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正法眼蔵  作者: Eliphas1810
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正法眼蔵 画餅

諸仏、これ、証なるゆえに、諸物、これ、証なり。

しかあれども、一性にあらず、一心にあらず。

一性にあらず、一心にあらざれども、証のとき、証、証さまたげず現成するなり。

現成のとき、現、現、あい接することなく現成すべし。

これ、祖宗の端的なり。

一異の測度を挙して参学の力量とすることなかれ。

このゆえに、いわく、

一法、纔通、万法、通。


いうところの一法通は、

一法の従来せる面目を奪却するにあらず。

一法を相対せしむるにあらず。

一法を無対ならしむるにあらず。

無対ならしむるは、これ、相礙なり。

通をして通の礙なからしむるに、一通、これ、万通なり。

一通は、一法なり。

一法通、これ、万法通なり。


古仏、言、

画餅、不、充、飢。


この道を参学する雲衲霞袂、この十方より、きたれる菩薩、声聞の名位をひとつにせず。

かの十方より、きたれる神頭鬼面の皮肉、あつく、うすし。

これ、古仏今仏の学道なりというとも、樹下、草庵の活計なり。

このゆえに、家業を正伝するに、

あるいは、いわく、経、論の学業は、真智を熏修せしめざるゆえに、しかのごとくいう、といい、

あるいは、三乗、一乗の教、学、さらに三菩提のみちにあらず、といわんとして恁麼いうなり、と見解せり。

おおよそ、仮立なる法は、真に用不著なるをいわんとして、恁麼の道取あり、と見解する、おおきに、あやまるなり。

祖宗の功業を正伝せず、仏祖の道取にくらし。

この一言をあきらめざらん、だれが余仏の道取を参究せりと聴許せん?

画餅、不能、充、飢と道取するは、たとえば、

諸悪莫作、衆善奉行と道取するがごとし。

是、什麼物、恁麼来と道取するがごとし。

吾、常、於、是、切というがごとし。

しばらく、かくのごとく参学すべし。

画餅という道取、かつて見来せるともがら、すくなし、知及せるもの、まったくあらず。

なにとしてか恁麼しる?

従来の一枚、二枚の臭皮袋を勘過するに、疑著におよばず、親覲におよばず、ただ隣談に側耳せずして、不管なるがごとし。

画餅というは、しるべし、父母所生の面目あり、父母未生の面目あり。

米麺をもちいて作法せしむる正当恁麼、かならずしも生、不生にあらざれども、現成、道成の時節なり。

去来の見聞に拘牽せらるると参学すべからず。

餅を画する丹雘は、山水を画する丹雘と、ひとしかるべし。

いわゆる、山水を画するには、青丹をもちいる。

画餅を画するには、米麺をもちいる。

恁麼なるゆえに、その所用、おなじく、功夫、ひとしきなり。

しかあれば、すなわち、いま、道著する画餅というは、一切の糊餅、菜餅、乳餅、焼餅、糍餅、等、みな、これ、画図より現成するなり。

しるべし。

画、等、

餅、等、

法、等なり。

このゆえに、いま、現成するところの諸餅、ともに、画餅なり。

このほかに画餅をもとむるには、ついに、いまだ相逢せず、未拈出なり。

一時、現なりといえども、一時、不現なり。

しかあれども、老、少の相にあらず、去来の跡にあらざるなり。

しかある這頭に、画餅、国土あらわれ、成立するなり。

不、充、飢というは、飢は、十二時、使にあらざれども、画餅に相見する便宜あらず。

画餅を喫著するに、ついに飢をやむる功なし。

飢に相待せらるる餅なし。

餅に相待せらるる餅あらざるがゆえに、活計、つたわれず、家風、つたわれず。

飢も、一条、拄杖なり、横担竪担、千変万化なり。

餅も、一身心、現なり、青、黄、赤、白、長短、方、円なり。

いま、山水を画するには、青、緑、丹、雘をもちい、奇巌怪石をもちい、七宝、四宝をもちいる。

餅を画する経営も、また、かくのごとし。

人を画するには、四大、五蘊をもちいる。

仏を画するには、泥龕、土塊をもちいるのみにあらず、三十二相をもちいる、一茎草をもちいる、三祇、百劫の熏修をもちいる。

かくのごとくして、一軸の画仏を図しきたれるゆえに、一切諸仏は、みな、画仏なり。

一切画仏は、みな、諸仏なり。

画仏と画餅と、扌㑒点すべし。(「扌㑒」は一文字の漢字と見なしてください。)

いずれが石烏亀、いずれが鉄拄杖なる?

いずれが色法、いずれが心法なる?

と審細に功夫、参究( or 参学)すべきなり。

恁麼、功夫するとき、生死、去来は、ことごとく、画図なり。

無上菩提、すなわち、画図なり。

おおよそ、法界、虚空、いずれも画図にあらざるなし。


古仏、言、

道成、白雪、千扁、去。

画得、青山、数軸、来。


これ、大悟、話なり。

弁道、功夫の現成せし道底なり。

しかあれば、得道の正当恁麼時は、青山、白雪を数軸となづく、画図しきたれるなり。

一動一静、しかしながら、画図にあらざるなし。

われらが、いまの功夫、ただ画より、えたるなり。

十号、三明、これ、一軸の画なり。

根、力、覚、道、これ、一軸の画なり。

もし画は実にあらずといわば、万法、みな、実にあらず。

万法、みな、実にあらずば、仏法も実にあらず。

仏法もし実なるには、画餅、すなわち、実なるべし。


雲門、匡真大師、ちなみに、僧、とう、

いかにあらんか、これ、超仏越祖之談?

師、いわく、

糊餅。


この道取、しずかに功夫すべし。

糊餅、すでに現成するには、超仏越祖の談を説著する祖師あり、聞著せざる鉄漢あり、聴得する学人あるべし、現成する道著あり。

いま、糊餅の展事、投機、かならず、これ、画餅の二枚、三枚なり。

超仏越祖の談あり。

入仏入魔の分あり。


先師、道、

修竹、芭蕉、入、画図。


この道取は、長短を超越せるものの、ともに、画図の参学ある道取なり。

修竹は長竹なり。

陰陽の運なりといえども、陰陽をして運ならしむるに、修竹の年月あり。

その年月、陰陽、はかること、うべからざるなり。

大聖は陰陽を覰見すといえども、大聖、陰陽を測度すること、あたわず。

陰陽、ともに、法、等なり、測度、等なり。

道、等なるがゆえに。

いま、外道、二乗、等の心目にかかわる陰陽にはあらず。

これは、修竹の陰陽なり、修竹の歩暦なり、修竹の世界なり。

修竹の眷属として、十方諸仏あり。

しるべし。

天地乾坤は、修竹の根、茎、枝、葉なり。

このゆえに、天地乾坤をして長久ならしむ。

大海、須弥、尽十方界をして堅牢ならしむ。

拄杖、竹箆をして一老、一不老ならしむ。

芭蕉は、地水火風、空、心、意、識、智慧を根、茎、枝、葉、華、果、光、色とせるゆえに、秋風を帯して秋風にやぶる。

のこる一塵なし、浄潔といいぬべし。

眼裏に筋骨なし。

色裏に膠月离あらず。(「月离」は一文字の漢字として見てください。)

当所の解脱あり。

なお、速疾に拘牽せられざれば、須叟、刹那、等の論におよばず。

この力量を挙して、地水火風を活計ならしめ、心、意識、智を大死ならしむ。

かるがゆえに、この家業に春秋冬夏を調度として受業しきたる。

いま、修竹、芭蕉の全消息、これ、画図なり。

これによりて、竹声を聞著して大悟せんものは、龍、蛇、ともに、画図なるべし。

凡、聖の情量と疑著すべからず。

那竿、得、恁麼長なり。

這竿、得、恁麼短なり。

這竿、得、恁麼長なり。

那竿、得、恁麼短なり。

これ、みな、画図なるがゆえに、長短の図、かならず、相符するなり。

長画あれば、短画なきにあらず。

この道理、あきらかに参究すべし。

ただ、まさに、尽界、尽法は画図なるがゆえに、人法は画より現じ、仏祖は画より成ずるなり。

しかあれば、すなわち、画餅にあらざれば、充、飢の薬なし。

画、飢にあらざれば、人に相逢せず。

画、充にあらざれば、力量あらざるなり。

おおよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画、飢にあらざれば、不得なり、不道なるなり。

しばらく、這箇は、画餅なることを参学すべし。

この宗旨を参学するとき、いささか転、物。物、転。の功徳を身心に究尽するなり。

この功徳、いまだ現前せざるがごときは、学道の力量、いまだ現成せざるなり。

この功徳を現成せしむる、証、画、現成なり。


正法眼蔵 画餅

爾時、仁治三年壬寅、十一月初五日、在、于、観音導利興聖宝林寺、示、衆。

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