第6話 『ホワイト、VSスタン最終ラウンド の巻』
ロズマリー様への婚約破棄を阻止せんがため、アルヴァン殿下の御別邸を訪れてからちょうど一月の時間が流れました。
あの夜、侵入した部屋で私はスタンさんと相まみえました。互いに譲らぬ実力の持ち主だと悟った私は、その場では勝負を預け、後日再び果し合いの機会を設けました。
しかしそこでも勝敗はつかず、果し合いはとうとう最終ラウンドを迎えます。泣いても笑ってもこの先はありませんし、この先に持ち越すことはできません。何故なら今日は最終日。ここで雌雄が決されない場合、私は里の忍者たちに記憶を抹消されてしまうことになります。
「もう後がないってことですよ。ホワイト、しっかり」
忍装束に身を通して、私はそう自分に言い聞かせます。
スタンさんが約束してくれた通り、アルヴァン殿下の御別邸の周囲に人の気配はありません。私は敷地内を忍者走りで駆け抜けると、あの夜にスタンさんと相まみえた3階の廊下から、御別邸内に侵入します。
「……遅い」
どうやら、邸内を探し回る手間が省けたようです。スタンさんは身をもたせかけていた壁から離れて、着地を決めたばかりの私の元へ歩み寄ってこられました。
「貴様、いったいどれだけ待たせるつもりだ? 決闘を投げたのかと思ったぞ」
仕方ないこととはいえ、大変いかめしい顔つきをしていらっしゃる。
かれこれ20日近くもお待たせしましたし、そりゃそうか……。
「申し訳ありません。ちょいと一身上の都合がありまして」
「邸内の警備は手薄にしておいた。何故正面玄関から入ってこなかった?」
「なんとなく、こっちの方が忍びっぽいかなって……えへへ」
と頭を掻くと、スタンさんの眉毛がピクピク動くのを見ます。
これは本格的にお怒りになってしまったかも、と戦々恐々とするものの、スタンさんははあっと溜息を吐くことで怒気を身体から抜かれました。
「怒りに任せて御しきれる相手じゃないことくらい、わかっている」
あれ、ひょっとして私……今褒められたんでしょうか?
突っ込んで訊くべきか迷っているうち、気持ちを切り替えられたスタンさんが話を始めます。
「東方に伝わる言葉にこのようなものがある。『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ』とな。今の貴様のことだ。アルヴァン様とメル嬢の仲を引き裂くことは、何人たりともこの僕が許さない」
殺意に満ちた眼光が飛んできますが、怖気づくわけにはいきません。
「そんなの屁理屈です。それを言うなら、アルヴァン殿下だってロズマリー様との婚約を大事にしてないじゃないですか」
「かもしれん。しかし貴様にそれを言う資格があるのか」
えっと、どういうことでしょう?
「あれから僕も考えた。貴様の正体はなんなのかとな。大方、ロズマリー嬢の係累か、それに類する縁者といったところだと当てはついた。だがな忍者女、貴様は最初に言ったぞ。この件にロズマリー嬢は関係がないと」
たしかに言いました。誤解から推しに罪を被せたくなかったからです。
「今貴様がここにいて、僕との決闘を果たそうとしている。それがロズマリー嬢の望みでないとすれば、こいつはとんだ越権行為というものだろう。貴様が焼いているのはただの余計なお世話というやつだ」
それはぐうの音も出ない正論でした。
たしかに私がアルヴァン殿下へ直訴に上がろうとしたのも、そのために果し合いをなさねばならなくなっているのも、すべてロズマリー様の意志ではありません。私が勝手にやっていることです。
ですから、本来は口を閉じなければならないのでしょうけれど――。
「なにが悪い」
「え?」
「推しのしあわせを願って、推しのために行動して、なにが悪いってんです!!」
私は開き直りました。虚を突かれたスタンさんにさらに啖呵を切ります。
「この世界に生まれてこの方、ロズマリー様はずっと私の推しなんです!! 推しを推すことで私はしあわせになりました!! だからこの先もずっと推していたい!! 一生推し通していたい!! そのためにロズマリー様にはアルヴァン殿下と結婚してもらいたいんです!! それは、私の命にも勝る願いなんです!!」
前世で死んだとき、私の心は寂しさに包まれました。それは自分という存在が世界から消滅することよりなお、二度と推しを推せなくなることの悲しさを知ってしまったからでした。
この先もう、推しを推せない。ロズマリーというキャラクターと過ごした記憶や思い出もすべてが分解されて、いずれ土くれと化してしまう。
そんなのは嫌だ。悲しすぎる……。
でも、続きがあった。私は推しのいる世界に生まれ変わった。ロズマリー様の取り巻き令嬢であるホワイトになれた。だから決めたんです。この先なにがあろうと、どのような苦境に陥ろうと、推しを推しきろうって。それが私の本当のしあわせなんだって。
だから私はもう、なにがあっても、絶対に迷ったりしないんです。
「……あなただって、そうなんですよね?」
胸に手を当て、呆気に取られるスタンさんに訴えかけます。
「だってスタンさんは、私と同じだから。アルヴァン殿下のことが好きで好きで、もうどうしようもないくらいに思いが募って、その人のためならなんだってできる。そんな気持ちを持っているからこそ、あなたは一度ならず私を撃退できた。素晴らしい剣の腕前を手に入れることができたんです」
それは嘘偽りのない本音でした。伝わっていないはずがありません。
スタンさんはギリっと歯噛みして、悔しそうに両拳を握りしめました。
「知ったような口を……貴様に僕のなにがわかるというんだ!!」
「まだなにもわかりません。だって、わかり合うのはこれからなんですから!!」
私がクナイを二刀流で構えると、スタンさんも腰を落として居合の姿勢に入りました。以前より執事服の丈が短くなっており、腰に佩いた長剣も西洋剣から刀へと変化しています。これがスタンさんの全力の型なのでしょう。
確信がありました。勝負は一瞬で決まる。打ち直しはありません。最初の一刀、より優れていた方が勝者となってその場に立ち続けることができる。
大袈裟ではなく、世界が時を止めました。来たるべき瞬間のためにすべてが配置されたかのような静寂の後、ふいに合図となる音が到来します。
刹那の後、私たちの立ち位置は入れ替わっていました。
先に膝を突いたのはスタンさんの方です。
どうやら今回は、私が紙一重で勝ちを拾ったようでした。
「くっ……殺せ」
床にうつ伏せになって倒れたスタンさんが、さながらオークの棲み処に拉致された姫騎士とも思しきセリフを口走ります。
クナイによる二刀こそ外してしまいましたが、最後に得物を投げ捨てて繰り出した素手での腹パンをもろに食らっていたのです。これが決まり手でした。
「嫌ですってば。そうする意味がわからないので」
「そうか……僕が仲介役を果たすんだったな」
両膝頭から手を離して中腰の体勢から戻ると、ぐぐっとスタンさんは痛むお腹を押さえながら身体を起こします。
「吐いた唾は飲めないか……アルヴァン様、申し訳ございません」
沈痛な面持ちのスタンさんですけど、ひとつ伝え忘れが。
「あのー、これで終わりじゃないですよ? スタンさんにも同席してもらうので」
「は? なんで僕が?」
「敗者は勝者の要求に最大限応える。これも果し合いの醍醐味ってもんじゃないですか」
私はニコっと笑みますが、腹パンのダメージが抜けていないスタンさんは青褪めた顔をしています。プイと顔を背けると、破れかぶれといった感じで口を開きます。
「わかった。好きにしろ」
「やった!! じゃあ約束しましょう!!」
しゃがんだ私が小指を差し出すと、スタンさんは面食らった表情を浮かべられました。しかし勝負が決したことですべてがどうでもよいと思われたのか、存外素直に私の小指に自分の小指を絡めます。
「ゆーびきーりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった!!」
これにて契約は完了です。計画の進捗も随分と進みました。
あとは直接交渉でアルヴァン殿下を説き伏せるだけです。首を洗って待っててくださいね!!