第4話 『ホワイト、お勉強なんてやりたくない の巻』
それからの私には考えることがたくさんありました。
例えばそう、王国史……。
前世で学生をやってた頃からそうなんですが、暗記科目って苦手なんです。なんで決められた単語を脳に覚え込ませなければならないんでしょう。都度本を参照すればいいだけの話じゃないですか。だいたい、社会に出てOLをやり始めてからも一度だって役に立ったことありませんよ、歴史なんて。
などと思いつつ、この日も私はノートと向き合っていました。場所は放課後の教室。机を挟んで反対側には、ロズマリー様のお姿があります。
「ほらここ、間違っていますわよ」
「ぐぬぬ……」
指摘箇所に目をやると、たしかに十三代目と十五代目の王様の名前が逆になっています。同じ三世だからごっちゃになるんですよね……。
苦痛のあまり頭を抱えてプルプルと震えていると、ロズマリー様が鉛のような比重の溜息を吐かれるのが目に入りました。
「再テストまでもう時間がないとおわかりでしょう。このままだと、本当に退学処分がくだってしまいますわよ」
退学。たしかに前世で学生身分をやっていた頃は恐怖の言葉でした。しかしここは中世ヨーロッパ風異世界です。なんなら乙女ゲーの世界です。ちょっと魔法学園から退学するくらい、痛くもかゆくもない……。
「ホワイト。学校なんてどうでもいいって、今思ったでしょう?」
「な、なんでわかっちゃうんですかぁ!?」
ひょっとして読心魔法!? などと私は驚愕したのですが。
「お顔に書いてありますわよ。まったく、わたくしがどれだけの間あなたと一緒にいたとお思いですの」
そうおっしゃられてはぐうの音も出ません。幼稚舎時代には、一緒におねしょをして先生に叱られた思い出だってあります。
「でもロズマリー様、女が学問できないから困るようなことってそんなにないと思いますけど……」
「そんなことはありませんわ。貴族令嬢たるもの、滋味深き教養は身から滲み出るもの。あなただっていずれは社交界の花の一輪になるのですから自覚なさい」
私がなれるのはせいぜい壁の花かと思いますが……おっとこれは言わぬが花。
「お勉強はちゃんとしますよ……嫌ですけど。それより、私的にはロズマリー様のお時間を無駄遣いさせているのに心が痛みます。他のご令嬢たちとのお茶会、たしか今日も予定されていたはずでは?」
これは確かな筋からの情報でした。ロズマリー様は先日、他の取り巻き令嬢さんたちからお茶会のお誘いを受けておられたはず。
今こうしてロズマリー様が私に勉強を教えてくださっているのは、彼女たちたってのお願いを断られたからに違いありません。
「あなたと過ごす時間は、決して無駄なのものではありませんわ」
「でも、卒業式後の御予定についてのお話もあったんじゃないですか?」
「それはそうですけれど……わたくしの心配などしなくて構いません」
凛としてそうおっしゃるものですから、思わず「はい!」と勢い良く返事してしまうところでした。
でも、いくらロズマリー様の言いつけだって、それだけは聞けません。私はロズマリー様の行く手に待ち受ける破滅の未来を知っています。たとえなにがあろうと、どんな手段に手を染めようと、その運命だけは阻止せねばなりません。
「あの、もしですよ? もしも私が精一杯お勉強を頑張って、それでも退学が決まってしまったら、ロズマリー様のお邸でメイドとして雇ってもらえませんか?」
パチクリ、とロズマリー様が切れ長の瞳を瞬きさせて、少し驚いたお顔で私のことを見られます。
私も、何故そんなことを訊いたのか自分でもわかりませんでした。ただ、なにがどうなろうともずっとこの御人の傍にいたい。そんな気持ちが言わせた言葉だということはうっすらとわかりました。
ロズマリー様は言葉を吟味され、珍しく穏やかな笑みを浮かべられました。
「そうですわね。もしもホワイトの追試の結果が芳しくなく、この魔法学園を退学扱いになって行く当てをなくしてしまったなら、わたくしあなたを当家のメイドとして雇い入れても構いませんわ」
やった、と心の中でガッツポーズします。
これで、経緯はどうあれ推しとずっと一緒にいられます。しかし……。
「でも、とても残念です。すごく残念だわ。だってわたくしは、あなたと一緒にこの学び舎を去りたいとずっと以前から考えていたんですもの。それがあなたが先に退学し、わたくしひとりで卒業を迎えるとなれば、学園時代の思い出の最後をとても寂しいエピソードで締めくくることになってしまいますわ」
寂しげに笑まれるロズマリー様のお姿を見て、私の頭に鈍器で殴られたような衝撃が走ります。
推しが、推しがガッカリしている……!!
それも私のせいで、私が学業を疎かにしたせいで……!!
「わ、わかりました。私ホワイト、死んでも追試に受かってみせます」
「それでこそホワイトですわ。わたくしの期待にどうか応えてくださいね」
嗚呼、推しのキラキラした眼差しがあまりに眩しい。
お勉強やりたくないよぉ。でも、頑張る。
固く心に誓うと、ふと数日前の光景が脳裏に甦ります。
アルヴァン殿下の御別邸で相まみえた、スタンさんの姿が浮かびました。
「僕に敗北は許されない。貴様をアルヴァン様に会わせるわけにはいかない」
あの夜、スタンさんはそうおっしゃっていました。相当なお覚悟を持っていらっしゃったのだと思います。現にその一言を発してから、スタンさんの身に纏う闘気が変化し始めました。不発に終わった居合の一撃は、全力の私であってもかわせたかどうか……。
でも、論点はそこじゃありません。実際に剣を合わせてみてわかったことがあります。スタンさんは私と同じなんだと。大切な人のためだけに自らを研鑽し、その力を高めてきた、そんな御人なのだと。
推し活はしあわせなことです。だって推しのために頑張れるんですから。私だって、忍者の修業はつらかったです。けれどそのつらさが、巡り巡ってロズマリー様のしあわせに繋がると知っていたから、つらさの中にも楽しさがあった。
でもきっと、スタンさんにとってはそうじゃありません。スタンさんの剣からは悲壮な覚悟しか伝わってきませんでした。おそらく、一度として楽しんで剣を振ったことなどなかったんじゃないでしょうか。
そんなスタンさんですけど、思いの丈は私から見ても羨ましいほど真っ直ぐです。主君であるアルヴァン殿下のことしか見ていません。
勝手な考え方ですけど、スタンさんにとってアルヴァン殿下は推しなんだと思います。でも、どう推せばいいのかがわかっていない。いたずらに自分を追い詰めるやり方でしか、推しを推すことができていないんです。
「……そんなの、もったいないですよ」
ロズマリー様のご帰宅を見送って、ひとり自習に励みながらつい独り言を口にしてしまいました。
大切な人がすぐ傍にいること。それはとてもしあわせなことなのに、その人のために頑張れることはとてもしあわせなのに、スタンさんはそれに届いていない。心の中に、素直な喜びを邪魔するものがある。
それがいったいなんなのか、果し合いに先んじて見つけないといけません。
だって、終生の好敵手とは万全の状態でぶつかりたいじゃないですか。
ということで、私は教室に潜んでいた里の忍者×18をボコしました。
「は、話せばわかるぅ!!」
問答無双で2時間ほど殴り続けると、対拷問用の特殊訓練を受けた忍者も命乞いを始めるようになる。これってトリビアになりませんか?
「なるわけないだろ!!」
再度拳を振り上げると、全員両手で頭を押さえてプルプルと震え始めてしまったので、さすがに可哀想になって拳を戻します。
「四六時中見張ってなくても、ちゃんと果し合いはしますってば」
「ぐぬぅ……しかしお主、このところ勉学ばかりで邸に出向いておらぬではないか」
「退学になったらロズマリー様が悲しむから仕方ないんですよ」
まったくもう、と両手を腰に当ててグロッキー状態の忍者軍団を見下ろします。
「暇してるあなたたちに、忍びの里随一のくのいちが命じます。これは私の果し合いに関わる大事なことです。いいですか、あなたたちに託すミッションは……」
正直に言えば反発されると思っていました。しかし意外なことに、忍者軍団は私の話にふんふんと耳を傾けると、その内容に興味津々となり、あまつさえ提示したミッションを素直に受けてくれたのです。
「なるほど。そういう理由ならば我らも力を貸さざるを得んな。したらば、即時行動ゥ!! ……散ッ!!」
「ありゃりゃ。暇してたんですね、本当に」
シュバッと一瞬ではける忍者軍団を見て、そんな風に思いました。忍者の世界は完全実力主義。思えば忍びの里にいた頃から、実力に乏しい木っ端忍者に人権らしい人権は与えられていませんでした。
彼らもニンジャマスターである師匠に私の監視を命じられ、相当ストレスが溜まっていたに違いありません。師匠ってば昔から人づかい荒かったからなぁ……。
しかしこれでなすべきことは終えました。果報は寝て待つとしましょうか。