14.反転の試練
「さて、ノア君。試練開始地点が地下と言っていたが、今すぐ行くかい?」
「そうだな。早い方が良い」
「では、私とエルナで連れていこうか。ノア君に記憶がないとはいえ、話したいこともあるだろう」
「ええ……ありがとうございます」
「んじゃ、オレ達は一般市民に通達しとくわ」
「ノア、と言っても伝わらないでしょうから、黒髪で赤い右目、青い左目をした人間の男とでも言いましょうか」
確かに外見的特徴はその程度しかないし、種族も見た目は人間か魔族のどちらかである。
前世のことを考えるなら人間でもあるだろうが、今の状態のノアは人間と神の中間だ。
故にただの人間ではなかった。
「では向かおうか。エルナ、ノア君」
「はい」
「ああ」
そうして三人は退室する。
「そういえば、地下には行ったことがあるのかい?」
「先日の異変を止める時に少しだけ。俺の記憶が正しければ、あそこにはもう何もないと思うが……」
「そうですね。元々、あの場所にはグラエムを覆う結界を維持するための水晶があったのですが、先日の異変が起きる前に敵によって粉々に砕かれてしまいました」
「そして、その場所をデュラン……水晶を壊した敵が流用していたと」
「そうなりますね」
霊域核を保管していたのも、あの場所が結界内部で最も保存がしやすかったのかもしれない。
「異変の原因も見当はついているんだ」
「……そうなのか?」
「ああ。この結界内部は、以前はその水晶が平穏を維持していた。だがそれはあくまでも間接的なものだろう。この世界の根源たる力の塊……霊域核を守ることが最重要事項だったのだろうね。神が実在している確証がある今、その仮説は限りなく真実に近づいている」
神々はこの世界の全てを守りたいと思っている。
だがどうしてもそれが不可能な場合、守るべき対象の優先順位をつけて、それの高い方から守ろうとするのだ。
「神はきっと、我々……この世界の住人よりも、世界のものの存続を優先している。今回の場合は結果として、我々を守ることにも繋がったのだろう」
「……」
アルテマの言っていることは正しい。
神々は当然生物の存続も願っているが、世界を滅ぼされては元も子もないが故に、救うのが不可能な場合は容赦なく切り捨ててでも世界そのものを救う。
───生物は後からでも創造できるからだ。
だが、今のアルテマの発言にもおかしな部分があった。
それは───
「アルテマ様……霊域核とは一体何ですか……?」
「それは俺も気になっていた。俺はそれを知っていたが、何故お前が霊域核を知っている?」
この世界の住人はアルファルドの世界よりも技術や知識が低い。
ノアは霊域核という存在をデュランから聞いたが、それはデュランだからこそ知っていたもの。
この世界の住人であり、敵と邂逅したことのないアルテマがそれを知っているというのは不自然だ。
実際、二万年生きているエルナでさえ知らなかったのだから。
「なに、ただの伝承さ」
「伝承……ですか」
「この世界の根源たる力の塊……と、先程言った。文字通りの意味だよ。この世界を生物と仮定するなら、霊域核は生物で言う魂そのもののようなものだからね」
これは霊域核とは何なのか、というエルナに向けての説明だ。
「……で、何故私がこれを知ってるかだが……そうだな。代々霊王に伝わる伝承、といったところだ」
「……それはつまり、歴代の霊王しか知らない情報ということか?」
それならまだアルテマだけ知っていたことに対しては納得はいくが、どういう経緯でそうなったのかが解らなかった。
「何代も前の霊王が神に出会ったらしくてね。その際に知ったそうだよ。ま、最低でも一億年以上昔の話さ」
「それなのにお前は神など不確定だって言っていたのか?」
「こんな伝承、眉唾物だと思っていたからね。でも神がいると確定している以上、この情報にも信憑性が出てきた。だから話したまでだよ」
彼女の心情はどうであれ、少なくとも今は味方と言える他の四王に対して不確定な情報を渡すわけにはいかなかったのかもしれない。
その情報がほぼ確定である今だからこそ口にしたのだろう。
「……それでも、もう少し私達を信頼して欲しかったです」
「悪いね。君には何度も話そうかと考えていたんだが、どうにもタイミングが悪くてね。あの二人は……馬鹿と腹黒だから、まだ話そうとは思っていなかったけれど」
酷い言いようだが、あながち間違ってはいない。
「……随分と話が逸れたね。確か、先日の異変の原因だったかな?」
「ああ、検討がついていると言ったが……」
「まあ簡単に言うのなら、結界内の霊域核が敵に管理されてしまったことで、その力の及ぶ範囲、つまりグラエムの中で生物全てに異常が起きたのだろう。それをノア君が取り返し、神々が管理するようになったことで元に戻った、といったところだろうね」
「なるほどな……」
今のノアとエルナにはそれが正しいかどうかを確認する術がない。
だが理論は破綻しておらず、事実から考えても最も納得のいく結論だった。
「俺も答えを知っているわけではないが、まあまず間違いなく合っているだろうな。グラエム内部にいた敵……デュランが洗脳のような力を使うとは到底思えない」
ラフィナがいたのなら洗脳も考えられた。
だがここにいたのはデュランだ。
デュランの力は死の概念であり、街全域に及んでいたあの異常は確実に死ではない。
つまり、あの異常は何か行動をした結果として起きてしまった副産物のようなものだろう。
「今、結界外はまともな生物ではそこにいるだけで即死してしまうような死の空間だ。霊域核が完全になくなればあのようになってしまうと考えて良いはず」
「完全に簒奪されてしまっていればあのようになっていた、ということですね……」
「恐ろしいな。それを結界内でやっていたのが敵の中将なんだろう?大将は殺したと言っていたが、あの力以上の者がまだいるとなると震えがするね」
ノアは改めてアルテマを見る。
肩を竦めており、とても震えているようには見えなかった。
「女性をそうじろじろと見るのはマナー違反というものだよ」
「震えがすると言うのならもう少し怖がったりした態度でもとったらどうだ?見た目不相応に、まるで可愛げがないな」
外見は年齢が一桁の少女であり、実年齢もそうだ。
だがその精神は些か育ちすぎているようにも感じる。
「お前もある意味化け物だな」
「随分な言いようじゃないか」
「普通の九歳ではないのは確かに思いますね」
「君もかい?エルナ」
そんな会話をしている内に遂にその地下まで辿り着いた。
「ついこの前のはずなのに、もう懐かしく感じるな」
まだ十日と少ししか経っていないにもかかわらず、ノアからすればもう数ヶ月は前の気分だった。
「試練というのはこの場で開始するんだね?」
「ああ、ここで始まるのは反転神の試練だ。試練が始まると俺は神域に入るから、しばらくはいなくなる」
「そうですか……ないとは思いますが、巻き込まれては大変なので私達はここまでですね」
反転神の試練が戦闘なのかは解らないが、どちらにしろ巻き込まれては命の保証はできない。
ならばエルナの判断は賢明と言える。
「では、我々はあの二人のところに戻ってこの先君の邪魔が入らないように都市全域に通達する準備をしておくよ」
「試練が完了すれば、一度あの部屋に戻ってきてくれますか?」
「ああ、そう時間はかからないはずだ」
これまで通りなら、試練は長くとも数時間程度の長さでしかない。
今後全てそうだと断定することはできないが、可能性としてはどちらも有り得るだろう。
「さて……」
ノアは以前霊域核が保管されていた部屋に一人で入る。
最初に目に入るのは戦いの痕跡。
部屋の壁全体に大きな斬撃の跡があった。
他の場所は殆ど修復されていたようだが、この部屋は手つかずだったようだ。
「まあ用はないよな。こんな場所」
しばらくすると未来神の時と同じように空間が輝く。
試練開始の合図だ。
ノアはその光に呑まれ、気づけば以前と同じように純白の神域にいた。
「ということは、お前が反転神なんだな」
ノアはその神域に入った瞬間から目の前にいた長い緑髪の青年の姿をした存在に声をかける。
「ええ、そうですとも。僕は反転神オルスト。君とは初めましてですねぇ」
その青年……反転神オルストはにこりと微笑む。
元から糸目であるため、微笑んだところでその角度しか違いはないが……
「……試練の詳細は?」
早急に終わらせるために、ノアは無駄な言葉を交わすことなくオルストに質問する。
「本当は僕も戦闘による試練にしようとしていたんですが……まあそれはリオエスタとヴェレイドに任せることにしました。なので、僕の試練は最早試練ではないのですよ」
ある程度は試練前のことを知っているのか、オルストも無駄な会話はしない。
だが、ノアにはオルストの言っていることがあまり解らなかった。
「……最早試練ではないというのはどういうことだ?レイシェルにしても、ハーティアにしても、戦闘ではなくとも試練ではあった。だが、お前は……」
「まあまあ、少し話をしましょう。その話こそが、僕の試練ですからねぇ」
ただの話。
それが試練だと、オルストは言っている。
(……にわかには信じられない。会話が試練だと?そんなことが有り得るのか?)
ノアの脳内は疑問で埋め尽くされる。
試練というのは乗り越えるものだ。
実際、これまでの試練はそうだった。
リオエスタの試練はリオエスタ自身に打ち勝つこと、レイシェルの試練はレイシェルの攻撃を防ぎきること、ハーティアの試練は未来の権能の真髄を理解すること……
その形はどうであれ、これまでの試練は試練として機能していた。
だが、今回はただの会話が試練だという。
ノアにとって、それは信じられる話ではない。
「まず、僕は神域と深層羅神を使えません」
「ああ……レイシェルからある程度は聞いている」
オルストは反転神であるため、神としての能力である神域や深層羅神を使えても不思議ではない。
それなのに使えないということは、それ相応の理由があるということ。
そして、ノアもその理由は察していた。
「僕は反転の権能を司る神……なので、理そのものから反転、すなわち、背くことこそが僕の深層羅神となるわけです」
「理そのものと言ってもいい神が、自身の権能によって世界そのものの理に背けば……」
「ええ、世界から概念が一つ消えます。そもそも世界に内包されている概念に無駄なものなどない。故に、概念が消えれば世界が滅びてしまうんですよねぇ」
厳密に言うのなら、オルストは神域や深層羅神を使えないのではなく、使うという選択肢を取れないのだ。
オルストがその二つのどちらかを使用してしまった場合、反転神という存在そのものが反転し、使用している間は神ではなくなってしまう。
それによって爆発的な力を得ることはできることは確実であるし、度合いによっては八神最強のヴェレイドやそれよりも強いガロンすら超えることもできる可能性は秘めている。
だが使用してしまったが最後、世界は間違いなく滅びへと向かうだろう。
「破壊や終焉といった概念はこの世界に明確に存在しているが故にその力を発揮できる。だが反転だけはそうはいかない」
「この世界のありとあらゆる物質には『裏』が存在しています。僕の権能はその『裏』を操るものなんですよ。なので世界から反転の概念が消失した瞬間、全ての物質が崩壊してしまうんですよねぇ」
オルストとて神域や深層羅神を使おうと思えば使える。
だが使ってはいけない。
何故なら世界が滅んでしまうから。
しかし、この理論には抜け道が存在している。
「お前は反転神……つまり神であるが故に神域や深層羅神を使える。そして同時に、神であるが故に使えない。そうだろう?」
「鋭いですねぇ……ま、そういうことです」
世界に影響が出てしまうのは、反転の権能を使うのが反転神であるオルストであるからだ。
つまり、反転神以外が反転の権能を所持し、神域や深層羅神を使う分には何も問題は起きない。
そして、それをできる可能性を持つのは世界にたった一人。
「俺が───俺が使うなら、世界は滅びない」
ノアはあらゆる理に縛られない。
故にオルストの代わりに権能を使うならノアしかいない。
他の神でも、この世界のどの住人でも不可能だ。
虚無そのものであるノアだからこそできる芸当。
「君にしか、反転の権能の真髄は使えない……だからこそ、これは試練にすらならないんですよ」
「神域と深層羅神を見せられないからか?だとしても、お前は神だ。相応の強さはあるだろう」
「まあそれも間違いではないんですけどねぇ……それでもリオエスタやヴェレイドには勝てないんですよ。少なくとも君はリオエスタを倒しています。なら、僕が君に勝てる道理はありませんよ」
深層羅神だけでも使えればまた返答は違っただろう。
だが、現状オルストの持つ手札で勝負するなら間違いなくノアには勝てない。
故にその知識だけを話すのだ。
「僕の深層羅神の名は───『界律反転』。文字通り界律そのものに作用するので、神である僕には使えないんですよねぇ……」
『界律反転』───
それこそがオルストの持つ深層羅神。
「……その効果は」
「発動させた存在そのものを反転させる力です。存在が反転すれば、完全に理から切り離された存在になるんですよ」
「……つまりあらゆる理、界律を無視できるようになると?」
「まあそうですね。ですがそれだけなら君の虚無の方が上位互換となるでしょう。ですが『界律反転』はそれだけではなく、また別の力があります」
今の部分だけだとそもそも理に縛られないノアの虚無の方が強く感じる。
だが『界律反転』の持つ能力はそれだけではない。
むしろもう一つの能力のために理の縛りから開放されるのだから、こちらの方が本命の能力と言ってもいい。
その能力とは───
「この深層羅神によって理の縛りから開放された存在は、その世界の理に縛られたあらゆる存在からの干渉を否定します。つまり、この世界内部で戦うのなら敵からの全ての攻撃が無効になる、と考えて良いですねぇ」
「それは……凄まじいな」
ノアやアルファルドのようにこの世界の外側の権能なら防ぐことは不可能かもしれない。
だが、少なくともこの深層羅神を使うことができればこの世界の存在である八神やガロン、概念としての権能を持たないヴァディア程度の攻撃なら完封できてもおかしくはない。
そうなると問題になってくるのは───
「───いくら権能を保持したところで、現時点で俺は神ではない。つまり、今の俺では深層羅神を使えない」
「それが唯一の問題ですねぇ……」
すでにノアは破壊、再生、未来の権能を完全継承している。
それなのに『破滅災牙』も、『命廻覇潰』も、『限局未来』も使えない。
何故ならそれはノアがまだ人間だからだ。
「今の俺は虚無という俺自身の権能を持ち、神々の権能を継承しただけの人間だ。ガロンと違って、未だに偽神ですらない。そんな俺が深層羅神を使えるのか?」
深層羅神は神にしか使えない己の権能の具現化の一つ。
神域と並ぶ程高度な能力なのだ。
「今はまだ、使えないようですねぇ。でも君は今後、全ての権能を継承する。その時の君は……果たして人間なんですかねぇ……」
確かにノアはすでに人間を辞めていてもおかしくはない程の力を持っている。
今後も神々の力を取り込むのであればそれこそ神にでもなりかねない。
だが、それでいいのだ。
「深層羅神を使うために神になる、か……」
「僕達八神のものもそうですが、君が神となれば君自身の権能からなる神域や深層羅神を使えても不思議ではありませんねぇ……虚無の権能ですから、僕達のものよりも強力になりそうですが」
そこまではまだ解らない。
リオエスタの『破滅災牙』は触れればそれだけで滅びかねない力を内包していた。
レイシェルの『命廻覇潰』は輪廻という概念に影響を与え、彼女の神域そのものを滅ぼしかけていた。
ハーティアの『限局未来』は可能性を絞り、その中から望んだ未来を選定することができた。
ノアの虚無による深層羅神が使えるようになったとて、そのレベルで使えるものなのかは未知数なのだ。
「……で、話ってのはこれだけなのか?」
もし試練というのがこれだけなら、些か味気ないとも思える。
「本来はするつもりはなかったんですがねぇ……君が望むのなら、戦います?」
「頼むよ」
オルストの問いにノアは即答する。
「確かにお前は深層羅神を使えない。でも反転神であることは間違いないんだ。なら、神域や深層羅神でなくとも絶大な力は持っているんだろう?」
ただの魔法であっても神であるというだけでその威力は跳ね上がる。
リオエスタの『壊撃』がいい例だ。
「お前の持つ反転魔法……見せてくれよ」
挑発的な態度で笑みを浮かべるノアを見て触発されたのか、オルストからも笑みが零れた。
「仕方ないですねぇ……君がそこまで言うのなら、僕も本気を出すとしましょうか。君が滅ぶとは思っていませんが……覚悟だけはしておいてくださいね?」
そう言ったオルストの右手が淡く光る。
反転魔法だろう。
深層羅神でも何でもないただの魔法なのに、ノアはその右手から不吉な予感を感じ取った。
「それでは参ります……『反命』」
ノアは初めて存在の『裏』を目撃する───




