2.破壊の試練
一つの黒い影がボロボロになった穿界の魔手から飛び降り、地面へと着地する。
右腕の消失した黒髪の男……そう、ノアである。
ユキとガロンの意志を受け継ぎ、世界を救ってみせると誓ったノアだったが、今はどうやら少し悩んでいるようだ。
「世界を救うと豪語したは良いものの、一体何から始めるべきか……今のまま挑んでも勝ち目は皆無。強くなる必要がある」
今のノアではアルファルドどころかヴァティアにすら届かない程弱い。
あの二人が異次元の強さを持っているとはいえ、勝てないと諦めていては世界が滅んでしまうのだ。
だが、ノアが力を手に入れる術はかなり限られている。
「……虚無の権能を完全に取り戻すか、神々の力を全て継承するか……その二択だろうな」
前者は今のところあまり現実的ではない。
封印を施した時のノアの力は、今のノアの力の数十倍ではくだらない。
封印を解くには前世の記憶を完全に取り戻すか、前世と同等の力を得なければならないのだ。
「可能性があるとすれば追憶神だが……今の俺の力は神一人に匹敵する程度。そんな俺の数百倍は強かった時にかけた封印だ。記憶を司る力があっても、圧倒的な力量差を覆せるかどうかは未知数……」
前世のノアはこの世界に存在していたという記録すら追憶神の記憶から消し去っていたのだ。神の力を弾くなど造作もないはず。
「やってみなければ解らない、か」
力を手に入れるための目標は大まかには定まった。
第一に、神々の権能を完全に継承するということ。
これができれば少なくとも数倍は強くなり、屍として敵対してしまったガロンを相手にしてもどうにかなるだろう。
第二に、虚無の権能を取り戻すこと。
これさえできれば勝利は確実だ。望みは薄いとはいえ、可能性がないわけでもないので頭の片隅には置いておいた方が良いだろう。
「だが……神々がどこにいるかが解らないな」
ノアと神々は親交がなく、直接会ったことすらなかった。
魂が殆ど眠った状態の時に存在は感じられたが、あれは会った内には入らないだろう。
ヴェレイドとは『念話』を通じて会話はしたのだが、たったそれだけでしかない。
それに、疑問がもう一つ。
「創造神は事実上の最高神であるはず……霊域核の話は重要だ。あの場で、何故終焉神が俺に『念話』をしたんだ?」
この世界の根幹となる魔力の結晶が霊域核だ。霊域核を失えば世界は滅び、逆に霊域核さえあれば世界が滅びかけていても修復することができる。
それだけ世界にとって最重要の存在。それが霊域核なのだ。
いくらあの場にあった霊域核が全体の一割にも満たないものだったとしても、それ程の存在なら最高神が出張ってきても何もおかしくない。
「次に会えばそのことも聞いてみるか……ん?」
そこでノアは違和感を感じる。
別に不快な違和感というわけではない。この感覚は───
【……終焉神か?】
【おー、よく解ったな。その通り、俺は終焉神ヴェレイドだ】
【……何の用だ?】
【ちょっとお前に割と重要な用があるんだ。聞いてくれるよな?】
以前の通信と何も変わりない飄々とした態度にノアは苛立ちを覚える。
世界にとって中核とも成り得る界律神装のユキが滅び、同じ神だったガロンも屍として操られ神としての尊厳をズタズタに引き裂かれているこの状況で、態度に何の変化も見られないヴェレイドに怒りさえ抱いた。
【───怒ってるか?】
【───何がだ】
まるでそれを予測していたかのように、ヴェレイドは突然態度を真面目寄りに切り替えつつ、ノアに問いかける。
【周りを見てみろよ。俺の言いたいことが解ると思うぜ】
【───ッ!?】
言葉通りに周囲を見渡し、ノアは驚愕した。
地面は罅割れ、空は紅く染まっていたのである。
【これは───】
【それが破壊の権能の一端、怒りの感情によって力を爆発的に上昇させる権能ってわけだ。当然、他の神でも感情によって効力が左右するのもある。まー俺の終焉は感情はあまり干渉しねーけどな】
ノアは無意識のうちに周囲を破壊していたのである。
【しっかし、そこに存在するだけでここまで世界に影響を与えるか……お前の継承してる権能は全部じゃねーのにそこまでの破壊、リオが見たら卒倒しそうだな。てか白目剥いてるわ、今俺の隣で】
【そんな情報はいい。今は本題の方が重要だろう】
ヴェレイドの冗談とも本気ともつかない発言を完全に無視し、ノアは話を進める。
それにヴェレイドは少し肩をくすめ、続きを話した。
【今からお前には神々の試練、神域試練を受けてもらう】
【神域試練……?】
ノアはそれが何か一切知らない。
神々が一人に対してそれぞれ試練を課していくというのが神域試練なのだが、これはある意味ではこの世界特有のものと言ってもいい。
基本的に世界に神は一人しかいない。神が分断されているこの世界が異質なのだ。
故に神域試練は他の世界にはない、この世界にのみ存在する文化のようなもの。それをノアが知らないのも無理もない話であった。
【簡単に言えば、神々がお前に対してそれぞれ試練を課し、クリアすればその神の権能の全てを受け継ぐことができるって感じのやつだ。八神全ての試練を達成すれば、お前はお前自身の力に加えてこの世界そのものの力も手に入れるってことになるわけよ】
【虚無に加えて、神々の権能も完全に継承できると?】
【その通りだぜ】
ノアにとっては都合が良い。
虚無の権能を取り戻すにしろ、きっと過去を完全に思い出さなければ不可能だ。ならば追憶の権能が必須。
それだけではなく、神々の権能も手に入るというのは早急に強くなるにあたって最も効率がいい。
【……神域試練を受けよう。俺はどうすればいい?】
【よし、初めはリオ……破壊神リオエスタの試練だな。今お前のいる場所から南にずっと進んでいけば、この世界で唯一生き残っている活火山がある。その火口に迷わず飛び込め。内容は神によって違うからリオの試練は俺も知らねー。内容は会った時に聞くといいさ】
【……解った】
『念話』を切断し、ノアは南に向かって歩を進める。
「神域試練、か……」
ノアはこの世界にそのようなものがあるとは想定していなかったわけだが、試練そのものは理に適っているとも言える。
一定の力がなければそもそも権能の継承などできるはずもない。いくらノアの魂でも、余裕がなければ他の権能に入る余地はないのだ。
ノアの魂は無。無で埋め尽くされているが故に、本来なら他者の権能は入ることができない。
だがそれはノアが全ての力を取り戻した場合の話だ。
今のノアは虚無の権能の殆どが封印されている。
活性化していない権能は実質的に存在していないのと同じだ。
だからこそ、今なら八神の権能を継承できる。
逆に言うなら、今しか権能の継承はできないのである。
「これも……全てを終わらせるために必要なことだ」
ノアは自分に言い聞かせつつ、ゆっくりと歩いていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それから更に時間が過ぎ、ノアは風のように走って移動をしていた。
相変わらず右腕は再生しておらず、抜き身の白雪を左手に持っている。
だが魂に関してはそれなりに回復していた。
壊滅の力を持った二つの弾丸は徐々にその力を弱めていったのである。
弾丸というものは放たれた瞬間が威力、魔力共に上限だ。後から力を強めたり、その力を持続させるには相応の技量と神経が必要。
現在アルファルドにその余裕はない。
故に『壊滅の源弾』と『滅火弾』からは壊滅の力がゆっくりと抜けていった。
そうなってしまえばノアの虚無がそれを覆い尽くすことができる。
何せ壊滅の力が荒れ狂っているのはノアの魂の中だ。
虚無の中に打ち込まれた壊滅の弾丸は多少の力を残しつつもその殆どが消滅していた。
だからこそ、ノアは今それなりに動くことができている。
ノアの走るその速度は現時点では音速と同じ。前よりは遅くなっているが、完全回復したならばその時よりも速く動けるだろう。
(この調子なら今日中には着きそうか)
ヴェレイドの話ではここから更に先にこの世界で唯一生き残っている活火山があるようだ。
ノアも脳内で広げた世界地図と現在位置を照らし合わせ、あとどの程度の距離なのかを割り出している。
もう日は沈み夜となってはいるが、あと一時間程走ればその火口に辿り着くだろう。
「それにしても、景色は変わらんな」
やはりというべきか、動植物全てを含めた生物はただの一つも存在していない。
穿界軍の連中や自身達がグラエムの結界門の外に出ることができるというのは解りきっていたことだが、様々なことが起こりすぎて感覚が麻痺していたようだ。
山や谷はあるとはいえ、緑一つなく、動くものも見当たらなかった。
時折吹く風にはやはり死の概念が込められており、それは傷ついたノアの魂を僅かに侵食する。
「っ……まだ魂が治りきっていないことが原因か。そもそもとして概念もより強固になっているというのもあるだろうが……」
夕闇の遺跡を出た時の風よりもなお死を近くに感じられた。
それが何を意味するかは明白だ。
「世界の滅びが、更に近づいているということか」
むしろ今の状態でも世界そのものが正常に稼働していることの方が異常だろう。
霊域核は文字通り世界の根幹。それが穿界の魔手に奪われてしまっているということは世界の滅びに直結する。
霊域核の殆どが奪われている現状で、まだ世界が崩壊しかけてすらいないというのがまずおかしいのだ。
それならば何故まだ世界は原型を保っているのか。
ノアにはまだそれは解らない。
だが答えはそう難しくもないのである。
本来世界には全ての権能を所持した神が一人しかいない。
全ての力を持っているとはいえ、たった一人で滅びを食い止めるのも限度というものがある。
何せ、意思や脳は一つしかないのだから。
それを八つに分け、それぞれの神がそれぞれの権能を完全に扱ったなら、本来の形である神一人よりも世界は頑丈にできるのだ。
現状はそれである。
ただ、多少頑丈になったとしてもやはり限界は存在する。
まだ霊域核が一欠片ほど残っているから良いものの、完全に簒奪されれば世界は瞬く間に崩壊していくことだろう。
それだけは、ノアも神々も止めなければならない。
そのためにノアが力を得て、元凶を叩くのだ。
「絶対に簡単にはいかない……神域試練もそうだ。相手は神。少なく見積っても今の俺と同等の力は持っているはず。滅ぼす気でかからなければ、逆に俺が滅ぼされる」
破壊神や終焉神はそれが顕著に現れるだろう。
故に、油断はできない。
いくら相手がノアに希望を託しているからといっても。
───否、希望を託しているからこそ、神々はノアを滅ぼす気でノアを鍛え上げるはずだ。
そこにあるのは純粋な殺し合いのようにも思える。
だが、世界を救うという目的は一致している。
ノアは一度目的を見失い、敵を滅ぼすという誓いを立てたが、あれはすでに放棄してある。
確かにそれでもこの世界は救えるだろう。
だが、ノアにとっての目的はもうユキとガロンのためだけに存在しているのだ。
「あいつらのために、滅ぼすのではなく、救う。それだけだ」
強い意志を持ち、ノアは速度を上げる。
しばらくすると見えてくるのはそれなりに巨大な山だった。
これが破壊神の神域試練の場所だろう。
「この山の山頂にある火口に飛び込むんだったな」
今更恐れなどない。というかノアなら溶岩程度では傷など負わない。
「『神域』というからにはそれなりの場所があるんだろうが……まあそれは行ってみてからだな」
ノアはものの数分で山頂まで登る。
「これが唯一生き残っている活火山か……」
ノアの眼前にはカルデラが広がっており、下を見れば表面が黒く固まりかけている溶岩が大量にあった。
すでに固まっているように見えるが、それはあくまでも表層のみ。
その下では真っ赤な溶岩が荒れ狂っているのだ。
「……『流血槍』」
ノアは空中に血でできた細い槍を生成し、それを溶岩に向けて飛ばす。
血の力は破壊の権能と深く密接しているため、この魔法に破壊の概念を込めることは容易い。
今回も僅かに破壊の力を纏わせていた。
「熱気的にまず間違いはないが……活火山といってもどの程度のものなのかは調べておいた方が良さそうだしな」
滅びかけている世界で唯一現存するということは、この位置が本来霊域核があった場所なのかもしれない。
今はその残滓と、神々の権能でどうにか存続させているという可能性もあった。
故にこの活火山を調べるということは、世界そのものに残された力を確かめるということに等しい。
やらない道理はなかった。
「そろそろ落ちるか」
『流血槍』の射出速度はかなり遅く、今は重力に従って落ちていっているだけ。
時間はかかったが、無駄に刺激しては世界の寿命を縮めるだけだ。
だからこそできるだけ静かにやる必要がある。
そして……血の槍はその溶岩に吸い込まれるようにして落ちた。
するとその位置の固まっていた表層が剥がれ、赤い溶岩が見えてくる。
それは空気と接触し、まるで沸騰するように周囲を巻き込んでいった。
「一箇所動き出すと連鎖して広がっていくか……これを見るとごく平凡な活火山なんだが……この世界の中心地にしてはいくら何でも弱すぎる」
ただの火山なら普通だっただろう。
だがこの世界で最も強いエネルギーを持つ火山がここなのだとすれば、この程度の反応で済むはずがないのだ。
つまり───
「やはりかなり弱っているな、この世界は」
解りきっていたことだ。
だがどれだけ滅びに近づいてもこの世界は崩壊する兆候を見せなかった。
それは単にこの世界が頑丈だから?
それも間違いというわけではない。だが正解とも言いきれない。
この世界は表層と深層で滅びの度合いが分離していたのだ。
「この世界の深層は霊域核を失ったこともあってズタズタだ。他の世界ならすでに世界そのものが滅んでいてもおかしくはない。だが世界の表層が深層と乖離しているからこそ、たとえ生物が死滅したとしても世界という概念そのものには影響があまり見られない……これは……危険だな」
ノアもこの世界が異質であるということに気づく。
「そもそも神が複数いるという時点でおかしな話だ。神は世界に一人しかいない。それが普通。神が八つに分離したこともこの異質さの原因だろうな」
この世界はあまりにもイレギュラーすぎる。
まだ記憶の大部分が欠けているとはいえ、前の世界の常識などはある程度思い出した。
故にその事実に辿り着いたのだ。
「神域試練というのもそうだ……他の世界ならまず有り得ない。でもこの世界にはそれが存在している。理由は解らんが……今から俺はそんな神々の試練を乗り越えなければならないということか」
可能か不可能で言うならば十分可能な範疇だろう。
今のノアにはそれを為せるだけの力がある。
当然、油断すれば大きな損傷を負うことは免れない。
だがそんなリスクを背負うだけの価値が、この神域試練にはあるはずだ。
「───行こう」
一言呟き、ノアは躊躇いなく火口に身を投げ出した。
真っ直ぐ下を見つめ、落ちていく。
その瞬間見えるのは溶岩の赤ではなく、神気を帯びた紅き光。
それは次第に膨張していき、遂にはノアを飲み込んで消え去った。
「───」
ノアが目を開くと、そこは白と紅が混ざり合う空間だった。
「これが神域か……」
確かにこの場はすでに神域だ。
ただ、創造神アスティリアがこの場を創造したとは少々考えにくい。
創造神が単独で創ったにしてはあまりにも破壊の概念が強くなる空間になり過ぎている。
創造神だけでそんな場を創るのはかなり難しいだろう。
つまり、この神域は破壊神も協力して創っている。
破壊神が創造するというのは矛盾しているようにも思えるが、創造神が創る神域に破壊の概念を強化させる力を付与することは別に不可能ではない。
だからこそ、この空間ができているわけだ。
「逆に他の権能……特に創造と再生は効力が薄くなる、か」
破壊に特化した空間であるからこそ、それとは逆に近い力である創造と再生はこの空間では効力が伸びないようだ。
元々ノアの持つ権能は不完全であるため、ここでは全くと言っていい程使えないだろう。
つまり───
「傷を負えば終わり、ね……」
「あら、よく気づきましたわね」
唐突にノアの背後に現れた気配。
それは莫大な魔力と神気を帯びており、そこに存在するだけで破壊に特化したこの空間さえも蹂躙した。
ノアはゆっくりと後ろを振り向く。
そこにいたのは金髪紅眼の女だ。
鮮血のように美しいその双眸はしっかりとノアを捉えている。
そして、彼女の周囲には空間の罅割れが発生していた。
「いるだけでそれかよ……」
この神域は破壊の力を高める作用がある故に、逆に破壊への耐性は途轍もなく高い。
それなのに、ノアの目の前にいる女───破壊神リオエスタは存在するだけで壊したのだ。
「神と会うのは初めてだな」
「ええ、そのようですわね。終焉神ヴェレイドとは『念話』を通じて話したようですが、実際に会うのはわたくしが初……では、改めて自己紹介をしましょうか」
リオエスタは両手を広げ、柔らかく微笑んだ。
「わたくしは破壊神リオエスタ。ようこそ、ノア様。わたくしの試練へ」
神域試練が幕を開ける───




