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第9話 『ホワイト、アルヴァン王子を説得する の巻』

「長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。アルヴァン様の準備が整いました。これより執務室へご案内いたします」


 アルヴァン殿下は、即位に先んじて王家の仕事をこなされています。これは公式設定で、理由は少しでも早く父君の力になりたいと思っているから。


 幼い頃に誘拐騒ぎがあったこともあり、アルヴァン殿下は長らく家の者の目が届く範囲でのみ生活をされていたそうです。当然、お父様である王の働きぶりも目にされる機会が多かった。その影響もあってか、帝王学というものを体感で学ばれていたそうなのです。


 私たちは階段を上り、スタンさんと果たし合った3階を通り過ぎます。そして4階。少し歩くと荘厳な両開きの扉のある部屋が見えてきました。扉の前で振り返り、スタンさんが私たちと向き合います。


「ロズマリー様にあらせられましては既にご存知のことと思いますが、本日アルヴァン様はそちらの淑女との間に先約があります。僭越ながら、私的なお話をされるものと察しますが、本当にご同席されて構わないのでしょうか」


 私ははっとしました。あのスタンさんが助け舟を出してくれている……!?


 しかし相手は悪役令嬢で鳴らしたロズマリー様です。瞼を伏せて静かにお首を振られると、毅然とした佇まいでご返答になりました。


「常日頃から、ホワイトさんにはお世話になっています。しかしわたくしとアルヴァン殿下との間には、何人たりと割り入ることはできません。それは気の置けない仲であるこの子であっても同様なのです」


 メルさんとの件を踏まえた皮肉をピリリと効かせ、そう返答されます。


 私だったらはわわと混乱して秒で平身低頭してしまいますが、スタンさんはいつも通りのクールな面持ちを維持していました。


「……では、どうぞ」


 私とロズマリー様はアルヴァン殿下の執務室へと通されました。予想通りと言うべきか、書棚に囲まれた部屋で、前方には大きな窓があります。


 私たちと執務机との間にはかなりの距離があったのですが、この部屋の主は、それをものともしない存在感を放っておられました。


「来たか」


 アルヴァン殿下は座った椅子から立ち上がろうともせず、執務机の上で両肘を突いて、組んだ手の上に顎を乗せています。眉根を寄せて、私のことをじっと凝視してきました。


 こ、怖い……。


 前世での苦手キャラはやはり、今世でもあまり得意ではなさそうです。


 私がヘビに睨まれたカエルのように動けなくなっていると、背後でパタンと音がします。室内に入ったスタンさんが、両開きの扉を閉めたのです。


 さっと空気が冷えたのは気のせいじゃありません。このような重要な話し合いの場に、執事を立ち会わせたことを見てとったロズマリー様が、露骨に心象を損ねられたのです。


 この空気、耐えられません。まさに一触即発といった感じです。

 でも、これは私が始めたことなのだから、すべての責任は私にある……。


 今にも遁走しようとする足に根を張ってアルヴァン殿下の眼圧を耐えていると、ふいに斜め後方に視線が外れました。そして――。


「スタン、こいつがお前の言っていた女か」

「はい」

「パッと見、普通の令嬢と変わらんな……」


 アルヴァン殿下の少し険の抜けた視線が、再び私に向かいます。おそらく値踏みされているのでしょう。


「こいつに土を付けたというのは、本当か?」


 思わず生唾を飲みました。カラカラにノドが干上がっているものの、どうにか声を出します。


「はい……そうです」

「約束通り、俺への目通りは叶った。言いたいことがあるんだろう。言うがいい」


 そうだ。言わなくちゃ。ロズマリー様に婚約破棄しないでくださいって。私の口から頼まなくちゃ。


 だけど、意に反して私の口は仕事を果たしてくれませんでした。


 もし私が説得しきれなかったら。それは私ではなく、ロズマリー様の身の破滅を招くことになる……。


「どうした? 言わないのか? 女、お前の胆力はその程度のものか」

「もう、よろしいでしょう」


 煽りに答えたのは私ではありませんでした。さっきまで隣にいたロズマリー様が一歩前へと歩み出て、右腕を広げて私のことを庇ってくださっています。


「ロズマリー、様……」

「アルヴァン殿下、さっきからこの子が怖がっているのがおわかりになりませんの?」


 私を守るそのお姿も、お声も、毅然としていてとても凛々しいです。

 でも……。


 守られるのは私じゃないはずです。私が迷惑かけてどうするんですか。


「怖がらせたつもりはない」

「当人にそのつもりがなくても、この子はそう感じておりますわ」

「スタンを下した女だ。そんなタマなはずがないだろう」


 お2人の間に漂う空気が、険悪なものへと変わります。違います。こんなことは望んでいません。私はお2人の仲を取り持ちたいんです。


「淑女の感情も汲み取れず、一国の王となれますでしょうか」

「侮辱か? 俺のことは構わんが、ロズマリーこそ順序を守ってない。こいつは俺に用があって、俺はこいつと話そうとしている。そんなことだから……」


 ああ、ダメです!! その先を言わせてはいけない!!


「やっ、やめてくださいッ!!!!!!」


 気づくと、私は思いっきり叫んでいました。


 御別邸内に響き渡るほどの大声です。ビリビリと窓や壁が振動し、地震もかくやの横揺れが部屋を襲います。


 揺れが収まったとき、室内にいる私を除く誰もが唖然とした顔をしていました。両手で耳を抑えて、今しがた起きたことが信じられないといった風に。


 中でも、アルヴァン殿下がいちはやく気を取り直されました。両耳から手を離されると、それ見たことかと言わんばかりにロズマリー様をご覧になったのです。


「今のはいったい……?」

「どうやら、ロズマリーにはバレていなかったらしいな。女、猿芝居はいいから言いたいことを全部言ってみろ」


 促されたからというのもありますが、一度傾斜の付いた心は止められませんでした。


 今まで溜め込んでいたものを吐き出すように、私の口が自動的に動きます。


「アルヴァン殿下、私はあなたにお願いがあって来ました。ロズマリー様に婚約破棄をしないでください。ずっと婚約関係にあったロズマリー様より編入生のメルさんのことが好きなのは知ってます。でも、婚約破棄をしないでください。たしかにロズマリー様は良いところばかりじゃないです。プライドが高いとか融通が利かないとか高慢ちきだとか、時にはいじわるなこともしちゃうとか、そのせいで癇に障ることも今まであったかもしれません。でも、婚約破棄をしないでください。だって私の推しなんです。好きなんです。すべてなんですロズマリー様は。私はこの御方にしあわせになってもらいたくてここにいます。そのためならなんだってするって決めました。だからお願いします。ダメなら何度だって頭を下げます。無理筋でもなんでも構わないんです。どうかロズマリー様に婚約破棄しないでください。どうかロズマリー様に……」


 ただただ頭を下げ続ける私の肩に、やさしく触れるものがありました。


 頭を下げたまま思わず見ると、ロズマリー様が穏やかに微笑しておられるのが見えます。


「ロズマリー、様……」


 目の縁に涙を溜める私へと、ロズマリー様はゆっくりとお首を振られました。


「もういいのです、ホワイト」


 窘められて、お顔を上げてアルヴァン殿下へと相対されました。


「殿下のおっしゃる通りでしたわね。わたくしこそ、近くにいる者の心がまるで見えていなかった。わたくしが態度をはっきりさせないがために、余計な心配をかけさせてしまった。無理をさせて、ここまで追い詰めるようなことをしてしまった」


 背筋を伸ばされ、貴族令嬢らしく、面と向かって立たれます。


「このお邸の敷居をまたいだ時点で、とうに覚悟はできておりました。アルヴァン殿下、どうかわたくしにおっしゃってくださいませ」


 なにを、とは口にされませんでした。

 今の私ならその内容を理解することができる。


「ロズマリー様!! ダメです!!」


 思い直してほしい一心で、声を荒らげます。だけどロズマリー様はお首を縦には振ってくださいませんでした。小さくかぶりを左右に振られ、やさしげな眼差しを湛えられます。


「ホワイト、よいのです。その気持ちだけでわたくしはもう充分……さあ、アルヴァン殿下」


 アルヴァン殿下は執務机から立ち上がり、しかつめらしいお顔で机を迂回し、ロズマリー様に審判を下すために正面へと歩まれました。そして――。


「この度は本当に、申し訳なかった」


 開口一番そう言って、深々と頭を垂れられたのです。


「え?」


 私は呆気に取られてしまいました。こんなシーンは『Sacred Bless』のどこにもなかった。だってメルさんに懸想したアルヴァン殿下は、どんなケースだろうとロズマリー様に婚約破棄を突きつけるはずなのですから……。


 未だものを言えぬ私を置き去りに、状況は流れてゆきます。

 頭を上げたアルヴァン殿下が、神妙な表情でロズマリー様と相対されます。


「俺から赴くこともせずに、とお前はなじるかもしれない。後出しの言い訳になるが、責任を放棄するつもりはなかった。卒業式の後、ちゃんとした話し合いの場を設けるつもりでいた。俺と、メルと、ロズマリーの3人水入らずで……だが、こうなった以上は仕方ない。俺は思いの丈を、お前に伝えなければならない」


 珍しくも、そのお顔には焦りの色がありました。

 さながら追い詰められた野生の獣にも似たような。


 しかしそれも、ロズマリー様が穏やかに笑まれて頷かれると、霧が晴れるように消えていったのです。決意を秘めたお言葉が続きます。


「俺は、メルに真実の愛を見てしまった。この気持ちは本物だ。決して曲げることができないと思う。こんなことをお前に懇願するのはバカげているかもしれない。でも、俺には他に取れる手段がないんだ。ロズマリー、どうか俺との婚約を解消してくれないか」


 頭を下げて許しを乞う。それはあまりにも真摯な態度でした。


 『Sacred Bless』でかつて見た、敵意と憎しみでもって婚約破棄を突きつけるアルヴァン殿下のお姿とは似ても似つかないような……。


 というか今、婚約解消っておっしゃいましたよね? どういうことなんでしょうか。そんな結末を迎えるルートなんてどこにもなかったのに。


 未だ状況についていけない私の前で、ロズマリー様が再び頭を上げたアルヴァン様を見て、清々しい表情を浮かべられています。


「……茨の道に、なりますわよ?」

「かもしれん。平民の娘を妻として迎え入れた前例はない」

「王家はわたくしの家の持参金も当て込んでおります」

「婚約の理由が金なら、いくらだって工面してみせるさ」

「今一度問います。メルさんは真に民を思う国母になれますか」

「そこは一番安心してくれていい。ロズマリーにだって見劣りはしない」

「でしたらそのお話、わたくしも了承いたしますわ」


 くるりと踵を返し、最後にロズマリー様は私に向けてこう告げられました。


「婚約は破棄されませんでした。ホワイト、これであなたも満足ですか?」


 一瞬、言葉を失います。でも、それじゃあロズマリー様の未来が……。


「……つらく、ないんですか。婚約者をメルさんに奪われて」


 遠慮容赦のない言い方だったと思います。だけどロズマリー様は怒らなかった。晴れやかな表情もそのままに、私の問いに答えられます。


「そりゃあつらいですよ。アルヴァン殿下とは、子どもの頃からずっと一緒になると思っていたのですから」

「だったら!!」


 勢い込む私へと近寄り、ロズマリー様が私の手に触れられます。


「人の心は簡単には変わらない……教えてくれたのはホワイト、あなたなのですよ」


 私は呆気に取られました。そんなことを言った覚えはありませんでした。

 ロズマリー様もご承知だったのでしょう。言葉を付け足されます。


「実際に口にしたわけではありません。あなたは幼い頃からわたくしとともにあった。当時のことはよく覚えています。わたくしは、あなたのことが大嫌いでした」


 ……え?


 ショックを受けたのが見てとれたのでしょう。ロズマリー様は微笑して、お首を振って否定してくださいました。


「昔の話、ですわ。公爵令嬢として蝶よ花よとおだてられ、今にも増してプライドが高かった頃のお話。未熟なわたくしにとって、家格の低いあなたは許せない存在だった。纏わりついてきたのをどこかにやろうとしてつらく当たった記憶もあります。でもあなたは、めげなかった。こんなわたくしなんかと仲良くなろうと、ずっと努力し続けてくれた」


 こんなわたくしなんかと――自らの立ち位置を下げる言葉。

 それは、ロズマリー様のお口からは決して聞けるはずのない自虐の言葉。


「そして気づけば大好きになっていた。おかしいですわよね。あんなに鬱陶しがっていたのに」

「ロズマリー様……」

「でも、その気づきを得るまでにはとても長い時間を要したんです。10年、かかってしまいました」


 ですから、とロズマリー様はお話を接ぎ木されます。


「わたくしにはわかるのです。この短期間でアルヴァン殿下の御心を動かしたメルさんは、やはり殿下にとって運命の女性だったと。それを無理に曲げて、もう一度わたくしを見てくださるようになるまでには、たとえ不可能でなくとも途方もない時間が掛かってしまうでしょう。それは2人にとっての不幸であるのみならず、この国にとっても不幸なことだと、あなただって思うのではなくて?」


 それは……そう訊ねられたのなら。


「それでもアルヴァン殿下との婚約の先にしあわせはあったはずです。婚約を破棄せず、続けてさえいれば……」


 ゲームでは見られなかった、王妃としての未来があったはずなのに。


「婚約破棄じゃない、解消だ」


 少し苛立たしげな声は、アルヴァン殿下のものでした。注意を向けると、まるでご自身が見損なわれたような、なんとも言えない表情をされています。


「女、さっきからお前は勘違いしている。悪いのはすべて俺だ。ロズマリーという婚約者がありながら、他の女に懸想してしまった。その咎を負った身で、婚約破棄などという恥知らずな真似ができるわけないだろう」


 ご自身の落ち度を認める、殊勝な物言いでした。

 それとは別に、引っかかる部分があります。


「悪いのはご自分って、だってロズマリー様は……?」

「なにもしていない。お前だって、そのくらい知っているはずだ」


 私は驚きました。『Sacred Bless』でのロズマリー様は、アルヴァン殿下の想い人であるメルさんに、あの手この手で嫌がらせをしていたからです。


 実行犯にはいつも取り巻き令嬢が採用されていました。私はてっきり、私以外の取り巻き令嬢の皆さんが、メルさんに手を出していると思っていたのですが……。


 今度はバツが悪そうに、アルヴァン殿下の方から口を開かれます。


「編入したばかりのメルの面倒まで見てもらった。礼を言うことはあっても、文句を垂れる筋合いなど存在しない。もし俺が婚約破棄をするとして、その可能性があったとすればロズマリーが無法をはたらいたときだけだ。まあ、そんな可能性は万に一つもなかっただろうがな」


 ……ああ、そうか、そういうことか。


 私はバカでした。こんなにも好き勝手に振る舞っていたのに、ロズマリー様が悪役令嬢のままでいるとずっと思い込んでいたんです。でもそうじゃなかった。私がずっと傍にいることで、ロズマリー様の御心も変化していた。どこに出しても恥ずべきところのない、立派なご令嬢になっておられたんです。


 放心する私の手を、ロズマリー様の両手が包み込みます。


「わたくしは婚約者を失ってしまいました。当然のことですがとてもつらい状況にあります。ですからホワイト、どうかわたくしの一番傍にいて、これからもずっと励ましてくれませんか」

「でも……いいんですか。だって私、ただの取り巻き令嬢ですよ?」


 ロズマリー様はやさしくお首を振って、私の瞳を見て申されました。


「いいえ、違いますわ。あなたはわたくしの最高のおともだちです」

「ろ、ロズマリー様ぁ……!!」


 一瞬で涙腺が決壊しました。我慢がどうのとかそういう次元の話じゃなく、涙と鼻水とよだれが一瞬で溢れます。そんな私の情けない顔をロズマリー様がハンカチで拭ってくれ、私の背に腕を回してくださいました。


 こうして私は溢れるしあわせを感じながら、しばらくの間ロズマリー様と抱き合い続けることになったのでした。

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