4.禁忌
「クソがッ!」
ノアがガロンとの通信が強制的に切断されたことに怒りを露わにさせる。
あの威圧感からノアでは勝てないことなど解っていた。
だからこそ、自分がガロンにとってどれだけ弱い存在なのかを痛感する。
弱い自分に、どうしようもなく腹が立っていた。
「ノアくん……どうするの?」
心配そうにユキが問いかける。
ユキとて現状は把握している。
自身が最も弱く、絶対に戦力にならないことも。
「……とりあえず穿界の魔手に向かう。話はそれからだ」
救援に行くか行かないかは別問題。だが相手の主戦力の一人であるヴァディアがガロンと交戦している以上、本命であるアルファルドを叩くことはやりやすくなったはずだ。
当人に攻撃が通るかどうかは別として、少なくとも機会は得た。
ノアはかつて行った第二界滅爪付近へと『空間転移』を行使し、転移しようとする。
当然結界門の遮断は創造の権能で無効化している。
だが……
「なッ!?弾かれた……!?」
魔法は発動しなかった。
それは何故か……
「……そうか、『空間転移』は指定地点の魔力場を魔法陣に組み込んで発動させる……故に、その魔力場が別物と言えるまでに歪んでしまえば、そこへの転移は不可能……」
界滅爪が世界から抜けたことが大きな要因だろう。
あの爪の先からは全てを奪い、滅ぼす力が滲み出ていた。
その力が空間に解き放たれた時、その周辺は大きく変貌する。
「なら転移できる場所は……」
少しずつ穿界の魔手と距離を離しながら魔法を構築していく。
そのどれもが失敗に終わるが、最後の最後……結界門の眼前で遂に成功した。
二人は手を繋ぎ、その場所に転移する。
「ッ!これは……!」
元々感じていた死の大地。だが密度がまるで別物だった。
ノアとユキを侵食する程ではないが、その異常性は色濃く感じられる。
「これは……早くどうにかしないと……!」
「ああ……だが簡単にできる話でもない」
今の二人は無力なのだ。ガロンを助けることができる力は持ち合わせていない。
虚無の権能や神々の権能を完全に扱えれば話は別だが、ないものはないのだ。
そんな時、世界が黒く染まっていく。
「これは───」
「───夜?」
『星天の常闇』だ。
二人にはこれがガロンの魔法なのだと直感的に理解できた。
「これが、ガロンの本気か」
それは敵わないわけだ、と自嘲気味に笑うノア。
ユキはこの力を見てもなお心配そうに第四界滅爪を見ている。
「でも……相手も強いよ」
グラエムからでも感じる莫大な魔力の余波。
ガロンの闇だけではなく、光と雷の力も感じる。
ヴァディアのものだ。
「まあ、解っていたことだが……」
相手も異次元なレベルで強い。もしかすると、ガロンすらも上回る程の───
「……何にせよ、向かうぞ。加勢できなくても別のやることはある」
「解ったよ」
二人は超速で穿界の魔手へと向かう。音速とは比べるまでもなく速い。だが、穿界の魔手で繰り広げられている次元の違う戦闘は光速を超える。
それに比べれば二人の速度はあまりにも遅かった。
この速度のままでは穿界の魔手の端に辿り着くのも十分程度はかかってしまう。
光速で動けたなら一瞬で辿り着く距離なのだが……
闇と雷の魔力はノア達がいる場所にまで届く。
その二つが衝突する度に世界に重い衝撃が迸った。
『穿界の痕弾』などとは比べ物にならない程の圧倒的な力。
「霊域核を介してないのにこの力……」
「私達じゃ……無理だね……」
二人は走りながら言葉を交わす。
仮にデュランとの戦いで力を与えていた霊域核があったとしても瞬殺されてしまう程度には力に乖離があった。
荒れ狂った魔力は穿界の魔手すらも焼き焦がす。
近づくのすら躊躇われる程、二つの力は世界にもダメージを与えていた。
(概念は感じない。つまり八神の権能とはまた違った力だ。仮に付け入るとすれば、そこしかないな)
あの間に割って入るのはノアにとっても自殺行為だ。
だからそこではなく、ガロンがヴァディアに敗れてしまった時のことを考え、今後ヴァディアと相対した場合どうするかを思考する。
(ガロンが負けるとは思いたくないが……可能性がある以上は考えていても損はない)
勝てたならそれで良し、負けてしまったならそれをノアが活かさなければならない。
ノアが思考していても足は止めない。穿界の魔手まで、あともう少しだ。
だが───
「ッ!?」
「これは……!?」
そこにいたのは───千人の人間だった。
「なんで、ここにいる!?」
そう、それは有り得ないはずなのだ。
グラエム以外の場所は全て死の大地。人間は存在しているだけで死の概念に侵食され、生き続けることは実質的に不可能。
「……ねぇ、あの人達、不気味だよ……」
ユキが困惑と怯えを瞳に浮かべながら人間達を見つめる。
「全員……同じ顔なんて」
全員同じ服なのはまだいい。やつらが着ているのは軍服。穿界軍の人間と考えれば不自然ではなかった。
だが、顔まで同じなのだ。
それを不自然に思ってか、ノアは世界眼で人間達を見る。
見てしまった。
「そん、な……」
それを認識して、ノアは絶句した。
それは有り得ない───否、有り得てはならない光景だった。
「魂まで、同じ……だと……?」
そんな存在がいるわけがない。
魂は輪廻し、別の存在へと生まれ変わって新たな生を得る。
異世界の存在でない限りはそこに例外は存在せず、異世界の存在だったとしても死んだ人間の魂は次第に魔力となって霧散するだけだ。
故に、完全に同じ魂が同時に存在することは時間を司る権能で過去や未来から連れてこない限りは有り得ないのである。
仮にこれを実現している存在の力が時間系だったとしても、千人を同時に存在させるのは事実上不可能だ。
その人間はひとつの時間軸に生きている。
別の時間帯から持ってくるにしても、せいぜい十人程度が限界。
それ以上は移動させられた人間の人格が壊れたり、消滅したりしてしまう。
千人など有り得るはずがないのだ。
つまり、これは───
「あら、来たのね」
「ッ!誰だッ!?」
唐突に聞こえたノアでもユキでもない声。
聞いたことはないが、女の声だ。
状況が状況であるため、確実に敵。
「ふふふ、話には聞いていたけれど、本当に貴方がいるなんてねぇ?」
同じ魂の人間達が道を開けるように左右に広がる。
すると正面には青い髪の女が現れた。
先程の発言から、ノアのことを知っている可能性がある。
「あなたは何者?」
「あらあら、可愛い子もいるのね。私のコレクションにしようかしら?」
「っ……」
女の品定めをするかのような眼に一歩下がるユキ。
対照的に、ノアは前に出る。
「いくつか聞きたいことがある」
「……今、私がその子と話しているのが見えなかったかしら?」
女は自分の話を遮られたことに憤りを見せた。
だが……
「そんなことはどうでもいい。今から質問をする。お前はそれにだけ答えろ」
「……はぁ、変わらないわねぇ……」
やはりと言うべきか、女はノアのことを知っているようだった。
「まずお前は何者だ?」
「……やはり記憶がないみたいね。いいでしょう。名乗ってあげる」
女は妖艶な笑みを浮かべ、その名を口にした。
「私は穿界軍大将、ラフィナよ。お久しぶりね、ノア様」
「大将……」
デュランより上、ということだろう。
そしてノアの名前まで知っている。
穿界軍でも最上位レベルの権限を持っているラフィナが敬称をつけるということは……
「……次に、お前は俺の何を知っている?」
「全てではないけれど、貴方の失った記憶の一部は、ね」
ノアが穿界の魔手が造られた世界出身であることは間違いない。それは初めから解っていた。
だがこの分だと、どうやらそれだけではないようだ。
ノアにとって前世のことを知るのは重要だ。
恐らくノアは前世、死ぬ前に自らの魂と権能に強力な封印を施した。
その封印はまだ完全に解かれたわけではないのだ。
前世のことを知れば、多少は力を取り戻せるかもしれない。
穿界の魔手を世界から抹消するにあたって、虚無の権能は確実に役に立つ。
故にこれは最重要事項と言っても過言ではない。
「当時の俺は───」
「これ以上は言えないわ」
ノアの言葉はラフィナに遮られてしまった。
ラフィナもある程度察しているということだろう。
「……なら別の質問だ」
「良いわよ?」
「……こいつらは、何なんだ。何故全く同じ魂の存在が大量にいる?」
ノアは少しだけ聞くのを躊躇った。
恐ろしいのだ。
この現象が時間操作によるものではないというのは原理的に説明がつく。
故に時間操作でないなら、方法は自ずと絞られる。
だからこそノアは予想していた。
絶対に当たって欲しくない予想を。
「この子達?元々は一人だったんだけど、戦力が欲しいから複製したのよ」
「ッ……!?」
ノアの予想は、当たってしまった。
魂の複製。同じ魂を複数個造る、言わば禁忌。
無から魂を生み出すことは創造の権能以外では不可能だ。きっとラフィナもそのような力は使えないはず。
なら無ではなく、小さな一から百を作ればいい……それが魂の複製。
ひとつの魂を細かく切断し、そこから復元するというあまりにも非人道的な技術だ。
『惨死の魔弾』からも解る通り、魂に直接傷をつけられるというのは常人なら想像を絶する痛みを伴う。
それを何度も何度も繰り返し、千分割されたのだ。
千個の魂はすでに廃人になっていることだろう。
「なんてことを……」
あまりの惨さに吐き気さえ覚える。その証拠にユキは身体を震わせ、口元を抑えていた。
ノアは強く唇を噛み締め、そこから血が流れる。
「───ユキ」
「な、なに……?」
ノアはその瞳に怒りを燃やしつつも虚無の権能を行使する。
それによって存在そのものが希薄になった。
だがそれでも、ユキには声が届く。
「俺の過去なんてどうでもいい。こいつを生かしておく方が危険だ」
「……うん」
「ここで絶対に殺す。こいつは……こいつだけは、ここで殺さなければいけない」
希薄な存在のまま、銀刀を抜く。
そこに込められた虚無はデュランとの戦いの時よりも深く、まるでノアの怒りそのものの深さを表しているようだった。
「質問は終わりだ。お前は───死ね」
穿界の魔手の上で繰り広げられる轟音とは裏腹に、この場所は完全な無音となる。
それは全て虚無に染まっているが故だ。
「ふふっ」
そんな中でもラフィナは余裕を崩さない。
「やってみるといいわ。逃亡者」
ノアにはその言葉の意味が解らない。
だが、そんなことはどうでも良かった。
今はただ、目の前にいる残忍な存在を滅ぼさなくてはならないと感じていたから。
「───」
ノアの周囲に放たれた虚無が少しずつノアに向かって収束していく。
そして次の瞬間───
ノアの虚無が、静かに爆発した。
ノアが抱く、初めての殺意───