎれば場合によってはそれすらも困難だ)
レイシェルなら肉体が消滅していても可能だっただろう。
だが、ノアにそれ程の技術はない。
同じ権能を持っていても適性というものはあるのだ。
(できるだけ損傷を防がなければならない……となれば)
ノアは自身の左手首を浅く斬り、見よう見まねで魔法を発動する。
「『鮮血壊盾』」
破壊の権能を全て所持している今なら、ノアでも魔法陣を介さずに破壊魔法を使用できる。
鮮血の盾は風の刃でできた竜巻を完全に受け止める。
(この盾は血だ。だからこそできることもある)
盾を構成している血液を操り、風の刃が圧縮される。
そしてそれをグリアノスの方へと飛ばし、圧縮を解除して解き放った。
「ほう?そんなことができるのか」
だが当然のようにグリアノスは密度の高い刃の嵐を全て躱してしまった。
その強さに見合うだけの速度は持つようだ。
ノアもあれぐらいなら余裕を持って躱しきることはできる。
『鮮血壊盾』を使ったのはジェラルドを庇うためだ。
(あれが全力の速度ではないことなど解っている。もしもの可能性もある。俺よりも速いと考えるべきだ)
ノアとグリアノスは互いの存在を知らなかった。
故に能力や力なども何一つ理解できていない。
グリアノスの力はヴァディアよりは弱いだろうが、それに関してはノアもまた同じ。
決して油断できる相手ではないのだ。
それなのに───
(……何故だ?先程から攻撃を仕掛けてくるのは四王のみ。操っているはずのグリアノスが攻撃したのは大質量を落とした時だけだ。確かに四王の相手は殺さないようにしたり、身体を壊さないようにしたりと厄介ではあるが、どう考えてもこの四人の特攻よりもあいつ一人の方が強いだろう)
ノアの力なら虚無の権能を使うまでもなく四人を同時に相手にできるし、多少時間をかければ庇いながら無力化することもできる。
一番厄介なのがグリアノスの介入なのだ。
ノアが思考している最中にも四王の猛攻は止まらない。
ノアが殆ど反撃しないのをいいことに、防御も回避も何もなくただただ攻撃するのみ。
「……ふむ、まあこんなところか」
その様子を見ていたグリアノスが言葉を発し、ようやくその一歩を踏み出した。
そしてその瞬間、エルナがノアとグリアノスの直線上に入り、ノアに対してその剣を振るう。
グリアノスの動きを確認したかったが、攻撃は防がなければならない。
故にノアはそれを白雪で受け止め───
「な……ッ!?」
突如として現れる、ノアの想定していない場所からの攻撃。
それは───
「ァ、アァ……」
槍がエルナの胸から生え、それはノアの心臓を的確に貫いていた。
「……エルナッ!」
槍はエルナとノア、二人を同時に串刺しにしていたのだ。
それも、同時に心臓を狙って。
「……ぁ」
心臓を破壊されたことでエルナが絶命する。
それによって暴走していた動きも完全に停止し、その両腕はだらりと垂れ下がって剣を取り落とした。
「……『死者の狂舞』」
「その、魔法は……」
今度こそ、屍を操る魔法がエルナにかけられる。
「───、───!」
先程までは自我を狂わされてノアを攻撃していたエルナが、今度は屍を操られてノアへの攻撃を開始する。
風魔法によって打ち上げられた剣はエルナの手に戻り、その刃は的確にノアの首を狙った。
「……」
ノアは刹那の時間だけその瞳を閉じる。
もうこの場に守るべき生者はいない。
それを思い知ったノアは、覚悟を決める。
(───アルテマ、ジェラルド、クレス……そしてエルナ。本当に、済まない)
心の中で深く謝罪し、ノアは開眼する。
その瞳には世界眼の蒼でもなく、破壊の瞳の紅でもない、ノア本来の色があった。
それは、紫。
ノアの瞳がこの色をする時は決まっている。
何かを為す覚悟を決めた時だ。
故に───
「───『無の混沌』」
故に、その虚無を解放する。
周囲の時間が停止したかのような感覚に見舞われ、次の瞬間にはノアの周囲にあった無機物の一切が消滅した。
エルナの剣、グリアノスの槍は当然ながら柄の部分から消え失せ、無機物でできていたこの部屋の床が全て抜ける。
浮遊もせず、ただ立っていたグリアノスと四人の屍は為す術もなく下階に落ちた。
空中に浮遊したノアは静かにグリアノスを見つめ、一瞬にも満たない隙に白雪をその眼前に突き立てた。
「……今、何が……」
グリアノスは何が起こったのか理解できていないようだった。
それも当然と言えるだろう。
ノアの力を知らないのなら、それを考えたところで無駄だ。
知識がない状態で虚無を見破ることなど不可能なのだから。
「……なあ、グリアノス」
ノアは最後に確認するように問いかける。
「何故お前はこんなことができる」
「……それは、どちらの意味だ」
この問いは二つの意味で受け取ることができる。
能力的な意味と、精神的な意味だ。
今回の場合はどう考えても後者。誰にでも解るぐらいには簡単なはずだが、グリアノスはそれすらも理解していないようだった。
「……それすらも理解していないのなら、もういい」
元から解り合えるとは思っていなかった。
だが、それはあくまでもそう思っていただけだったのだ。
今のやり取りでその考えも確信に変わった。
それなら、あとやるべきことは一つ。
「お前はもう、死ね」
ノアは静かに白雪を振るい、グリアノスを斬って───
「───ちと遅かったな」
「───なに?」
言葉が聞こえた瞬間、グリアノスの身体がボロボロと崩れ落ちた。
『幻影程度使えぬ私ではないぞ』
空間にグリアノスの声が響く。
だがこの場にグリアノスはいなかった。
(俺の目を欺く幻影だと……?)
ノアの左目は創造神の世界眼だ。
それを欺くというのは八神ですら不可能に近い。
異世界の存在だからある程度はやりやすいのかもしれないが、だとしても簡単ではない。
(……いや、まさか初めから……?)
一番最初……ノアがこの部屋に戻ってきたところから全て実体を持った幻影なのだとすれば欺くも何もない。
だが、実体を持つ幻影を生み出すなど果たして可能なのだろうか。
『お前がいては私の計画が進まん。しばらくは大人しくさせてもらおう』
再度声が響く。
もうすでに……あるいは初めからグリアノスはこの部屋にいなかった。
「……足取りは掴めなさそうだな」
幻影にしても魔法を巧妙に隠してあった。
何にせよ、この状態なら追うことは不可能だ。
それに、それより今はやるべきことがある。
ノアは改めて四王の遺体に向き直る。
本物か幻影のグリアノスがいなくなったことで『死者の狂舞』が解かれたのだろう。事切れた四人は床に横たわって動かない。
四人の遺体を一箇所に集め、深く頭を下げる。
「……守れなくて、済まなかった……」
しばらくの間そうしていたノアだったが、顔を上げた後に再生の権能を全力で使い始めた。
(まだ遺体に魂が残っている……これなら魂を元に蘇生させることも現実的だ)
権能を継承したことで以前は知らなかった魔法も使えるようになった。
魂から記憶情報を読み取り、肉体を再生させるのが本来の蘇生魔法だ。
だが今回のは場合は傷ついているとはいえ肉体は現存んしている。
故に肉体を治療し魔法で魂を肉体に定着させるだけでいい。
再生の権能は再生だけでなく生命も同時に司る。
不可能なわけがない。
ノアは前に結界門を突破した時のように意識を集中させる。
違うのは潜っている先が再生の権能の深層だということ。
(……よし、これならできそうだ)
ノアの手から青い光が溢れ出す。
「───『青き命の冥光』」
この魔法はノアも見たことがない。
だがレイシェルはノアに授けた権能の中に魔法の種類などの記憶を残していってくれていたのだ。
そうでなければ、こうもすぐに蘇生魔法などという再生の権能に関する魔法の中でも高位のものを一度で発動できるわけがない。
オルストの試練の時のように手探りで魔法を考えていてはきっと不完全な魔法が誕生してしまう。
戦闘時の不完全な魔法は、相手がその系統を熟知していればいる程不意を突きやすくなるという利点があるが、蘇生魔法における不完全さは絶対的にあってはならない。
失敗してしまった場合、過程は違うとはいえやっていることの最低さはラフィナやグリアノスと並ぶ。
何せ適当な人体実験をしているのと何も変わらないのだから。
(このようなことを想定してはいなかったのかもしれないが、魔法を残してくれて本当にありがとう、レイシェル)
このことには感謝を感じずにはいられない。
ノアの手から溢れた青い光は四人を包み込み、そこに生命の息吹が宿った。
「───目覚めろ、四王。お前達はこんなところで滅び去っていい存在ではない」
そうして次第に光は収まっていく。
そこには四王が転がっていたが、四人ともに息があった。
「はぁ……蘇生成功、だな……」
蘇生魔法には相応の魔力と神経を使う。
魔力に関しては現在のノアは考慮しなくてもいい程度には莫大だが、ノアも精神を持つ以上精神力には限界がある。
四人同時に蘇生すれば、いくらノアと言えどかなり疲弊するのだ。
だが肝心の蘇生魔法は成功している。
削られた精神もノアならある程度は耐えられるし、それ程時間をかけずとも元通りになる。
蘇生の代償などというものはないのだ。
ノアを警戒してか、グリアノスもしばらくは大人しくするようだし、身を隠してしまえばノアにも気づけない可能性が高い。
幻影で戦い続け、魔法まで使っていたのだ。
欺く手段はいくらでもあるのだろう。
「う……ん……?」
アルテマから声が聞こえた。
どうやら目覚めたようだ。
「……そう、だ。私は……」
「目覚めたか、アルテマ」
「ッ……!ノア君か……確か、私は謎の男に……」
「ああ、殺されていた。どうにかそいつを撃退し、四人を蘇生させて今に至るわけだが……」
死ぬ前までの状況は理解できているようだった。
「蘇生……?ああ、神の権能というやつか。確か君の力は虚無だったはずだ」
「そうだ。再生神レイシェルの神域試練はすでに突破しているからな」
アルテマと会話していると他の三人も徐々に目覚めてくる。
「その……申し訳ありません。ノア様……」
エルナは目覚めてすぐにノアに頭を下げた。
それを見た他の三人は状況が掴めないようだった。
「その感じだと、意識はあったのか?」
「はい……操られてしまったとはいえ、あの男に与してしまい、ノア様に剣を向けたことは事実です。罰は如何様にもお受けいたします」
「いや、罰と言われても……」
自分の意思で敵対したのなら話は変わるが、少なくとも今回のエルナは魔法によってグリアノスに操られてしまっていた。
ノアが罰など与えるわけがない。
それに、それよりも重要なことは沢山あるのだ。
「……罰なんてものはない。悪いのは全てあの男……グリアノスだ。それに、罰なんて言ってられる状況じゃない」
「まあそうだろうね。君はあの男を撃退したと言った。つまり逃げられたという認識で良いかい?」
「それは……」
説明するのはかなり難しい。
四王は一応は各種族の最強だ。
異世界の存在とはいえ、そんな四王が幻影に敗北したということなのだから。
「躊躇うことはありませんよ」
「ああ、クレスの言う通りだ。オレ達はあいつに為す術もなく殺された。お前達に比べてオレ達が弱いのはすでに知ってんだからな」
クレスとジェラルドの言葉に背中を押されたのか、ノアはその口を開いた。
「……まず、逃げられたというわけではない。奴はそもそもこの場にいなかったんだ」
「……それはどういうことでしょうか?」
「簡潔に言うのなら、お前達を殺し、俺が戦ったのはグリアノスという男の幻影なんだ」
それを聞いた四人は皆違う表情をするが、その感情はどれも同じだった。
「おいおい嘘だろ……オレ達は曲がりなりにもこの世界の種族の最強だぞ……?」
「あの強さで本体ではなかったと……?僕なんて立ち向かおうとした瞬間には殺されていましたが……」
「警戒されたのか、最初に私とエルナを狙っていたね。まあ私はその初撃で命を落としてしまったわけだけど」
「私はその初撃には耐えることができましたが、ノア様が戻られた時に生きたまま身体を操られてしまいました……幻影の状態で魔法も使えるというのはあまりにも……」
全員、驚愕している。
真近で見た敵の強大さに。
「あれは幻影だったが、おそらくは本体もそう強さは変わりないと思う。以前俺が殺した穿界軍の大将よりは圧倒的に強いだろうが、間違いなく元帥には届かない。というか元帥には今の俺も敵わない。幻影を複数生成できて、それを操って複製戦に持ち込めるなら解らないが、一対一なら今の俺と同程度だろう」
奥の手を考慮してもそこはあまり変わらないだろう。
死んでしまっていたとはいえ四王がいたこともあって先程のノアも本気は出していなかった。
互いに全力は出せなかったのである。
「俺を警戒してしばらくは出てこないとは思う。だがそれも憶測であって保証はできない。だからこそ……」
ノアは己の虚無を右手に宿し、そこに擬似的な権能を持たせた。
それは幻影として次第に形を得ていく。
そして───
「これは、ノア様……?」
「ふむ、そっくりだね」
その幻影は現状のノアの姿を完全に模写していた。
「これを置いていく。意思疎通はできないが、四王であるお前達の命令には従うようにしてある。戦えと命令すれば戦うこともできる。グリアノスには遠く及ばないだろうが、これがあることによって俺がいると思わせることはできるかもしれない」
戦わせても四王を同時に相手にできる程度の強さはある。
グリアノスが相手では力不足もいいところだが、重要なのはノアがいると思わせることなのだ。
「それと、お前達にはこれを持たせておく」
「……これは?」
たった今、ノアが創造の権能を使って創り出したネックレスのようなものだった。
装飾品にしては形はあまり整えられておらず、淡い水色の石のような見た目をしている。
だが効果と見た目は一切関係ない。
「方法は何でもいい。非常時にはその石を壊せ。お前達の強さなら砕くのに苦労はしないだろう?」
「……砕けばノア君に伝わるという認識でいいかな?」
「その通りだ」
ノアの魂の一部を利用しているため、この石が壊れた時の通信は『念話』のものよりも遥かに強い。
代わりに石が砕けたということしか解らないが、その時は非常時なのだと考えればいい。
「すぐに戻れるとは思えないが、たとえ神域にいようとも信号は届く。非常時にはすぐに砕き、その後は各々の思う最善手を取ってくれ。ただ死んだだけなら蘇生は可能だ」
当然そうはなって欲しくない。
だがその可能性もある……どころか、その可能性の方が高いのだ。
これからどのタイミングでグラエムに戻れるか解らない。
残っている四つの試練の間は戻れないかもしれない。
そうなった場合、それを乗り越えるまでのしばらくの間はグラエム内部にまで気にかけておくことはできないだろう。
そしてグリアノスだが、きっとノアが戻るよりも先にノアの不在に気づく。
そうなれば何かしらの行動を起こしてくるはずだ。
今回ばかりは受け身になってしまっても仕方がない。
「君は気にする必要などないよ」
アルテマがノアを正面から自信を持った瞳で見つめながら話す。
「本来なら君は我々を救う義理などないだろう?それなのにここまで気にかけてくれているんだ。君は気にせず、試練を突破してくれたまえ」
「ええ、私達も王です。この都市を護るためなら命すら投げ出せる覚悟があるのです。私達は私達のできることをするのみ。ノア様は貴方にしか為せないことを、どうかやり遂げてください」
「民を護るのが仕事だからな。滅ぼされるわけにゃいかねぇが、蘇生可能なら何度でも民のために死んでやるさ」
「僕達の意志は本物ですよ……機会があるなら、今度こそ一矢報いてみせますとも」
四王それぞれの覚悟は嘘偽りなく、意志は明確にノアに伝わった。
「ああ……頼むぞ」
各々の瞳を見つめて頷いたノアは早速準備を始める。
「そういえば、次はどこに?グラエム内部ではないことは明らかのようですが……」
「ここから北に見える山脈の頂上だそうだ。山自体はかなり大きいが、俺にとってはあまり変わりはない」
「オルテア山脈か……まあ君ならグラエムを出てから一日とかからずに辿り着けそうではあるね」
オルテア山脈……それが名前らしい。
どうも人類が呼んでいる名前のようで、ノアにある追憶神の記憶には名称はなかった。
世界全てを見渡せる神は地形にはあまり名付けをしないのかもしれない。
「まあ何にせよ、全ての試練が終われば一度戻ってくる。それまでに何もなければそれでいい」
きっとそうはならないとはいえ、あくまでも可能性の話なのだ。
こういう時にこそ未来の権能で未来視をすればいいと思うかもしれない。
だが、それはできない理由があった。
(俺の力が原因だろうが、未来の権能では見通せなかったのは誤算だな)
未来人の力ではたとえ継承したとしてもノアの未来は無で塗り潰され、見えなくなっていたのだ。
ハーティアだけでなく、その虚無を持つノアですらも。
「なるようにしかならない……が、どうも不安だな」
対策は最大限してある。
だが、可能性の全てが不確定すぎるのだ。
「……じゃあ行ってくる。くれぐれも気をつけろよ」
「あくまでも民が優先だが、まあ自分の命にも少しは気を配っておくよ」
「死んでたら蘇生してくれよ?」
「僕は四王最弱ですから、どうにか知恵で上手く立ち回ってみせましょう」
「ノア様……頼ってばかりで申し訳ありませんが、どうか……どうか、よろしくお願いします」
皆の言葉を聞くと、ノアは少しだけ笑って背を向ける。
(さあ、ここからが試練の後半だ)
試練は後半戦へ───
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