10.絶望
二箇所で行われていた戦闘が終わり、荒野は以前の静寂を取り戻す。
五本全ての界滅爪が世界から引き抜かれ、その場所は都市をまるごと一つ飲み込む程の大穴が空いていた。
その影響か、穿界の魔手を中心に世界に滅びの強制力が働く。
霊域核のほぼ全てが世界から簒奪されてしまった影響だろう。
そんな中、動く人影が一つ。
左手に白雪を持ったノアだ。
『壊滅の源弾』によって滅ぼされた右腕は未だに再生せず、無で覆い尽くすこともできていない。
現状だとノアの虚無よりもアルファルドの壊滅の方が力が強いのだ。
ノア本来の力を取り戻すか、再生神と同等の権能を手に入れるかしなければそう短時間で再生できる代物ではない。
「……」
今、ノアはガロンとヴァディアの戦闘が行われていた第四界滅爪へと向かっている。
ノアには戦闘の詳細を知る術はない。
故にガロンが勝ったか負けたかさえも解らない。
今向かっているのはその確認のため。仮にガロンが負けていたとしても、相手に手を出すつもりはなかった。
ノアとて自身の力ぐらいは把握している。
ヴァディアがガロンを滅ぼしたのなら、ノアに勝てる道理はなかった。
つまり、これは一種の偵察だ。
望みは薄いとはいえ、ガロンが勝っていたらそれで良し、負けていたなら相手戦力……ヴァディアの偵察。
ヴァディアは強いが、ガロン相手に余裕ということもないはずだとノアは考えていた。
そしてそれは実際にその通りだ。
どちらが勝っていてもおかしくはない激戦だった。
ノアは時間をかけて第四界滅爪にまで向かう。
今のノアはそう速くは走れない。
右腕が欠損しているというのはまだいい。
問題は魂に突き刺さった二つの弾丸だ。
『壊滅の源弾』と『滅火弾』である。
『滅火弾』だけならノアの虚無でどうにでもできただろう。
しかし『壊滅の源弾』はその限りではない。
存在するものは滅びれば無となる。そしてノアの虚無はその時にこそ真価を発揮する。
滅んだ後が本来のノアの力なのだ。逆にそれまでは本気ではなかったと捉えてもいい。
だが、今回ノアは『壊滅の源弾』によってその無さえも滅ぼされてしまった。
滅びた後は無のはずなのに、それを壊滅で覆い尽くされてしまったのだ。
「……ガロンは」
『念話』は先程から繋がらない。
それだけでやられたというのは早計だが、やはり不安は残った。
ユキが滅んでしまった今、ノアの味方はガロンと神々。それだけしかいないのだ。
神々に関しては明確な面識もない。ノアにとって信頼できる味方とはガロンしかいなかった。
一度戦っているのも大きいだろう。
「……」
界滅爪を登りきり、更にその上を歩き続ける。
あれからすでに数日が経過していた。
数日が経っても未だに戦闘の痕跡は大きく、常闇も、雷電も、虚無でさえまだその場所に残っている。
ノアは虚無を撒き散らしながら移動をし続け、遂に第四界滅爪付近にまで到達した。
当然そこには界滅爪などない。戦闘によって五本中四本が破壊された。
穿界の魔手はまるで地平のように広大で、一目見ただけではこれが巨大な右手だとは絶対に気づけないだろう。
その上で、ノアはその光景を目の当たりにする。
「───ガロン?」
平らな穿界の魔手の上に立つ、一つの人影。
背丈はノアよりも遥かに高く、漆黒。
そう、そこにいたのは紛れもなくガロンであった。
「ッ───!」
だが───否、だからこそ、ノアは警戒を強める。
目の前にいるガロンは、無傷なのだ。
ヴァディアを相手にしたのならそんなことは有り得るはずがない。いくらガロンがノアよりも遥かに強いからといって、無傷で勝利できるわけがない。
「お前は───誰だ」
目の前にいるのは、ガロンではない。
ガロンであって、ガロンではない。
「───」
ガロンの姿をした何者かは言葉を発さず、ノアの方を見る。
兜の中には顔など存在しない。ガロンは黒甲冑が本体であってその中はない。
だが視線は感じる。
───明確な敵意を。
「っ!?『崩壊神撃』ッ!」
背筋に走る悪寒。それだけを頼りに、ノアは本能的に攻撃を仕掛ける。
鮮血の如き紅を放つ斬撃は高速でガロンではない黒甲冑へと迫り、全てを破壊する勢いで世界を揺らす。
その斬撃を前にして黒甲冑はただ右手を伸ばした。
「───」
溢れ出る常闇。
それはノアの虚無よりもなお大きく、深い。
一切を飲み込み、滅ぼし尽くすその闇の前では不完全な破壊の権能による斬撃など子供の遊びと何ら変わりない。
その証拠に、魔法すら使っていないただの常闇にノアの放った『崩壊神撃』は吸収されていた。
その事実に、ノアは戦慄よりも先におぞましさを感じていた。
「その、魔力……まさかお前……」
ノアが明確に知っているガロンの力は夕闇だ。目の前で見たのだからそれは間違いない。
そして常闇の力を使うということも、先のヴァディアとの戦闘からある程度は解っている。
そんな常闇を、目の前の黒甲冑もその力を使っていた。
故に思い浮かぶ一つの可能性。
最悪の可能性を前にして、ノアは怖気づいて数歩後退った。
「───屍」
最初に穿界の魔手へ辿り着いた時に見た、大量の屍達。
あれはこの世界の有象無象達が滅び、屍と化した姿だ。
何かしらの魔法かもしれないが、滅んだ存在が屍として意思なく行動するということも有り得ないわけではない。
問題なのは屍として蘇ってしまった存在。
有象無象がそうなったとてノアなら何億だろうが蹴散らせる。
だが仮にノアよりも強い存在が屍として蘇ってしまったら?
この世界の神の一人である、星闇神ガロンがそうなってしまったら……?
「そん、な」
「───」
そんなこと有り得て良いはずがないと、ノアは現実逃避をするように否定する。
百歩譲ってガロンが敗北することはまだ納得できた。
相手が相手、ヴァディアというガロンよりも強い存在が敵だったからだ。
(何故、ガロンがこんな風にならなければならない?何故、俺と違って世界を想う神がこんな目に遭わなければならない?何故───)
「───何故、俺じゃない?」
ノアの強靭な魂が瓦解していく。
「何故ガロンが滅んだ?何故ユキが滅んだ?何故俺が滅びなかった?何故俺だけが生き残った?生き残る意味なんてないのに、復讐紛いのことしかできることなんてないのに何故?俺が生きる意味なんてあるのか?いや、ない。俺みたいな存在は生きていても何の価値もない。生きるだけ無駄だ。どうせ何も救えやしない。俺は弱い。弱すぎる。何も護れない。何も救えない。実際、今も昔も、救えた命なんてなかった。俺は何も変わらない。前世の、あの世界にいた時から何も。何もできない。何も成せない。ああ、俺が───」
そうして遂に、ノアの瞳から光が消えた。
「───俺が滅びれば良かったのに」
ノアはゆっくりと、屍のガロンへと近づく。
自嘲したような笑みを浮かべて、絶望しながら。
「──なあ、ガロン。いや、今はガロンですらないのか?まぁ何でもいい。俺を滅ぼしてくれよ。俺が滅べばもう、俺は何も考えなくていい。もう何も考えたくない。救えないし、護れない俺なんてこの世界からすれば無価値だ。神々も清々するだろう。誰も損をしない。誰もが得をする。俺も、神々も、あいつらも。もういいんだ、殺せよ。早く」
ノアは白雪を持つ左手でガロンの右手を誘導し、自身の胸へと向けた。
「魔法でも、魔力でもなんでもいい。その常闇なら俺の虚無だって滅ぼし、飲み込むことができる。だから終わらせてくれ。絶望はもう、懲り懲りなんだよ」
「───」
言葉を発さず、屍のガロンはノアをじっと見つめた。
まるでその言葉の真意を見抜くように。
そして、そのまま数分が経過する。
「───」
「───殺してくれよ、頼むから」
ノアのその望みに、ガロンは───
「───」
「───は?」
手を降ろし、『空間転移』でどこかに転移していってしまった。
「───お前もかよ」
ノアの小さな呟きが無音だった世界に響く。
その瞳には何も映っておらず、ユキを滅ぼされてしまった時の紫色の光もとうになくなってしまっていた。
「皆、俺を見捨てるのか」
ユキは滅び、ガロンは滅んだ後に敵になり、神々とは音信不通。
デュランを倒した時の終焉神からの『念話』を逆探知してみてもなお、通信は全く繋がらなかった。
「もう、疲れたよ。考えることも、絶望することも」
大切な仲間を二人同時に失い、ノアの精神は疲弊し、崩壊しかかっていた。
「───死ねよ。滅びろよ。なんで生きてんだよ、俺」
何も護れないくせに。
「俺に価値なんてないだろ。生きる意味もないだろ」
何も救えないくせに。
「もうどうでもいい。虚無も、滅びも、この世界も、穿界軍も」
ノアは白雪を握り締め、膝から崩れ落ちる。
それが、ノアの心が完全に折れてしまった瞬間だった。
絶望に叩き落とされたノアは───




