6.破壊神リオエスタ
「まさか、ここまでとは……」
ノアの力を目の当たりにしたリオエスタは少し後退する。
(畏怖さえ感じるこの力……わたくし達を超えるであろうことは理解していたつもりですが、これ程までに差があるとは……しかもこの時点でも、まだ記憶を取り戻していない。つまり、全盛期とは程遠いはず)
ここまでの力を発揮してもなお、全盛期はまだこの程度の力では比べるまでもない力がある。
(やはりあれは、この世界に存在してはいけない……)
世界の救済を願う神々にとってノアの力が想定よりも上なのは喜ばしいことのはずだ。
何せノアが強ければ強い分、世界を救える確率が高くなるのだから。
だがそれでもリオエスタはあれを危険だと感じてしまった。
彼女は破壊を司る神。だからこそ、どの程度の力があれば世界を壊せるかというのを完全に理解している。
故に理解してしまった。
ノアという存在は、ノアの持つ力は、その気になれば容易く世界を飲み込んで崩壊させることができると。
ノアがそのような人物ではないというのはリオエスタも解っている。
だが、そうだったとしても不安が拭えるわけではない。
「……貴方様は、その力を以て一体何を為すのですか?」
問いを投げかけずにはいられなかった。
世界にとって救済となるか、致命となるかの判断はリオエスタの仕事ではなく、創造神アスティリアの仕事だ。
神々の中では彼女の判断が絶対。
意見することはあれど、最終的にはアスティリアに判断を委ねる。
今回だってそうだ。
ノアを利用すると提案したのは追憶神アルゼルスだが、ノアに権能を授け、そのままノアの善性に頼って救ってもらうというのはアスティリアが決めたこと。
リオエスタはそれに意見することはない。
だがそれでも、これは……これだけは、自分が聞かなければならないと思った。
深い理由はないだろう。
あくまでも神の直感のようなものだ。
「答えなさい───貴方様が、この世界で何を為すのかを」
ノアはこれまでにない程真剣な表情をしたリオエスタから何かを感じ取ったのか、一瞬だけ瞠目する。
(……そうか、こいつも想いは変わらないんだな)
だからこそ、ノアはこの問いに真摯に向き合って答えなくてはならない。
ゆっくりとノアは目を閉じ、想いを馳せる。
───『これは復讐なんかじゃない。世界を救う旅だ。あの二人のためだけに、俺はこの世界の全てを救おう』
(そうだ。俺の目的は───俺の為すべき使命はただ一つ)
ノアは力強くその目を開く。
『矛盾災禍』を展開しながらもその瞳は虚ろではなく、確かな強い意志があった。
「俺は───この力を以てこの世界を救う」
力強く、白雪を握った拳を前に突き出しながら。
「───何故、そうしようと?」
険しい顔つきでリオエスタがその意図を問う。
それに対し、ノアは覚悟を決めた表情で答えを返した。
「───それを、あの二人が望んだから」
これはユキとガロンの願いだ。
たったそれだけでしかない。だが、それだけでいい。
ノアにとって、これ以上の理由はないのだから。
「この世界に生きる生物の為でも、お前達神々の為でもない。ユキとガロンが望んだ───それだけだ」
その決意は何よりも固い。
下手に人類を救おうとするよりも、死んでいった二人の魂へ誓う方がノアにとっては重要だからだ。
「救いたいとは……思わないのですか?」
「思わないわけじゃない。ただ優先度が違うだけ。全生物を救うよりも、二人の願いを叶えることの方が俺にとっては大切だ。それによって得られる結果は同じ。世界を救うという、行き着く先は変わらないんだ」
───だから文句を言うな。
そう言外に言っているようなものだ。
だがそれでいい。
神々の願いは世界の救済。
穿界の魔手を消し去り、この世界に平穏を取り戻すこと。
それさえ叶うのなら手段や動機など何でもいい。
そのくらい、神は残酷なまでに世界を愛す。
世界を存続させるためなら世界に存在している全生物の犠牲さえも厭わない。
「それが、貴方様の道なのですね……」
「ああ、世界は救う。二人の望みを叶えるために」
たったそれだけがノアの動機。
何か一つでも歯車が狂っていればノアが敵に回っていたかもしれない。
まだノアが世界を救おうとしているのは二人の最期の願いがあったから。
(ああ、ガロン様、ユキ様……貴方様達に深く感謝を……)
リオエスタはノアの意志を繋ぎ止めてくれた二人に大きく感謝した。
「───ノア様」
「……何だ」
リオエスタはまるで我が子を見つめる母親のように微笑む。
慈愛に満ちたその瞳はこれまで戦っていた破壊神だとは思えない程。
それにノアは大きく困惑した。
「貴方様が戦い続ける理由はよく解りました。だからこそ、わたくしの願いも貴方様に託します」
「それは───」
神々の願いなど決まっている。
それを託すということはつまり───
「ええ、わたくしの───破壊神リオエスタの神域試練の突破を認めますわ。そしてわたくしの願いも同時に貴方様へ」
「───この世界を、穿界の魔手から救うこと」
「そうですわ。ユキ様やガロン様、他の神も同じ。皆が貴方様に希望を抱いているのです。だからどうか、わたくしの力を利用して、世界を───」
リオエスタの身体が紅き光の粒子に包まれる。
リオエスタという神体が、その意志がノアへと託されようとしているのだ。
「───お前も、俺に利用されることを望むのか」
ノアはその粒子に目をやりながらリオエスタに問いかける。
ユキやガロンとてそうだった。
二人に対し、世界のために魂すら捨てる覚悟を持った存在なのか、とノアは考えていた。
そして、それは八神も───
「勘違いしないでくださいませ」
「……なに?」
だが、リオエスタはそれを否定する。
「わたくしは八神の一人、破壊神リオエスタですわ。世界のために全てを捧げるのは、私の持つ権能が、理がそのようにできているから……ですが、あの二人は違います」
リオエスタは世界のために命を捨てられると言った。
だがユキとガロンについては否定する。
「ガロン様は貴方様の友人として放っておけなかったのでしょう。貴方様だって、彼に抱く感情は友愛そのものでしょう?」
「それは───」
その通りだった。
ガロンは概念に作用する権能は持たないので八神には含まれない。
星闇神として紛れもなく神ではある。だが八神のように理に縛られることはないのだ。
故に世界のために命を捨てるという強制力はない。
当然ガロンならそれでも命を捨てていたかもしれない。ガロンとて神だ。世界のためにという感情は間違いなく持ち合わせていた。
だが最期に想ったのは世界ではなく、ノアとユキだった。
それが何を意味するかは明白だろう。
ガロンはノアとユキを友人のように、そして我が子のように想っていたのだ。
「っ……!」
それをちゃんと自覚した途端、ノアの心が揺れる。
もう、ガロンはいないのだ。
ヴァディアに魂を滅ぼされ、その身体は屍となって敵に与するようになってしまった。
ガロンを解放するためにも、ノアは立ち止まるわけにはいかないのだ。
「そして、ユキ様が貴方様に抱く感情も理解できるつもりです。わたくしは世界を第一優先にする神ということもあってその感情を抱くことはないでしょうが、理解だけはできますわ」
「それは───」
「ユキ様は……貴方様を愛していた」
それはノアも解っていた。
ユキが滅びるあの瞬間、二人は互いに自覚したのだから。
「友愛、恋愛……何にしろあの二人は確かな愛を持っていましたわ。ですがわたくしが貴方様に向けるのは愛ではない」
「お前は……世界のために俺を利用するということか」
「ご名答ですわ」
そこにあるのは利益があるか否か。
だが、そうだったとしても───
「───それでもお前は優しさを捨てきれていない」
「……え?」
リオエスタはあくまでも冷酷に告げたつもりだった。
世界のためにノアを使う……それをノアに対して宣告したのだ。リオエスタにとっては冷酷なつもりだった。
だがノアはそうは思わない。
ノア自身もまた同じだから。
「俺は俺の目的……あの二人の願いを叶えるために全てを利用することを決めた。だから世界を救うために白雪を利用することを誓ったんだ」
そこにあるのは確かな愛だ。
ノアは空っぽで何もない、無の存在。
そんなノアに愛を教えてくれたのは、紛れもなくユキだった。
「お前も俺と同じなんだよ、リオエスタ。他者を利用するのも、そこには確かな愛がある。その対象が俺とお前では違うというだけの話であって、根本的には同類だ」
ノアはユキとガロンを、リオエスタは世界を愛する。
ただそれだけの話。
「俺の守りたかったものはもうない。だからせめて、俺は二人の願いを命を賭してでも叶える。お前の願いである世界の救済と俺の道はもうすでに交わっているはずだ」
「それは……」
「だからお前は安心していい。お前の願いも、俺が一緒に背負ってやる。それに、これは俺の責任でもあるんだ。完全に記憶が戻ったわけではないが、奴らがこの世界に来たのはきっと俺が原因だ。後始末は俺がしなければならない」
アルファルドは貴様は何故逃げた、と言っていた。
何かからノアは逃げたのだ。
だから穿界軍はノアを追って来た。
詳細は不明だが、そこにも何かがあったのかもしれない。
でも、だからといってノアの責任がなくなるわけではない。
「責任は取る。お前達神々は、全部俺に任せて、見ていてくれ。お前たちの願いごと、背負ったまま戦うさ」
これは新たな決意だ。
二人の願いだけでなく、八神の願いまで背負うという決意。
「───ふふふっ」
その決意を目にしたリオエスタは安心したような笑みを浮かべ、その瞳から一筋の涙を流す。
その涙の色は透き通るように透明で、紅い海に落ちた瞬間、神域の色が紅から変化する。
紅く染まった世界が蒼く、透き通っていく。
そこにある色は純白、蒼、そして透明。
破壊の権能と対比したような色だ。
「───今、破壊神域は特殊な状況ですわ。破壊神の領域でありながら、この場からは破壊の権能が消失しているのです」
「───なら、その力は」
「ええ。お察しの通り、それは全て貴方様の魂に」
権能を託された、ということだろう。
世界から破壊が抜け落ちる。
その力は全てノアへと吸収されていっている。
そして、それと同時にリオエスタの存在も希薄になっていた。
「わたくしにできるのはここまでですわ。次は再生神レイシェル様の試練……神によって内容は異なるので、きっとわたくしと違い戦いはしないでしょう」
「次はどこへ向かえばいい?」
ノアは最後に問いかける。
リオエスタの試練は唯一生き残っていた活火山の火口内だった。
この神域を出ればきっとその場所に戻る。
なら次の試練の場所を聞いておかなければならない。
「次は火山を下山した麓にある湖に向かいなさい。そしてこの場所へ来た時と同じように、その中へ迷わず飛び込む……それで次の神域に行けますわ」
「ああ、解った。ありがとう」
ノアはリオエスタに近づき、安心させるように笑いかける。
後のことは全て任せておけと言わんばかりの表情に、リオエスタもその顔を綻ばせた。
神域がガラガラと崩壊していく。
この場所を維持しているリオエスタが消えかけているからだろう。
だがその力は紛れもなくノアに継承されているのだ。
「ノア様」
「ああ」
「二人の願いを……世界を頼みますわ」
「任せておけ」
それが最後の会話。
その直後、リオエスタは完全に粒子となり、その粒子はノアへと吸い込まれる。
そして、それと同時に蒼く染まった破壊神域も完全に崩れ落ちた。
ノアはまるで身体が沈んでいくような感覚に陥る。
だがそれは不思議と嫌な感じはしない。
神域が崩壊し、元の場所へと戻っているのだ。
沈むような感覚が治まると、気づけばノアは大地を踏んで立っていた。
「ここは……火口に飛び込む直前の場所か」
神域に呑まれた位置からして火口内部に出てもおかしくはなかったのでこれで良かったのだろう。
「次は再生神レイシェルの試練か……」
ノアは完全なる再生の権能をあの時に持っていたらと考えてしまう。
どうにもならないことぐらい、ノア自身が一番よく解っているのに。
「……もう失わないためだ。何も滅ぼされないように、再生の権能を手に入れる……」
ノアは歩き出す。湖のある方向へ。
次の試練を乗り越えるために。
ノアは破壊神の意志をも継ぐ───




