7.再生の試練
「湖というのはこれのことか」
次の試練の場所……リオエスタの言う湖へはたった数時間で辿り着いた。
かなり位置が近かったのもあり、破壊神域での出来事の余韻に浸る時間すらない。
世界の寿命を考えるならその方がいいのだろうが、ノアからすれば少々複雑な心情だった。
「……まあそんなことはどうでもいいんだ。問題は次の試練」
湖に来てすぐにノアは異常に気づいていた。
これまでノアが見てきた海や川などは色からして完全に死んでいた。
生物など一匹たりともいないことが容易に解るレベルのものだったのだ。
だが今目の前にある湖はどうか。
「水が蒼く澄んでいる……再生の権能が働いている証拠だろうな」
死の大地となっているこの世界では絶えず水を再生し続けなければこうはならない。
つまりこの場所が再生神の試練の場所ということだ。
「また飛び込めばいいのか?」
その辺りの情報は何も聞いていなかったため、ある程度は予測で動くしかないだろう。
「……まあいい」
ノアは躊躇うことなく目の前の湖に飛び込む。
そしてその水中に沈んでいき、目の前に蒼い光が見えた。
(あれか……)
その場所へ進み、ノアは光に呑まれる。
気がつけばそこは───
「───やはり神域か」
創造神が創造した、それぞれの神の力を宿しただけの神域。
破壊神の時にもあったあれだ。
(あの時の神域は破壊神の力を宿し、破壊の権能を増長させるものだったが……今回のものはどこか違うような気がする)
再生の権能を感じないわけではない。
だが、どうにも破壊神の時と比べてその力が弱い気がした。
「……やっぱり違和感はあるんだね」
「ッ!?」
突如として聞こえた声。
それは幼い少女のような声だった。
だが、この場にいるのならそれはただの少女であるはずがない。
ノアは周囲を見渡す。
しかしその姿は見えなかった。
「……どこにいる、再生神レイシェル」
破壊神の時と違い、この神域は蒼い。
創造神の純白と再生神の蒼が混ざり合っている。
この神域が再生神の試練の空間であることは明白だ。
「……私はここ」
また声が聞こえた。
そしてその瞬間、空中に一滴の雫が現れ、それが肥大化して人間の形へと変化する。
現れたのは青い髪の少女だった。
背はかなり低かったユキと同じか、更に低い。
だが纏うのは神格。
その少女は無垢で幼い外見をしていたが、紛れもなく神であった。
「……私は再生神レイシェル……次の神域試練の神」
「やはりお前がそうなのか」
「……とりあえずその腕とか魂を治すね」
「……なに?」
想定外の発言にノアは耳を疑う。
ノアは再生の権能を完全に手に入れた末に治療しようと考えていたのだが、レイシェルの発言をその通りに受け取るならどうもたった今治療してくれるらしい。
レイシェルはその右手を前に突き出し、魔法を行使する。
「……『慈愛の天癒』」
それは生物の全てを元通りに再生させる魔法。
生きている以上、この魔法を受けた存在は完全に元の状態に蘇る。
「これは……」
滅ぼされていたノアの右腕が一瞬で完治する。
魂の方はかなり時間がかかっているようだが、この分だと時間はかかっても最終的には治すことができるだろう。
(これ程までに差があるのか……)
ノアもこれまで何度かこの力───再生の権能を使ってきた。
だがこれはそれと比べるのも烏滸がましいというレベルで違う。
「……驚いたもんだな。俺が使っても殆ど変化はなかった。俺の使い方が間違っていたのか?」
「……まあ力の使い方は色々ある……ただ単純に、貴方はこの力の使い方をちゃんと理解してなかっただけ」
つまり、理解さえすれば再生神程とまではいかなくともアルファルドの壊滅を覆すことはできるのかもしれない。
(もしそうならこの力は絶対的に必須だ。対抗は虚無ですればいいが、『壊滅の源弾』を撃たれた場合の回復手段はなくては困る)
『混沌災禍』があれば最低限受けきることはできるかもしれないが、それでも無傷というわけにはいかないはず。
それなら再生はなくてはならない。
それに───
「なあ、聞いてもいいか?」
「……なに?」
魔法に集中しているのか、あるいは本来の性格なのか、どうにも返事が遅い。
表情に変化はなく、会話したくないという雰囲気も感じないので嫌がっているわけではないようだが……
「お前の力なら、滅んだ魂を修復できるのか?」
何故ノアがこのようなことを聞くのかはきっとレイシェルも解っているだろう。
故に、レイシェルはその言葉を返す。
「……それは、ガロンとユキのこと?」
「……ああ、そうだ」
どんな言葉を返されるか、ノアも解りきっているはずだ。
それでも聞かずにはいられなかった。
「……滅びるということ……それは魂の消滅を指す」
消滅……すなわち、無だ。
「……簡潔に言うなら、私は再生と生命の循環を司る神……だから無から有を創り出すことはできない。それは私じゃなくて、アスティリアの権能」
「……やはりお前にはできないのか」
「……うん、そだね」
レイシェルにできるのはあくまでも再生と循環。
滅んだ魂は完全に消滅するため、再生は不可能だ。
無から有を創り出すのは創造神アスティリアなら可能だが、それもまた新たに創造された別物だ。
つまり、すでに魂が滅んでしまったユキとガロンを甦らせることはできないのだ。
「……がっかりした?」
ノアの心情を心配したのか、レイシェルがノアの瞳を覗き込む。
「……いや、覚悟はしていた。というよりは初めから解っていたという方が正しいか。俺だって再生の権能の一部を持っているんだ。まず間違いなくできないであろうことは何となく知っていたさ」
「……そう」
そこからしばらく二人は会話をしなかった。
だが数分経ち、レイシェルがその表情を険しくしていく。
「どうかしたのか?」
「……いや、これは……うん……」
そこでレイシェルはノアと目を合わせる。
「……まさか、この状態でリオエスタと戦ってたの……?」
「そうだが……」
「……随分と無謀なことをする……これ以上魂に直接的な攻撃を受けたら、内側から自壊してもおかしくはない」
「そんなになのか……?」
「……ん」
それだけ『壊滅の源弾』が強力だということなのだろう。
でなければノアの強靭な虚無の魂に傷をつけるなど普通は不可能なのだから。
「……仕方ないから、このまま神域を展開する。そこでなら治療は短時間で済む……はず」
リオエスタとは違い、レイシェルの神域は治療や再生そのものに作用するようだ。
「頼む」
「……了解」
ノアの声を聞き、レイシェルは祈るように腕を組む。
「……再生神域、『巡碧』」
レイシェルの両手から水色の光が溢れる。
その光にすら再生の力があるようで、ノアの魂に作用する。
「……ッ!」
光が強まり、そのあまりの眩しさにノアは目を閉じた。
そして、光が弱まって目を開けたその先には───
「───これは」
「……ここが私の神域……『巡碧』……魂の再生と循環を象徴する森」
白い大地、白い木々。
そしてその葉はまるで絵の具を雑に塗りたくったかのように真っ青で、空は先程の光のように水色に輝いていた。
「……不気味な神域だな」
生命の息吹を感じなかった破壊神域『死海』とはまるで真逆だ。
再生神域『巡碧』は周囲から不気味なまでに生命の力を感じる。
この場に生物と定義できる可能性のあるものはノアとレイシェルしかないのに。
……まあそもそも神は生物と捉えていいのかという問題ではあるのだが。
「……まさかとは思うが、この神域は……」
「……多分、ノアが考えている通りだと思う」
「それは……本当なのか?」
「……ん」
ノアの考えていることが正しいのなら、この世界に内包されているのは───
「───滅びることなく死んだ魂が、その生命を循環させるために魂の浄化をする場所、なんだな?」
「……そう。魂はこの場所でリセットして再利用するのが、この世界の摂理」
ノアもそんな場所がどこかにはあるとは思っていた。
だが、まさかそれが神域であるとは流石に想定していなかったのだ。
(この分だと他の神の神域も世界の根幹に作用するものと考えてもいいかもしれないな……特に創造神と整合神。権能の作用を考えるなら、あの二人の神域はまず間違いなく世界そのものを揺るがす程のもののはずだ)
やはり神々の力は世界の根幹の概念からなるものだ。
もしかすると破壊神域も何かしらの力をまだ秘めていたのかもしれない。
再生神の神域は間違いなく生命という世界に存在するものを司る。
おそらく創造神は世界創造そのものに関わる力だろう。
まだ予測しかできないが、ノアのこの予測が間違っているということはあまり考えられない。
他の世界と違い、この世界の神々は自身の持つ権能の力しか使えないからだ。
界律神から権能を分散させた影響だろう。
そうでなければこの世界の神は一人しかおらず、その神域もまた一つだったはず。
その場合、界律神の神域や深層羅神は再生や破壊ではなく、あくまでも『界律』というものに作用することになるだろう。
「……ここで使う再生の権能は、さっきの比じゃない」
「まあ、それはそうなるだろうな」
「……ここでノアの魂を治療する……試練の説明は治療しながら」
「ああ、解った」
レイシェルの手が神域を展開した時と同じように水色に輝く。
「……『再界の熾天癒』」
手から溢れるのは水色の光と炎。
だがその炎には一切の殺傷性を持たず、逆に触れた存在の魂を修復する力を持っていた。
「これは───とんでもないな」
おそらく魔法は先程のものよりも上位のものだろう。
だが実際にどちらの魔法も受けたノアにとっては魔法を変えた程度でここまで変化があるとは思えなかった。
(これが再生神域、『巡碧』の力か)
『慈愛の天癒』では遅々として進んでいなかった魂の再生。
それが有り得ないほどの速度で進んでいるのが目に見えて解る。
先程まででも力の差を感じていたのに、ここまでの力があるのならそれはもう別物だ。
今までノアが使っていたものは本当に再生の権能だったのかという疑問すら出てくる程。
(権能の所持率というか、半分程は貰っているはずなんだが……まるで密度が違うな)
神々は権能の半分近くをノアに譲渡していると言っていた。
八神全てがそうなら、レイシェルもそのはずなのだ。
(リオエスタといいレイシェルといい……これが力の使い方を理解している者と理解できていない者の差ということなのか)
そこから少し時間が経ち、ある程度魂の修復が進んでいた時にレイシェルが口を開いた。
「……神域試練の説明をする」
「頼む」
治療は今で半分程度だろう。説明が終わる頃にはきっと治療も済んでいるはずだ。
「……まず、リオエスタと違って私の試練では直接的に戦うことはない」
「確か、試練の内容は神によって違うと言っていたな」
「……そう、だから私は戦わない。私は戦いに向いた神じゃない。単純な戦闘能力なら私は八神で最弱だから……」
確かに、治癒や再生は戦闘には向かない。
生存率を上げるのなら必要だが、戦闘に勝つという意味合いでは強くはないだろう。
「……だからノアは耐えてほしい」
「耐える?」
レイシェルの言葉にノアは疑問を抱く。
「……戦っても私が負けるのは確実……だから、私から攻撃をする。そしてノアはただその攻撃を耐えたり、傷を癒したりする」
つまり、レイシェルから一方的に攻撃されるということだ。
当然、反撃は禁止。
それをしてしまえばレイシェルが倒れてしまうから。
それでは試練にならない。
試練をあくまでも試練として達成するために、ノアは攻撃してはならないのだ。
「……解った」
試練の条件を呑み、ノアは虚無、破壊、再生の権能を同時行使する。
虚無の権能により攻撃を無効化、あるいは弱体化させ、破壊の権能によって攻撃そのものを壊し、再生の権能は負った傷を癒すために。
「……やっぱり、凄まじいね」
「そうか?」
「……虚無は世界の理に反した力……神々の権能とは本来真逆なのに、それをあくまでも権能として使ってる」
レイシェルの言葉をそのまま受け取るなら、ノアの虚無は本来権能ですらないということだろうか。
確かにただの権能として捉えるならあまりにも強すぎるし、何よりも底が見えない。
それは事実なのだ。
「……私達は神だから、世界に反した力を使うことはできない……そんな力を持っていたとしても、世界のために使えない」
神というのは権能に、世界の理に縛られている。
どちらかといえば理によって生み出されたのが現在の八神だ。
界律神ならその限りではなかっただろうが、少なくとも八神に理の外の力を使うことはできないのだろう。
しかし、今のレイシェルの発言だと───
「……そんな力を、お前は持っているのか?」
「……私は持ってない……でも、反転神オルストは物質や事象の反転を司る神……オルストの深層羅神は、その力を持つ」
「それは……」
それなら、オルストはきっと深層羅神を使うことはできない。
使えるだけの力があっても、使えば世界の秩序が乱れてしまうから。
そうなれば世界は滅ぶ。
「……アスティリアから聞いた話だと、界律神から分けられたのが私達八神……そしてそれは理を分けるのに最低限の数。だからそれが一つなくなれば世界は終わる」
神が一人消えるというのはそれだけのことなのだ。
神域試練は権能を与えることで神の存在は希薄になる。
つまり滅ぶわけではない。
だからこそ試練ができる。
だが、神が理から外れるのは世界の滅亡を促すに他ならない。
「他にはいるのか?」
「……神々の中で共有されている情報ならオルストだけ……でも正直、アスティリアは持ってると思ってる」
本来の存在が界律神だったアスティリアなら確かに理から外れた力を使えてもおかしくはない。
そもそもとして界律神から分離された権能であるが故に理の範疇の力しか使えなくなっているのだ。
全ての権能の力を持つ界律神なら世界の理など関係なく力を使える。
だがそうなると疑問が生じる。
(何故、界律神は権能を八つに分けたんだ……?)
ノアがそんなことを考えている内に魂の修復が完了したのか、レイシェルの手に集っていた『再界の熾天癒』の光が消える。
「……終わった」
「ああ、感謝する」
「これから試練を……」
「……なあ、これはお前にする質問ではないかもしれないが、最後に聞いてもいいか?」
「……いいよ、なに?」
ノアは先程の疑問をレイシェルに投げかける。
「界律神が自身の力を神々に分けたことだ。そんなことをする必要があったのか?」
「……ああ、そのこと」
その問いにレイシェルは淡々と事実を告げる。
「……界律神アスティリアは自身の愉悦のために世界を創造し、そして滅ぼしかけた……だから、界律神に宿ったもう一つの人格が朱天偽神ガロンを創造し、残った力を八つに分断した」
「その人格というのは……」
「……それが、今の創造神アスティリア」
「そう、なのか……」
レイシェルも、この事実はつい先日初めて聞いたばかりだ。
アスティリアはガロンの存在が八神に公になるまで、その事実を隠蔽していた。
別にアスティリアが世界の滅びを増長していたというわけではないし、当然それを願っていたはずもない。
ただ、この事実を知られてしまえばまず間違いなく界律神に戻ってまで世界を救おうという話が出てきてしまう。
界律神がどのような存在かを知っているのはアスティリアだけ。
つまり、彼女しかその危険性を理解できていないのだ。
そうなることだけは絶対に避けなければならない。
神が己の世界を滅ぼすということは、あってはならないのだから。
「……詳しくはアスティリアに聞いて。創造神の神域試練が最後になるはずだから、その時に」
「ああ、解った」
ノアはそれだけを確認し、行使していた三つの権能の力を高めた。
「……これが虚無の力の……ん、私としてもやりごたえがある」
レイシェルの右手から見えるのは先程も見た水色の光。
だが、力の方向性は大きく異なっていた。
「……今から再生神レイシェルの神域試練を開始する……じゃあ、耐えてね……『原初の生命・生誕竜』」
そしてその瞬間、光と水が爆散した。
再生神の攻勢魔法は───




