2.星闇神
その時、ガロンは穿界の魔手の薬指───第四界滅爪にいた。
「む……?」
僅かな振動を感じ取ったガロンはそれを異変と感じつつ、その異変を伝えようと『念話』をノアと繋げようとする。
だが、繋がらない。
結界門の影響だ。
「最終都市に張られた結界か……流石に神々の創造したものは厄介だな」
現状、これを改変できるのは創造の権能を持ったノアだけだ。
ガロンはそれができるわけではないので、今、ノアとは通信できない。
その間にも揺れは更に大きくなっていく。
「これは……少々まずいか?」
ガロンが遥か下にある地上を見ると、徐々に地面から抜かれていく界滅爪が見えた。
(界滅爪が……一体何故……?いや、まさか!?)
そこでガロンは勘づく。
世界の内部にある霊域核が吸収され尽くしてしまったのだと。
これは異常事態で済ませていい話ではない。
文字通り、世界が滅ぶまでのカウントダウンが進んでしまったのだ。
「チッ……こうなったら一か八かでも───」
「何をするつもりだ?」
「ッ!?」
唐突に現れた気配とかけられた声にガロンは背後を振り向く。
そこにいたのは金髪の男だ。
(つい先程まで気配や魔力すら感じられなかった……いや、いなかったのか?)
ガロンの探知能力は高い。それこそ、第四界滅爪の近くなら当然のように知覚できる。
故に、それにすら見つからずに近づくというのは本来なら有り得ないはずなのだ。
ならば答えはひとつだろう。
(この男……途轍もなく速いな)
壮年の金髪の男を睨み、ガロンは魔力を腕に纏わせる。
「ふむ……随分と強いな。名乗るが良い」
「私は───朱天偽神ガロン」
ガロンが名乗った瞬間、彼の脳内にノイズが鳴り響く。
紛れもなく『念話』だ。
【聞こえるか?ガロ───】
【ノアッ!界滅爪を見てくれ!】
通信が繋がったと同時にガロンはノアに界滅爪を確認するように指示する。
【ッ!?何かあったのか?】
【見ればわかる!】
デュランとの戦いの顛末を聞くのは後だと言わんばかりにガロンは念話内で怒鳴った。
そして───二人の立つ足場が、穿界の魔手が突然傾き出した。
世界が大きく震撼し、界滅爪が世界から引き抜かれていく。
界滅爪が世界から爪を離す……それは霊域核を簒奪し終えたという証明でもあった。
その事実をいち早く察していたガロンは大きく焦る。
【……見ていたな?ノア】
【ガロン……あんなもの、どうすれば】
【弱音を吐くな。世界を救える可能性を持っているのは貴公しかいない。貴公が諦めたその瞬間、世界が滅びると思え】
だがノアにはその焦りを見せない。
世界の命運は、ノアにかかっているのだから。
【……そうだな。諦めるわけにはいかないんだった】
【解ればいい】
【ガロン、今お前はどこにいるんだ?】
【第四界滅爪……薬指の先だ。だが、ここには来ない方がいい】
ガロンの目の前にいる壮年の男はどう考えてもノアの対応できる範疇を超えている。
それこそ、ガロンが本気で立ち向かったとしても勝てるとは言いきれない相手だった。
そんな相手の前にノアを……世界の希望を連れてくるわけにはいかない。ここでノアが滅ぼされてしまえば神々の計画の全てが破綻する。
【ここには、貴公では手出しできぬ存在がいる】
たとえノアが虚無の権能に覚醒していたとしてもこの男とやり合うには力不足だろう。
この世界で誕生した存在の中で最強である可能性が高いガロンが確信しているのだから間違いはない。
ガロンがどう対応しようか迷っていた次の瞬間、男が『念話』を傍受、干渉し、更には自らにまで繋げてきた。
【───我の名はヴァディア】
男が名乗る。
【穿界軍元帥、最高司令官のヴァディアだ。朱天偽神ガロン。卿の命、我が貰い受けよう】
やはり───と、ガロンは考えた。
ガロンは穿界軍という名を知らないが、役職の意味合いなら解る。
元帥……軍としては確実にトップの存在だ。
最高司令官と名乗っていることからも嘘偽りではない。それに関してはガロンの感知能力が警鐘を鳴らしていることからもよく解る。
そこでガロンは強制的に『念話』を切断する。
もうこれ以上、ノアとユキの声を聞きたくなかった。
後悔してしまうかもしれないから。
ガロンの右手にかつてない程の朱き光が集う。
それはノアとの戦闘時に出した力の軽く数倍は超えており、神々では傷一つつけられなかった程には異常なまでに頑丈な界滅爪ですらもカタカタと震え、破片が零れ落ちる。
「やれるものなら───」
その手に宿る魔法は紛れもなく『朱き終の呪い』だ。
だがノアとの戦闘時と比べて出力にあまりにも大きな差がある。
そう、これがガロンの本気の、その一端なのだ。
「───やってみろッ!」
朱き光が第四界滅爪を完全に覆い尽くす。
それが、この怪物同士の戦いの開幕だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ガロンの魔法により朱く染まった世界で、ヴァディアは静かに動く。
「───『雷光剣』」
魔法の発動と共にヴァディアの右手に雷が集い、それが剣の形を成す。
それは実体を持たぬ雷の剣。
金色に輝きつつ莫大なエネルギーのスパークを放つその剣を、ヴァディアはゆっくりと振り上げる。
瞳を閉じ、『朱き終の呪い』の深層を見極めるかのように、ただただ静かに時を待つ。
そして───ヴァディアが遂にその瞳を開眼した。
「───斬」
光速の如く振り下ろされた雷光剣は空間に存在するありとあらゆる魔力を己の雷で焼き滅ぼし、ガロンの『朱き終の呪い』すらも切断した。
朱く染まった世界が割れ、魔法使用前と同じ空の色へと戻っていく。
「はッ───!?」
有り得ない……否、有り得てはならない事実にガロンは戦慄する。
だがそれも無理はない。
(この男……切断そのものには魔法を使用していなかった、だとッ!?)
そう、ヴァディアは雷光剣の生成には魔法を使用していたが、『朱き終の呪い』を切断して滅ぼすという行動には魔法を一切使用していなかったのである。
まだ完全に最大出力ではなかったとはいえ、ガロンの本気の一端を以てしてもヴァディアは無傷。
(これでは……アレすらも通用するかは解らんな)
ガロンにも奥の手はある。
だがヴァディアの底力は今の一撃では全く見えなかった。
つまり本気がどの程度なのか検討がつかない。
たとえガロンが奥の手を使ったとしても、それがどれ程通用するかは未知数。更にいえばヴァディアにも奥の手のひとつやふたつあるだろう。
それらを加味した場合、ガロンがこの戦闘に勝利して生き残れる可能性は……皆無にも等しかった。
ガロンが深く思考したからか、一瞬にも満たない隙ができる。
当然、ヴァディアはそれを見逃さない。
雷速で空間を駆け抜け、ガロンが気がつく頃にはヴァディアはすでに懐にまで入っていた。
「『雷神衝』」
ガロンを襲ったのは雷による暴力的なまでの衝撃。
軽く都市ひとつを消し飛ばしかねない威力を内包していたその雷はガロンの強靭な肉体すらも大きく傷つける。
単純な内包魔力を見るならば、それは『穿界の痕弾』と同等だ。
つまり、ヴァディアは霊域核の恩恵なしにこの力を使えるということ。
否、それどころか───
「『金色の雷閃』」
「ッ───!」
ヴァディアが最初に放った斬撃を遥かに凌駕する一撃。
その斬撃の余波として放たれた黄色い閃光は巨大な穿界の魔手の三分の一を飲み込み、範囲内のありとあらゆる存在を滅ぼそうとする。
その力はまさに暴雷。
ガロンはノアの時と違い、己の力を全て使う勢いで本気で防御に徹する。
雷光がガロンの朱き力を覆い尽くし、圧倒的な滅びが襲いかかる。
数秒後、雷光が徐々に収まっていき、黄色に染っていた世界の色が元に戻る。
暴雷にあてられた穿界の魔手は焼け爛れ、ボロボロになってはいるが、その原型はしっかりと保っていた。
そして───それはガロンも同様だった。
「卿なら耐えるであろうとは思っていたが、よもやその程度の傷しか負わぬとはな」
穿界の魔手同様、ガロンの黒甲冑は焼け爛れているが、あの暴雷を正面から受け止めつつも五体満足だった。
「……今のは流石の私も滅びを覚悟したがな」
「なに、あの程度で滅んでもらっては我が困る。卿はこの世界の神であろう?ならばその力はこの程度ではないはずだ」
「……化け物が」
本来ならガロンが本気で防御してもなおここまで傷をつけられているという時点でまずおかしいのだ。
だがヴァディアはそんな攻撃をあの程度と言っている。
この世界の規格で最上位にあたるガロンを相手にしてそれなのだから、この男があまりにも規格外だということがよく解る。
(速度では絶対に敵わない。なら攻撃の威力だが……こちらもどう足掻いても同等程度か……?)
朱き光を再度纏わせ、ガロンは構える。
ガロンに残された手は少ない。
当然、奥の手もその中に含まれる。
(……使ってもなお通用しないなら私の敗北は確定する。ならせめて、この男に傷跡を残そう。ノアが戦う時に、少しでも有利に働くように)
ガロンは構えを解き、朱い魔力を変色させる。
その色は黒───否、闇だ。
「……何をしている?」
その行動に怪訝そうに問いかけるヴァディア。
当たり前のように、初見であるその行動に警戒を強くしていた。
「なに、普通に戦っていても貴公に勝てないのは明白だ。なら私は私の持つ最大の力を発揮するまで」
「ほう?奥の手か」
「その通りだとも」
ガロンの力の色はこれまで朱や夕闇色だった。
だが、今は違う。
感じられるのは深い、深い闇。
どれだけ底を見ようとしても、絶対にその深淵を見ることは叶わない圧倒的なまでに深い闇。
その名は───
「『星天の常闇』」
ガロンが魔法を発動した瞬間、突然青かった空が暗くなる。
空には星々が輝き、その内のひとつが異常なまでに大きな光を放っていた。
「これは、夜?」
「ああ。私は神だが、純粋な神ではなく、偽神。故に概念としての権能は持たない」
創造や破壊はその概念として確立されており、八神はそれらの名を冠している。
だがガロンは朱天偽神。八神とは違い、その権能は概念とはまた違う。
その代わり、単純な能力が神以上だった。
「私の持つ権能は星と闇。そしてこれが───」
ガロンの頭上で輝いていたたったひとつの星。
それがガロンに向かって落ちてきていた。
その質量と魔力はガロンの権能によって霧散し、散り散りになった光がその右手に降ってくる。
それは次第に剣を形づくり、実体を持つ形で顕現する。
それは夕闇と常闇が混ざり合った一本の長剣だ。
内包されている魔力は恐らく、ガロンやヴァディアすら凌駕している。
「『宵の星剣』───これこそが、私の権能の形だ」
この瞬間、ガロンは正真正銘、神となった。
権能こそ概念を含まないが、その力は八神を軽く超えており、名実共にこの世界で誕生した存在の中で最強。
ガロンがこれまで偽神だったのは本気を出す状況ではなかったというだけなのである。
名付けるなら───『星闇神ガロン』といったところだろうか。
「私は───星闇神ガロン。この世界に九柱存在する神の一角、星と闇を司る神だッ!」
吹っ切れたように、ガロンは大きく叫ぶ。
「……はははッ!」
ヴァディアが声を上げて笑う。
ヴァディアにとって、目の前の神は先程までは自身には届かない程度の存在だった。
朱天偽神ガロンではどう足掻いても太刀打ちできる力などなかったのだから。
だが今はどうだ。
星闇神ガロン───この神なら、己を滅ぼしうる力を持っている。
その事実を感じ取り、ヴァディアはひどく高揚していた。
「くくくくっ……さあ、楽しもうじゃないか。我らは今、この世界で最高の戦闘ができるのだからッ!」
同等にまで練り上げられた闇と雷光。
そのふたつがぶつかった瞬間、穿界の魔手が圧倒的な力に覆われた。
神化は加速する───